第九話 常識の中の友人
「じゃあ桜羅は何で俺とつきあうフリをしてるわけだ?」
「男のユヅが男のお前に懐くのは気持ち悪いからってサクは説明してなかったか?」
「そうか。対外的には結弦は男だから、不自然にならないようにってわけか」
「そ。精神操作だって絶対じゃない。対象人数が多けりゃ尚更、何処でほころぶか分かったもんじゃねぇからな。サクにとっても、男の恋人がいた方が女だって思い込みが強くなるだろ。
―――そういやお前、サクが男だって気づいてながら、フリとはいえよく付き合う気になったな」
「そのときは俺が間違ってて周囲のがあってるって思いこんでたんだよ」
知らなかったとはいえあの時とかあの時の男にときめいてしまった自分をなかったことにしてください。
「じゃあ思い込みが解けた今どうするつもりだ?」
「う…」
男同士でつきあうわけか―――
「って、どうせフリだろフリ。なら今までと同じで構わないさ。
もし精神操作が消えても困るだろ。これくらいは協力してやるよ。
―――って、そもそも何で三人とも性別偽ってるんだよ」
「それが分かればもう全部分かってることだ」
「つまり教えるつもりはないと」
「そーいうこと。ヒントはもうやったろ」
佑磨はフェンスから背を離し、屋上の出口に向かって歩き出す。
その背に義純は声を投げる。
「ありがとな!」
佑磨は言葉では何も答えず、代わりに振り向かずに手を振って屋上から出て行った。
それを見送ってから義純はこれからの行動を考える。
三人が性別を偽っている理由が分かれば一気に事実に辿り着けるようだが、その分難易度も高そうだ。それよりもヒントとして提示された異端者を捜す方が、確実に事実に辿り着けるはずだ。きっと佑磨ならそういうヒントを選んでくれることだろう。
「高群の異端者、ねぇ…」
つまりはあの五人の中から例外を探し出せということだ。五人に聞き込みをすればいいわけだが、これまでの調子からしてそう簡単に答えてくれるようには思えない。
そうなると外部の情報から推理して―――ということになるのだが、義純は噂には哀しいくらいに疎かった。五人の名前も挙げられなかったほどである。
「となると、京極に聞いてみるしかないか」
つくづく頼りになる奴である。
この時間、いつもなら図書室で自習しているはずだ。早速話に行こうと足を踏み出し―――次の足が出なかった。
何と言って聞くのだ?
どこまで京極を関わらせていい?
―――兄の立場が、自分の立場になった。
恭輔は何も教えないことを選んだ。その選択が間違っていると非難するつもりはない。義純にとっては最良の選択ではなくとも、それもある側面からでは正しいのだ。
なら―――京極にとっての最良の選択とはなんだ? どの側面から見れば正しい?
それは京極ではない義純には出せない答えだった。
「なら―――聞いてみるしかないか」
京極本人に。
義純は図書室に急いだ。
自習スペースには予想通り京極の姿があった。今日はどうやら化学を勉強しているらしい。ノートにフリーハンドとは思えない程均整のとれた六角形のベンゼン環が並ぶ。
「京極、ちょっといいか?」
「ああ―――都竹か。どうやら高群佑磨との面談は終わったようだな」
京極は化学式とそれに対する注釈をさっとノートに書き留めてから、
「場所を変えよう。前と同じでいいだろう」
机の上に広がった勉強道具を片付けた。
そして文化棟の裏手に回る。前と同じで人気はなく、運動部の喧騒が遠くから微かに届くだけ。
義純は京極と真正面から向かい合って話を切り出した。
「佑磨からヒントを貰ってきた。
けど俺だけじゃそのヒントから答えまで辿り着くことができないんだ。だから京極に協力して欲しい。
だけど―――答えを知るかどうか、それは京極が決めて欲しい」
「それはつまり、知らない方が優る可能性もある事実という訳か?」
京極は冷静に分析する。
「そうだ。
京極には俺が桜羅を男としか思えないって既に打ち明けてある。だからこれは教えておく。
高群桜羅は男だ」
さすがの京極もこれには目を見張って驚いたようだった。たったそれだけかと思いたくなるような反応だが、彼はこういう男である。
「あれで男―――いや暗示にかかっていたのは一ではなく大多数、俺達の方だったのか―――」
「そうだ。あれで男だ。それでこれはオカルトなんかじゃない。そんな定義じゃ収まらない。
これが信じられないようなら、これ以上は知らない方がいい」
恭輔と同じ立場で、今度は佑磨と同じことを言っている。
ここまで知った時点で既にもう常識から外れているのだ。しかも最終的には恭輔や高群達と同じ、常識の圏外まで行こうとしている。
京極は答えた。
「信じられないな。
驚いたことに信じられない」
「そうか、それも無理はないさ」
その声はどうしても寂しさが抑えきれなかった。
「いや、すまない。言葉が足りなかった。やはり動揺しているようだ。
この状況でお前が嘘をつくはずないということは重々わかっている。それでも、俺は高群桜羅が男だと受け入れることができないんだ。勘違いだという懸念が捨てきれない。
おそらくこれが暗示の効果なのだろう。恐ろしいものだな」
性別の誤認識はおろか暗示だとすら認めさせない。
その暗示の強さ―――非常識さを目の当たりにさせられる。
「けれど俺はお前の言葉を信じる。もちろん協力も続ける。
その上で俺は聞かないという選択をしよう」
「そうか」
安堵とも残念ともつかない複雑な思いで、義純はその選択を受け入れた。
そして京極は告げる。
「俺がこの常識側にいたほうがお前も常識に繋がっていられるだろう」
「京極――――」
そこまで気が回せる男なのだ、京極は。
義純は破顔して感謝を告げようとした。
しかしそれよりも京極がさらに一言告げる方が早かった。
「今までと同じようにな」
「え?」
「都竹。今回の一件で確信した。お前は高群桜羅と同じクラスになるずっと前から、既に常識から片足を踏み外していたんだ」
「どういうことだ?」
訳が分からずそう聞くことしかできない。
「小学校中学年くらいまでの記憶や思い出、何か話してみろ」
「話してみろって―――」
訳のわからない問。
それでも義純は言われたとおり思い出してみる。
小学校中学年だから三、四年の頃までの記憶。
小学校で記憶に残りそうなことといえば、運動会、遠足、学芸会あたりか。だがそれは知識として挙げられただけで、自身の体験を引っ張ってきてはくれなかった。
何か―――何か思い出せないか?
しかしあれこれ思索しても何も出てこなかった。
唯一出てきたのは、進級初日に電車の中で新入生を見かけて小学校のことなど思い出せない昔のことだ―――としみじみ年月を感じたことだけだ。つい最近の記憶である。
「そんな昔のこと覚えてないって」
そんなものだろうと嘆息交じりに義純は返す。
しかし京極は険しい顔のままだった。
「小学一年の校内写生大会では課題が馬。皆幼児が描く典型的な拙い馬を書く中、俺は一人際立って写実的に輪郭を捉えクラスで金賞を取った。その時の担任が例年高学年を受け持つ厳しい教師で、珍しく新入生を担当したことも覚えている。三年か四年の時の学芸会では主役決めのジャンケンに負け、ナレーション兼背景の木などという役をやらされた。ああ、四年だな。三年の時は劇ではなく楽器演奏だった」
自らの小学生の思い出を淡々と語る。
さすが成績上位の京極、すごい記憶力である。
義純は感心した。
「感心してないか? 都竹」
「え、そりゃするだろ」
当然とばかりに返す。
京極の顔が曇った理由が義純には分からなかった。
「これくらい普通なんだよ。印象に残っている記憶ならこれくらい思い出せる。
だから」
京極は告げる。
「何も覚えていない方が不自然だ」
「そんな―――いやだって」
いきなりそんなことを言われても戸惑うしかない。
「なら聞くが。
小学校のことをいつまで思い出せた? 去年か? 一昨年か?」
ざわり。
「ずっとその前ではないのか?」
背筋が泡立った。
今、五年前の中学一年のことを思い出せる。社会科見学で京極と同じ班になった。
では中学三年の時、小学四年のことを思い出せたか? 中学二年の時小学三年のことは? 中学一年の時は―――?
思い出せた気がしなかった。
理論的に考えればわかるその不自然さ。
―――そうか、とっくに―――
沈黙を肯定と受け取ったか、京極が話し始める。
「仲間内で小学校の頃やそれより小さい頃の話題になると、決まってお前は聞き役に回っていた。俺が記憶している限りでは、中学の時でさえ小学校高学年以降の話しか聞いたことがない。その頃にちょうど御両親を亡くしたと言っていたから、御両親が健在であった時のことを思い出す事が辛いのだろうとそう思っていた。だから御両親の事も一切話さない。
けれどそれは違ったようだな。
俺はお前の口から、御両親がどのように亡くなったかを聞いたことがない。
お前は忘れたことかもしれないが、俺はよく覚えている。中学一年の夏、俺は以前から気になっていた御両親の死因をお前に尋ねた。そのときお前はなんて答えたと思う?」
そのやり取りを覚えていたわけではなかった。
けれど―――なんてことだろう。その時の自分の答えは想像がついた。
「―――覚えてない」
今聞かれても同じことを答えるのだから。
「その通りだ。
答えをはぐらかしたふうでもなく、本心からお前はそう答えたんだ。親の死因を知らないですらなく覚えていない―――しかもそのことを疑問にすら思っていなかった。それは今でも同じなのだろう? 俺は虐待の可能性も含め、都竹にとっては覚えているべき事ではなかったのだと推察し、これ以上触れるべきではないと判断した。実際、それ以降聞いたことはない。
だが果たしてその真相は―――小学校高学年になる前の時点で、お前は既に記憶を操作されていたのだろう。
とうに常識から片足を踏み外していたんだ」
「―――――――――――――」
明快な理論展開。
言われて義純はそれが客観的に見て不自然なのだと気づく。両親の顔も死因も、自分でも驚いたことに名前すらも覚えていなければ、いつからあのマンションに住んでいたのかも覚えていない。覚えていないと認識できても―――おかしいとは思えないのだ。だって記憶はいつか忘れ去るものではないか。つきあいの長い京極の言葉でなければ教えられた今でもそれに疑問を持つことはなかった。
精神操作。
両親が死んだのは九歳の時、八年前。それよりも前のことを思い出せないようにされたのだろう。
その時からずっと―――片足を踏み外していた。
ぐらぐらとした片足立ち。片足で立ててもいつか限界が来る。
そうか、だからこれほどまでに―――踏み外した片足の先、常識の外に足をつきたくなるのだ。
性別誤認識の暗示が義純にかからなかったのも、既にこの精神操作が行われていたためなのだろうと推測された。
「もっと驚嘆して取り乱すかと気が気ではなく話していたのだが、無用な心配だったようだな」
先程佑磨と話す前に聞いていればその心配は当たっていたのかもしれない。あれで十分非常識に耐性ができた。
―――それにそもそも。
過去が思い出せないくらい大したことないではないか。
どうせ忘れるのが過去、思い出せないのが過去なのだから。
周囲の認識と性別が違う方がよっぽどか厄介だ。
大したことないと―――あくまで主観的に―――義純は本心からそう思っていた。
「それは俺の科白だ。桜羅が男だって話していいものかどうか、結構悩んだんだぜ」
「十分驚いた。
それにお前の記憶の件もあったからな、既に常識で全ては語れないことを知っている」
「俺―――気づかないうちに京極にフォローされてたわけか?」
「年々幼少期のことが話題に上る機会は減ってきていたが―――昨年だとディベートの授業で積極的安楽死が論題になったときがあったな。覚えているか? 準備時間で意見をまとめるときに、残された側はどのように死を受け入れるかという話になって、既に親の死を経験している都竹に意見を―――という流れになりかかった」
「そんな論題があったことは何となく覚えてるがそれしか覚えてねぇ」
なりかかったということは、その前に京極が打ち合わせの流れを変えたのだろう。
もし意見を求められても覚えてませんとしか、断片的やおぼろげにすら答えられない。
そんなことを何度も繰り返せばいずれは何かおかしいと気づかれ、それは憐憫から異質なものに対する忌避に変わっていただろう。
今まで普通に学校生活を送ってこられたのは京極がいたからこそだったのだ。
義純は友の人知れぬ奮闘に、嬉しさと情けなさで泣きそうになる。
「そんな顔をするな。俺が勝手にやったことだ」
「でも随分苦労かけただろ」
「それを聞くのは野暮というものだろうが」
「そうだな―――悪い」
「この際言うが、やたらと謝罪するのも悪い癖だな。こちらが悪いと思ってないのに謝られると逆にこちらが謝りたくなるぞ」
「え、そうなのか? ―――悪い、癖になっててつい―――って、あ―――」
義純は両手で頬を叩いて顔を上げ、京極に向き合った。
「京極、お前のフォローは完璧だった」
何しろ庇われている本人すら言われるまで気づかなかった。
「ありがとう。
お前は俺の最高の友達だ」
義純は心から礼を述べる。
「気にするな」
笑えるくらいにいつも通り、京極は本当に大したことがなさそうにそう返したのだった。




