第八話 誤認識をしていたのは
体育の授業中は、あれ以上佑磨から話し掛けてくることはなかった。
グラウンドでいくつもの種目が行われる中、どよめきが起こり視線をそちらに向ければ、その中心にいたのはいつも佑磨だった。
運動ができて勉強もできる。おまけに容姿もいい。
しかもただできるのではなく―――格が違う。
そう思わせた。
義純は前回よりも軒並み振るわない記録を提出して、足早に更衣室に向かった。
とにかくこれで午前の授業は終わりなのだ、弁当でも食べて気分を切り替えなければ。
そう、弁当。
今日の昼は、仮にも恋人同士であるわけだから桜羅と食べるべきだろうか。特に約束も何もしていなかったが。
教室に戻ると既に桜羅が席にいた。見学なので着替える必要がないためだろう。
「昼はどうする?」
一緒に食べることが前提であるのを期待して声をかける。桜羅が振り向いて答えた。
「今日は先約がいるから」
おい。
前提は速攻で脆くも崩れ去った。
「燕返しが得意なわけじゃないから警戒はしなくて大丈夫」
「は?」
その意味と意図は何だ。
と桜羅に問う前に。
「都竹先輩、一緒にお昼を食べましょう」
何という既視感。
その声に振り向けば、いつの間にか燕路が弁当を手に義純の席までやってきたのだ。
「燕繋がり…」
また警告かと警戒しつつ呟く義純。
廊下から呼んだだけで上級生の教室の中には入らなかった結弦に対し、お淑やかな外見と物腰の燕路の方がどうやら度胸がいい。今朝の脅しを思えばそれも納得だが。つくづく女は外見にはよらないものだ。
つい青路の姿を捜したが、どうやら今回は一人らしい。あまりに嵌った対なのでいつも一緒にいるのかと思い込んでいたが、クラスも違うし、意外に学校では一緒の方が珍しいのかもしれない。
だがそんなことを考えるよりも面倒事しか起きない現実から目を逸らすよりも何よりもまず断らなければ。
金曜日につきあいが公言され、その開けたすぐ月曜日に他の女子生徒と二人で昼を食べるなど、桜羅は勿論周囲からも不評を買うに決まっている―――いくらその当の桜羅に断られたとはいえ。
「高群さん、悪いんだけど―――」
しかし燕路は最後まで言わせなかった。
「行きましょう、都竹先輩。桜羅、また今度一緒に食べましょうね」
「ちょ、おい!」
燕路は意外に強い力で義純を引っ張っていく。
引っ張る力が強い分、強引に振り払うにはそれなりに手荒なことになってしまう。それは躊躇われたので、義純は格好つかないが助けを求める視線を桜羅に送る。
桜羅はそれを受け、
「燕路の弁当はとても美味しいから分けてもらうといいわ」
不服でも怒っても、ましてや嫉妬もなくあっさりと平然として。
それは遠回しな許可だった。
―――余裕だなぁ。
それはやはり偽の関係だからだろうか。
こちらは偽でも一杯一杯だというのに。
燕路が引っ張って行った先は、定番どころか固定化している屋上だった。
「結弦と桜羅がはじめて貴方と話したのが屋上ということでしたので、私もそれに倣ってみました」
「倣う必要が何処にあるんだ」
若干辟易しながら問う。そのうち屋上の主と呼ばれるかもしれない。
「必要は十分にありますよ。こうして特別だったはずの屋上のお昼が、よくあるいつものお昼に成り下がってしまうのです」
あざとい。
仕草も容姿も口調も清純派の楚々たるもの。それなのに先程のあの強引さといい、一体どれほどの哀れな男が騙されていることか。
警告だけじゃ飽き足りないのかと、半分ヤケで燕路に問う。
「じゃあ何か? その為に俺は残る高群ファミリー二人とも昼を食べなきゃいけないわけか?」
「察しが良くて助かります」
墓穴は自分で掘る前から掘られていたようだった。
佑磨があのとき今日の昼は無理だと答えた真意がようやく理解できた。
そして先約があると言ったのは桜羅自身のことではなく、義純の方にだということも。既に桜羅と燕路―――いや高群ファミリーの間で話はついていたのだ。
―――この状況、家族ぐるみと捉えていいのか何なのか…
屋上に繋がるドアを開けて外に出る。
今日もまだ少し肌寒い。
指定席と化した階段室の横の壁に回る。
「ここがいつもの定位置だ」
「ならここで食べましょう」
燕路は上品にくっつけて揃えた足を離れることなく折り曲げて腰を下ろし、その両足をそのまま横に流した。女子がよくやる横座りというやつだ。流れる一連の動作に、ああ女の子なんだなぁと急に意識され、どきりとする。
それを悟られたら思う壺のような気がしたので、義純はできるだけ何気なさを装いその横に腰かけた。
―――そうか、認識が一致するからか―――
高群ファミリー三人目で、ようやく周囲と性別の認識が一致する者と昼を食べるのだった。
それに結弦は一緒に昼を食べた時点では女と思っていたが、じゃじゃ馬のお転婆。その姉である桜羅も、金曜に昼を食べた時はこんな横座りをしていなかったと思い出す。足を延ばして先の方で組んでいた気がする。男だという認識が根底にあるからか、いかにも的な女の子の仕草には気づかなかった。
だから女の子らしい女の子は燕路がはじめてだ。
―――これは手練手管に気を付けなければ―――
今まで女気のなかった義純は気を引き締めるのだった。
弁当を広げると、蓋を開けたところで燕路が注文を付けた。
「もちろん、おかず一品交換してくださいね」
「…はいはい」
「とても美味しかったと二人とも言ってましたので、楽しみにしてたんですよ」
「そりゃお粗末様でした」
そう返しながら、代わりにどのおかずを貰ってやろうかと燕路の弁当を拝見する。
「…………………。あまり期待するなよ。その弁当ほど手が込んじゃいないんだ」
煮物の人参は花形の飾り切り、面取りを越えている。一緒に煮込まれているのは蒟蒻と蕗で選択が渋い。卵焼きは色形よく焼き上げられ、焼き魚は鰆か。もちろんその他のおかずにも冷凍食品など使われていない。
お米でさえただ弁当箱に詰め込んだだけではなく、お握りでさえなく、料亭で出てきそうな上品な扇の型抜き。当然市販のふりかけなどこの弁当にあり得ず、旬のグリンピースと筍の混ぜご飯。ちなみにものすごく米粒がつやつやしている。高級米に違いない。
義純は反射で出た涎を嚥下した。
桜羅が美味しいと言っていたが、まさかこれほどまでとは。
「今日は特に何もない普通の日だよな?」
「料理好きなお手伝いさんがいますからね、いつもとても凝ったものを作ってくれます」
それは料理人を抱えているというのではないだろうか。
高群は名家だと言っていたことを思い出す。しかし桜羅と結弦の弁当はごく普通の庶民的な弁当だった。同じ一族といっても皆が同じ立場のはずはないだろう、燕路は当主の血統に近いのかもしれなかった。桜羅はオツキとか言われていたことも思い出す。
「だから私が美味しいって認めたならそれは誇っていいことですよ。
ええとですね、その卵焼きが欲しいです。あーんてしてください」
「――――――――――――」
何とか昼休みを切り抜けた。きつい戦いだった。
午後の残りの三時限を上の空になりかけつつこなす。これが終われば佑磨からヒントがもらえるのだ。
義純はHRが終わると、荷物もそのままに教室を出る。隣の五組が先に終わったのは廊下の様子から分かっている。はやる胸を抑え、駆け足気味に急いで屋上に向かった。
屋上に続くドアを一息に開ける。
そこには既に佑磨がいた。日が低くなった空を背景に、屋上を囲うフェンスにもたれている。
義純は彼の前まで歩くと、前置きもなしに話を切り出した。
「約束通り、ヒントを貰おうか」
「いいぜ。けどその前に一つ質問だ。―――いや、確認か」
僅かに躊躇うように呼吸をおいてから佑磨は言った。
「あんた、進級初日に血相変えてうちのクラスに顔出して、サクの性別聞いたらしいじゃねぇか」
瞬間駆け抜けるおそろしく嫌な予感。
それは無情にも外れはせず。
佑磨は告げた。
その事実を。
「サクが男だって気づいてるよな?」
「な!?」
それはヒントに匹敵する肯定だった。それだけの強烈な事実。
―――わかっていた。
そう思っていたではないか、桜羅は男であると。
だがそれは感覚の話で、理性では女であると理解していたのだ。どれほど桜羅の言葉遣いや動作が女らしくなく中性的であったとしても!
学年総数約三百名に対して自分一人。ならば間違っているのは自分の方で、そうでなければおかしいではないか!
どうやったら三百―――いや全学年含めればそれ以上の人間の認識を書き換えることができる!?
「…なら結弦と青路も?」
「分かってんじゃねぇか」
「嘘だろ―――」
声を絞るように呟く。
それを見て佑磨は苛立たしげに舌打ちした。
「なんだよ確信持ってたわけじゃねぇのかよ。
あーなら冗談、嘘だ。忘れろ」
「直感では確信してたさ男だってな! けどじゃあどうやって他の皆に女だって思いこませることができるんだよ!? 学校の書類上だって女じゃないのか!? なら男のはずないだろ!」
喚くしかできない義純を佑磨はどこか冷めた目で見下ろしていた。
「こうなったら明かしちまうが―――この学園を経営してるのは高群の分家筋だ。書類上の性別を書き換えるなんて無茶も通せる。
進級初日の日に全ての校門に精神操作の術がかけてあった。もし初日に登校しない奴がいても今のお前と同じだ、周囲の認識の方が正しいって思いこむだろ、自己防衛のためにな。何たって中高あわせて二千人、自分以外の全てに自分を否定されちゃキツイだろうぜ。
これが真実だって受け入れられなきゃ、これ以上知ろうなんてするな」
二度目の警告。
膝が崩れ落ちそうになるのを義純は意地だけで堪える。
未知のものへの恐怖。常識から外れることへの恐怖。
二千人などという規模で人間に暗示をかけるなんて可能だと信じられるか!?
一体どうやって!? そんなこと分かるはずもなかったが、分かる可能性のある思いつける手法―――心理学的手法や催眠的手法―――だとは思えなかった。規模が大きすぎる。精神操作にかかる条件が安易すぎる!
覚悟はしていた。それもつい昨日! そのはずなのに―――!!
一切何も教えてくれなかった兄に、義純ははじめて感謝した。簡単には教えようとしてくれない高群達にもその判断の正しさに礼を言う。
桜羅が見せた発火。
それは結局のところ、人よりちょっと特別なことができるという程度にしか受け止められていなかったのだ。スプーン曲げ程度としか!
これのどこがスプーン曲げだ。鉄筋を折り曲げるようなものではないか。周囲への影響力が違う!
甘かった。
余りにも認識が甘かった。自分が向き合おうとしていることへの認識が甘かった。
あの兄があそこまで、今でさえ教えようとはしない事実が、そんな生半可で生易しいものなわけがないだろう!!
「ヒントも聞かずこのまま帰れ。帰って布団被って寝て全部忘れろ。
それでも誰も責めやしねぇよ。むしろ喜ぶ奴のが多いだろ」
佑磨が憐れむように促す。
「……………………」
それでも。
その足は、その身体は、その意志は。
動かなかった。
自分が知るべき事なのだと、理性ではない何かが訴えかける。
義純はゆっくりと頭を左右に振った。
いるではないか―――責める者がここに! 自分が!
義純はいつの間にか俯いていた顔をゆっくりと上げる。
それが何の癪に障ったのか、佑磨は声を上げた。
「震えてるくせして粋がってるなよ馬鹿が! 普通の常識ン中でぬくぬく育ってきたお前が俺は昔っから気に入らねぇんだよ!
―――いいぜ、なら望みどおり目に物見せてやろうじゃねぇか」
何をするつもりなのか。
佑磨は右腕を伸ばして前に突き出した。
「どうせお前も逃げ出すんだろ」
その腕を左から右へ、横に薙ぐ一閃。
その瞬間。
青。
鮮やかな青い炎が義純の視界を埋め尽くす。
とてもではないが桜羅が見せた炎の比ではない。あれがスプーン曲げならこれは鉄筋を束で捩じ切る。もはや超能力などではない。異能力。超えた能力ではなく異なる能力―――人とは異なる能力。
高群一族が持つ能力。
ゆらりと炎が大きく揺れて視界が開けた。
そこに立つのは炎の中に平然と佇む佑磨の姿だった。
義純は息を飲む。感嘆する。圧倒されて腰を抜かす。
ああ、やはり―――なんて綺麗なのだろう。
佑磨は足元から自らの背丈にも及ぶ炎を纏わりつかせ、火傷はおろか服さえ焦げでおらず、汗ひとつ掻いていない。
危険であるはずの炎が、異様なはずの光景が、常軌を逸した非常識が、言葉も出ない程に美しいと思った。
「逃げろよ」
苛立たしげに佑磨が低く告げる。
しかしそう言われても、何故その必要があるのかピンと来ない。
―――あれは。自分を、傷つけない。
そう分かっていた。
だから危険など全く感じなかった。
だったら―――
「何を恐れてたんだろうな」
座り込んでいた義純は立ち上がる。
そしてそのまま前に詰め寄った。炎を纏ったままの佑磨に。
「お前何考えて!?」
咄嗟に後ずさろうとしたようだが佑磨は既にフェンスを背にしている。体重のかけられたフェンスがぎしりと鳴った。
炎の中まっすぐに伸ばされた義純の手が炎ごと佑磨の腕を掴む。焦った佑磨は振り払おうと腕を動かそうとしたが、強く掴んだ義純はそれを許さなかった。
それよりも炎を消せばいいと佑磨が気づいて実行したのはその後の事である。
「ほらやっぱ逃げる必要なんてなかったじゃないか」
そう言って義純は得意げに笑ってみせる。
義純は手を放し、確かに炎に触れたはずの掌に視線を落とす。火傷もなければ赤くなってもいない。
「馬鹿が! 結果論だ!」
佑磨の方がむしろ顔を赤くして叫んだ。
「その手どころか全身が炭化して灰になってもおかしくなかったんだぞ!?」
「けどそうならなかったじゃないか」
この炎の燃やす燃やさないは佑磨の意志一つなのだろう。佑磨は最初から脅しとしてしか使うつもりがなかったのだ
「あんたも意外に人がいいんだな」
佑磨は義純が何も知らないことを不満に思っていたはずなのに、さっさと教えることもせずこれだ。ここまでの能力を見せることに抵抗がないはずはないだろうに。
その言葉に佑磨は面食らった反応を見せる。
「何言ってんだ馬鹿が」
「お前だけじゃない。高群ファミリーは皆人がいい。よすぎるくらいにな」
兄弟仲の為にあえて能力を見せてくれた桜羅も。一緒に昼を食べただけで元気を分けてくれたと言ってくれた結弦も。事実を知らない義純の為にわざわざ警告をしてくれた青路燕路も、皆。恭輔だってそうだ。
「だからこそ。
それに甘えたくないんだよ。
なあ―――俺もそっち側に立ってもいいか?
同じ場所に立ちたいんだ。それがどんな場所だとしても、高群達と兄さんの立つ場所なら俺は立ちたい。立ってやる!」
それは異能者達の世界。常識からの完全な圏外、疎集合。片足を突っ込むなどできず、勢いをつけて飛び移るしかない程の隔たりがある場所。
今、自分はきっと泣きそうな情けない顔をしているのだろう。それでも俯きはしなかった。
佑磨はそんな義純の様を笑ったりも、見捨てたりも見限ったりもしなかった。
「やっぱ馬鹿だろお前」
佑磨は溜め息を吐いて頭を掻いた。
「高群の異端者を捜してみな」
「! それって―――」
「ヒントだ、それぐらい察しろ。
もともとその約束だっただろうが」
義純は引きつって固まったままの顔で無理やり笑顔をつくる。
「そうだったな。ありがとう、佑磨」
「―――――――――。別に俺はお前が何も知らないってのが気に食わないだけだ」
視線を逸らして小声で口ごもる佑磨に、捻くれてるなと義純はまた笑う。
―――高群の異端者。
そいつを捜せばきっと真実にたどり着ける。
恭輔や高群達が常識とする非常識に。




