第七話 常識外からの警告
週が明けた月曜日。
登校した義純が三年の教室の並ぶ廊下に入ると、何やら人だかりができていた。
案の定かと溜め息交じりにクラスプレートを確認すると、やはりそれは三年六組の前である。
高群ファミリーの桜羅に恋人発覚のニュースが流れたその日の帰りには、妬みか興味本位か、同じように生徒が押し寄せたのだった。桜羅の人気も大したものである。
その日は桜羅、結弦以外の高群ファミリーに接触する予定だったのだが、もちろんそれは延期で逃げるように帰宅したものだ。
今朝も桜羅の恋人見たさに早くから三年六組の前に集まっているのかと思ったのだが―――どうにも様子が違った。
彼らは既に教室の中に注目していて、お目当ての人物がいたようで既に盛り上がっているのである。
―――桜羅がまた爆弾発言してるんじゃないだろうな…
そんな心配をしつつ、人込みをかき分けて教室に入る。
途中、おいあれ、あれが? あいつが? みたいな声が散々かけられたが、それは気にしないことにする。
そして説明されるまでもなく人込みの中心を理解した。
桜羅の席に座る―――正確には一人が腰かけ一人がもたれかかった二人の生徒。
―――なんと上手いことつくられた対だろう。
対の人形。
希代の人形師がつくった一つの型から取り出された、同じ素体を持つ愛らしい二体の人形。
それに男装と女装、動と静、太陽と月、シチュエーションまで立と座。
名前を訊ねるまでもない。
「おはようございます。都竹先輩ですよね?」
それはどういうわけか向こうも同じだったようで、ほとんど確信した口調だった。
義純はこの前聞いた京極の説明を思い出す。
青が男、赤が女。
ならば今名前を確認したのは男装の方だったので、青―――青路だ。
「おはよう。そうだけど。二人は高群青路と燕路だよな?」
「そうです」「そうです」
異口同音。
二年の高群ファミリー、双子の兄妹である。他学年の生徒は普段目にする機会がないうえに、京極の情報では双子はクラスが別々だったはずだ、一緒に見られる機会はさらに減るためこうして人だかりができているのだろう。
―――半分は当たりで半分は外れ、か―――
今まで二件とも外したことを考慮すれば喜んでいいのか悪いのか微妙である。
燕路は問題なく女だと感じたが、青路の方は逆、女だとしか思えないのであった。
「うーん、なんだろう。桜羅が先輩を恋人に選んだ理由、僕分かる気がするな。 だってすごく良い人そうだし」
それはどういう理由だ。
「そうね、人の好さでも溢れているのかしら。会ってみなければわからないものね」
さっぱりと快活に話す青路に対し、燕路の楚々として鈴を転がすような声音に語り口調。面白いくらいに対になる。
同じ服を着てウィッグをつけて写真を撮れば見分けはつかないだろうが、こうして対面すれば簡単に見分けがつく。
二人の視線が義純を向いた。
「桜羅から話は聞いてるよ」
「件の彼氏さんがどのような方かお会いしたくて、こうして他学年のクラスまで押しかけてしまいました。クラスの皆様方にはお騒がせして申し訳ありません」
そう言われてなんとなく周囲に気を回せば、いつの間にか見物人たちの話声のトーンが落ちていた。
ひょっとしたら、これからいわゆる昼ドラ的な展開が起きることを期待されているのだろうか。
だとしたら残念ながら期待には応えられない。
これは昼ドラなどではなく謎解きサスペンス、もしくはホラーなのだから。
「そうそう、だからこれ以上は遠慮しなきゃ。場所を変えて話さない?」
「そりゃ助かる」
義純にも公に知られずに聞きたいことがある。性別誤認識の件と、それに土曜に知った高群の発火能力についてだ。
恭輔があそこまで隠そうとするくらいなのだから、関係しているのは桜羅一人ではなくその一族含めた規模であってもおかしくない―――そう踏んでいた。
自力で事実を探し出すと豪語したが、実のところ高群ファミリーの誰かに聞けば教えてくれるだろうという甘い目論見もあったのである。無論、決意と意気込みに偽りはないが。
時計を見れば、朝のHR十五分前。二人の話を聞いた後で質問できるどうか怪しいところだが、話の優先順位は譲るべきだろう。
そういえば、いつもであればとっくに桜羅が登校している時間だが、今日はまだ来ていない。
どうしたのだろう―――と気にはなったが、まだ十五分ある。
義純は双子二人を引き連れて、がっかりムードが漂う教室を出た。
向かう先は東棟と西棟を繋ぐ渡り廊下。HR前で移動教室の生徒が通らない渡り廊下は折よく無人だ。
「それで話ってのはなんだ?」
「警告」「警告」
即答。だからすぐにその言葉の意味を捕えることができなかった。
「は?」
間の抜けた声を間の抜けたタイミングで出す。
「私達は偽の関係だから認めているの」
燕路の静かだがきっぱりとした宣告。
青路はすっと目を細め、義純にぐいと詰め寄った。至近距離で剣呑な光を帯びた目と目が合う。
「本気になったらタダじゃ済まさないよ」
二人はそれで用は済んだとばかりに立ち去ろうとする。
―――何だよそれ。
誰がそれで納得できる!?
「待てよ」
二人は立ち止まって左右対称に振り向いた。
「どういうことか説明しろよ」
鏡のように顔を見合わせ、同時に呆れたように、または憐れむように嘆息した。
そして再び義純を向いたその眼に。背中を粟立たせられる。獣のような鋭さ。
「貴方ではつりあいません。
などという建前では引き下がっていただけそうにありませんね」
「となると、それはとてもじゃないけどHRまでに話し終えられる内容じゃないね、量的にも質的にも」
「佑磨は何も知らないことが腹立たしいと言っていたけれど、私は逆みたいね。
普通でいられる有り難さも知らないで普通からはみ出そうとするなんて、普通ではいられない私達に対する嫌味でしかないわ」
「それにいちばん血が近い恭輔が話さないなら僕達も話せない。桜羅みたいに同じ兄として尊重とかいうんじゃなくて、それくらいの分別はあるから」
「つまりそれほど気軽に聞いてよい内容ではないのです、都竹先輩」
似た顔から似た声音で、次々に畳み掛けられる。目眩を起こしそうだった。
「それではこれで。時間が迫っているので失礼します」
今度は引き止めることができなかった。
まさかの身内からの警告。
そして何かが―――何かが引っ掛かったのだ。
警告ではない何か。何が気になったというのだろう?
とはいえ、確かに今は時間も問題だ。笹ヶ原学園の生徒はサボりはおろか遅刻すらしないのである。義純は足早に歩き出しながら考える。
恭輔から聞けないのだから、他の誰かに渋々でも話してもらうしかない。桜羅は無理として、結弦も聞きづらいものがある。そうなると残るは一人、三年の佑磨だ。今日の昼か帰りに聞きに行くことにする。
「おはよう、義純」
渡り廊下から教室前の廊下に入ったところで、ばったり桜羅と出会った。思索に耽っていた義純はその声に顔を上げる。
―――偽なんだよな―――
その顔を見て、今更ながら改めてそのことが頭を過ぎった。
―――つりあわない。
あの二人は建前と言っていたが、本音でもあるのだろう。そして厳然たる事実でもあるのだ。
―――だったらそれまで十分楽しませてもらおうではないか。
結弦の熱が冷める、そのときまで。
義純は笑って挨拶を返す。
「おはよう。今日は遅いんだな」
二人で並んで教室に向かう。一緒に入れば注目を集めるのは確実だが、かといってわざわざばらばらに行くのも馬鹿らしい。
「結弦が寝込んじゃって」
「!?」
本当に物理的に熱を出していた。
金曜日の昼にはあれほど元気だったはずだが。
「大丈夫なのか?」
「鼻も咳も出ないから風邪ではないみたいなんだけど。
金曜の夜、頭冷やしてくるって一人で遅くに出て行って。そのときに頭どころか体まで冷やし過ぎたみたい」
「…………………。結弦によく謝っといてくれ」
早く立ち直ってくれることを切に祈る。それで男色嗜好も直れば丸く収まるのだが。
「お前も気を付けろよ、身体弱いんだろ?」
体育は常に見学するほどである。
そう言われた桜は瞬きをして、一瞬虚を突かれたような顔をした。
「そうだね、気を付けるよ」
―――なんだったのだ、今の顔は。
まるで自分の身体が弱いことを忘れていたような―――
デリケートそうなことを深く聞いていいものか躊躇っているうちに、始業のベルが鳴りはじめる。
二人は慌てて三年六組に駆け込んだ。
「なぁ都竹、どうやって高群桜羅を落としたんだよ? 手法を伝授してくれ!」
―――こいつ誰だっけ…
金曜の昼に桜羅とつきあっているという情報が流れ、土日を抜かせば今日はその翌日になる。
今まではあえて避けていたこともあり―――おかげで未だにクラスメイト全員の顔と名前が一致しない―――大してクラスメイトから話し掛けられることもなかったのだが、それが今では休み時間ごとに何人も集まってくるほどだ。高群ファミリーの人気は恐ろしいものである。
今のところミーハーな好奇心からくる質問ばかりで誹謗中傷の類はない。今まで地味な学生生活を送ってきたので、戸惑いはあるし鬱陶しくも感じるが、正直なところこうして注目されるのもそこまで悪い気はしない。
実は桜羅とはフリでつきあっているだけなので、集まってくる彼らには心苦しいところだが。
次の四時限目、昼前最後の授業はグラウンドで体育。
「悪い、次体育だから先に行く」
義純はこの一言で全ての質問に答えると、体操服が入った袋を机の横から取り上げて、残念がる彼らを後目に教室を出た。
体育は特に好きな科目でもなかったのだが、この便利な一言のおかげで毎時間待ち遠しくなりそうだった。
グラウンドの端にある更衣室で着替える。なおここでも質問攻めであり、体育を待ち遠しいと思うことは今後一切ないことが確定した。男しかいない遠慮のなさか、女の桜羅本人に聞かれたら謝るしかないレベルの質問が飛び交ったのである。
出来得る限りの速さで急いで着替えて外に出た。
今月と来月の体育は、グラウンドで陸上か体育館で器械体操かの選択で、義純は陸上選択だ。男女別かどうかは種目によるが、今回はどちらも合同の種目である。
グラウンドに出ると見知った顔を見つけた。これ幸いと義純はそちらに駆け寄る。
「京極!」
ストレッチをしていた京極は姿勢を解いて義純の方を向き直った。三年五組と六組は体育が合同なのだ。
「おお都竹。一日で随分有名人になったじゃないか」
「白々しいな。お前には金曜に電話で話しただろうが」
いつの間にか気負っていた物が抜けて、義純は軽口で返す。
事情を知っている者がいるというのは、それだけで随分気が楽になるものだった。
「覚えているとも。
だがここまでの人気ぶりを見せつけられてはそんな言葉も口にしたくなるというものだ」
「替われるものなら替わってもいいぞ」
「遠慮しておこう。俺は一般人で十分だからな。
ちなみに彼はお前の目にはどう映るんだ?」
そう言った京極の視線の先を辿れば、その先にいたのは美形の男子生徒。ちょうど更衣室から出てきたところだ。
笹ヶ原学園指定の体操服は色デザイン共にセンスが良く生徒たちにも評判なのだが、彼ならどんなダサいジャージでも格好よく着こなしてくれるに違いない。
そんなモデルをやっていてもおかしくない容姿なのだが、惜しいことに雰囲気や目つきに険がある。普段あまり笑わなそうなタイプだ。もっともその危ないところに惹かれる女子はたくさんいそうだが。
そしてこの流れで聞くからには思い当たるのは一人しかいなかった。
「あいつが高群佑磨か?」
「ご名答」
そういえばこの前のメールには三年五組、つまり京極と同じクラスと書かれていたことを思い出す。既に先週も体育の授業はあったが、その時は特に佑磨を意識してはいなかった。
「有り難いくらいにどうみても男だな」
「そりゃよかった」
つまりは周囲の認識通り。
確かに女装すれば似合いはするだろうが、それは容姿が整っているからで女らしいとはまた別だった。
「けどな。今朝二年の双子に会ったが、兄の方はあれ女にしか見えないぞ。そもそも妹と同じ顔じゃねぇか」
「気持ちは察するがあれでも男だから仕方ない」
何が仕方ないだと義純は言い返そうとしたが、その言葉を出す前に口を閉じた。
当の高群佑磨がこちらに近づいてきたからだ。
「あんたが都竹義純か?」
「そうだ」
―――また警告か?
つい義純は身構える。
佑磨は値踏みするような目で義純をじろりと見てから告げた。
「100m、俺と勝負しろよ」
「は?」
予想外の申し出に義純は困惑する。
「まだチャイムには時間があるし、100mのトラックはすぐそこだ。構わないだろ?」
「なんでそんなことしなきゃならない?」
「興味がある、それだけだ。安心しろ、俺に負けたらサクと別れろとか言うつもりはねぇよ」
サク―――桜羅か。
ああ俺に勝たなきゃ認めんという展開もあったのかと言われてやっと思考が追い付いたが、それも違うという。
狙いが読めないので受けるかどうか答えかねてしまう。
スポーツテストの結果を思い出せば避けたいところなのだが。運動部ではない者の体力などその程度である。
「ならそれこそ勝負して何の意味があるんだ?」
そこに口を挟んだのが京極だった。
「片や陸上部の短距離選手に引けを取らず、片や平々凡々な記録を出すのも怪しい。
どちらが勝つかは明白だろう、試すまでもない。
それとも。衆人の注目を集める中で大差で都竹を負かし、恥をかかせる算段か?」
「お前―――!」
そのつもりなのかと義純は反射的に佑磨を睨みつける。
それを受けて佑磨は苦い顔をして舌打ちした。
「誤解だ誤解、そこまで考えちゃいなかった。
ただ本当はもっと速く走れるんじゃないか、そう思ったから確かめてみようとしただけだ。
けどま、そう言われて勝負させるわけにもいかねぇか。あんたが恥かく分には構わねぇが、それじゃ俺が悪役だ」
意外にあっさりと引き下がる。
その代わり義純を強い視線で見据える。
「確認するが、お前、あのスポーツテストの結果や体育の授業中、手を抜いてやしないよな?」
「してない」
今度は即答した。
「他の科目の試験も?」
「残念ながら全力だ」
張りつめた間が空く。
佑磨が判断を下した。
「いいだろう、信じてやる」
佑磨は用は済んだとばかりに聞くだけ聞いて去ろうとしたが、それを義純は引き止める。
「待てよ。こんなことを聞いてどうするつもりだ?」
佑磨は立ち止まって肩越しに振り返る。
「今ここで答えたらお前は確実に困るぜ。ま、それは俺も同じだから答えねぇが」
つまりは―――常識外。それに繋がる答え。
義純は佑磨を見返した。
「なら今ここじゃなければ答えてくれるわけか?」
朝の双子の言葉を思い出す。
佑磨は何も知らないことが腹立たしい―――そう言っていた。つまり裏返せば―――知って欲しい。
高群ファミリーで話を聞ける可能性がある、最後の一人。
ここでチャンスを逃すわけにはいかない。視線を逸らさず見据え続ける。
どういうつもりか佑磨は鼻で笑った。
「今日の昼―――は無理だろうから、今日の放課後。場所は屋上にするか。そこでヒントぐらいは教えてやるよ」
一方的にそう答えて今度こそ佑磨はその場を離れていった。
義純は知らずに拳を握っていた。その拳をさらに強く握る。
隠された事実に大きく近づく道筋ができたのだ。




