第三話 高群キョウダイ、深まる謎
新学年四日目。つまり木曜日で翌日の昼休み。
「都竹、いるか?」
義純が驚いたことに、珍しく京極が六組に顔を出したのだ。しかも片手に弁当の包みを掲げてみせる。
今までは同じクラスの友人と昼飯を食べていたはずだが。
―――ふっと、顔の表情が緩むのが自分でわかった。
京極が昼飯に選んだ場所は定番と言えば定番、屋上だった。
義純は自然、昨日のお転婆娘がいた階段室に目が行くが、人影は見当たらなかった。今日は宣言通りクラスで食べているのだろう。
あいつもあいつで頑張っているようだ。
―――ならこちらも、ケリをつけなければなるまい。
二人は適当なところに腰を下ろすと、各々弁当の包みを広げる。
「で、何があったか俺は聞かない方がいいのか?」
京極はあくまでさりげなく唐突に切り出した。
義純は危うく箸を落としそうになるのをこらえる。
―――いやまぁ、そうだろうなぁという気はしてたんだが…
京極には初日にあの質問をしているし、義純がクラスメイトと親しくするのを避けているのは傍から見ればあからさまだったのだろう。
ちょうどいい機会、むしろ望むところだ。
全て話したうえで、それで全て否定してもらう。
そうすればきっと馬鹿な話だったと終わりにできる。
気の置けない友人、さらに理知的な京極ならその相手にうってつけだ。そのつもりで今日はもとから京極を昼飯に誘うつもりだったのだ。ちなみに予定の上では明日の昼はクラスメイトに声をかけることになっている。
そして高群桜羅に関する一件に関して、義純は京極に話して聞かせた。
「まず都竹。断言してやる。高群桜羅は女だ。
俺はそう記憶しているし、クラスの奴等だってそうなのだろう? そのうえ学校側の登録情報でも女だ。
それなのにどうしてそこまでして高群が女であることを否定するんだ?」
「どうしてって…
あの顔と名前で男かよって印象に残ってたし、男物の制服を着てたとこも覚えてる」
後から聞こえた話では高群桜羅は体が弱いらしく、体育は常に見学らしい。まさに絵に描いたような深窓の令嬢である。
だからこうも話が長引いているに違いない。水泳の授業に出ていれば一発で解決した問題だろうに。
「うちの学校、女は女物、男は男物の制服を着なければならんという校則はないぞ」
「…………………。あー」
義純は間抜けな声を上げる。
昨日まさにその実例と出会っておきながら何を失念していたのだろう。
義純が高群を男だと思っていた理由の一つは、以前男物の制服を着ていたから。だがこれでそれも確証ではなくなった。
そしてもう一つの理由は噂で男であると聞いていたから。つまりは人聞きなのだ。
噂の人聞きで男だと判断して、生の言葉である女だという意見を否定する。
本来どちらを重要視すべきかなど明白ではないか。
これで桜羅を男であると言い張る理由はなくなった。
「常識で考えてみろ。
もし仮に高群桜羅は男で、新年度から女装してきたとする。それでどうしてお前以外の決して少なくはない人数の記憶を、男から女に書き換えることができる? そこまでして女装する意味は何だ?
どうだ、随分無理のある仮定だろう」
確かにそうだ。無理がありすぎる。
冷静に諭されてみれば理解できる。まさしくその通りだ。
だが――――――
何故だろう。
「それでもまだ俺はあいつは男だって思ってる」
目の前の友人が男だと認識しているのと同じように、高群も男だと認識しているのだ。
京極が呆れて溜め息を吐いた。
無理もない。本人も本人に恐ろしく呆れているのだから。
「一体どんな噂を聞けばそこまで徹頭徹尾思い込めるというのだ。
今まで見かけたことがあるだけで、御当人に会ったこともなかったのだろう?」
「そのはずなんだけどな」
けれど初日のやり取りをふと思い出す。
―――桜羅は以前から義純のことを知っていたのではないか? 有名でも何でもない義純を―――
回想に沈みかけた義純に、京極が険しい顔をしてさらに義純に問う。
「それならどうしてそこまで、会ったばかりの他人の事が気に掛かる? 言ってしまえばただの勘違い。それで終わる話の筈だ。
なのにお前は未だに高群桜羅が男だと主張する。
おかしくはないか?」
「――――わかってる」
それには薄々気づいていた。
自分以外の全てが自分の意見を否定する。しかも状況的に筋が通っていないのは自分だと理解してもいる。決定的な根拠があるわけでもない。
それなのに自分のこの確信はどうだろう。そしてこのこだわりはどこからくる?
違和感。自分に違和感がある。自分はそこまで頑迷な奴ではなかったはずだ。
「都竹。これはあくまで仮定の話だが―――」
京極はわざわざ前置きをして言った。
「多数の人間の意識を操作するのは困難であっても、それがたった一人ならば難易度は格段に下がるのではないか?」
「おいそれってつまり俺が―――」
意識操作。催眠術。暗示。
そんなオカルトめいた単語が頭を巡る。
得体のしれない何かが背筋を駆け抜け凍らせた。
何かは分からない。
だが確実に、自分の身になにかが起きているのだ。しかも―――普通ではない何かが。
「オカルトめいた話を信じてはいないのだがな。
けれど入り口がそう見えるというだけで、実際突き詰めてみればオカルトでも何でもないかもしれん。オカルトと思ったら実はトリックなどという話はざらだろう。
オカルトだから即却下というのも、原因追及の放棄という点では論理的ではないな」
「京極―――」
「友人が困っているんだ、助けるのは当然だろう」
ストレートな言葉は照れ臭かったがそれ以上に素直に嬉しかった。
「ありがとう、京極」
「気にするな。
ではさっそく行動に移そう」
「え、まさかいきなり高群に!?」
京極は理知的な性格をしている分、無駄に躊躇することをしない。判断から行動が早いのだ。
「まさか。
まずは情報収集が戦略の基本だろう。
―――お前はどれだけ知ってるか? 高群ファミリーの事」
「え、高群家ってのがこのあたりじゃ有名で優秀で裕福な家柄で、その家の生徒がまとめてそう呼ばれてるってことくらいしか知らないけど」
「つくづく噂には疎いな」
呆れる―――というよりは諦めの溜め息。
「仕方ないだろ、情報源と接点がないんだ」
一方京極は茶道部在籍。去年は部長まで勤めている。茶道部となればやはり女子部員の方が多いらしく、そのため京極は堅物の性格でありながら噂には強かった。
本人いわく聞きたくなくても聞こえてしまうらしい。
「ならば高群桜羅に弟がいるということは?」
「そうなのか」
おそらく桜羅に似た美形の弟なのだろうと想像する。
「高群ファミリーのメンバーならこの学校の生徒全員が列挙できると思っていたが、何事にも例外はつきものだったな」
「さらりと酷いこと言ってないか?」
「気にするな。
まずはその弟に探りを入れてみようということだ。
上手くいけばあっさり姉の所業について白状してくれるかもしれんぞ」
突破口は見えた。
イコール解決ではないが、やることが見えているのといないのでは雲泥の差だ。
義純はさっそく今日の放課後、高群弟に会いに行くことに決め、昼休みの残り少なくなった時間で弁当をかきこんだ。
帰りのHR終了後すぐ。一年三組。
高群弟こと高群結弦が在籍するクラスである。
義純は一人でその教室の前に来ていた。男の先輩二人が下級生一人を呼び出すというのはどうしても警戒されるからである。
できる限り急いで来たが、HRが終わる時間はクラスによりばらばらだ。結弦が帰宅していなければいいのだが。
「高群結弦っているかな?」
教室を覗いて近くにいた男子生徒に、できるだけフレンドリーを心掛けて声を掛ける。男子生徒はいますよと気軽に応じてくれた。
そして彼の向かう先を視線で追うと―――まさか。
ものすごく嫌な予感がした。
他学年に知り合いなどいない筈の義純が、見知った顔がいた。つい昨日会ったばかりの顔が。屋上であったあいつが!
やめてくれ―――という義純の切実な願いも空しく、男子生徒はそいつに声を掛けたのだった。
確かに言われてみれば姉(兄)同様、綺麗な顔をしている。幼さがある分可愛い系の印象が強いが。
きょうだい(どの漢字を当てるべきか)だと言われれば納得する。
―――高群ファミリーが校内で有名なのはその家柄もあるが、そろいもそろって観賞用レベルの美形だからだ―――
京極のそんなセリフが思い起こされる。
ただ綺麗というか―――そのどこか周囲と一線を画す高貴な雰囲気。それがなお魅力的に見せるのだ。今のようにクラスメイトに囲まれているとそれがよくわかる。
―――なるほど、観賞用という表現は的を射ているのだろう。手も触れられない芸術品。まさしく高嶺の花だ。
義純はこちらにやってくる、昨日屋上で出会った彼―――高群結弦を眺める。
やはり女にしか見えなかった。
どう見ても女にしか見えなかった。
女装したら絶対騙される、どころではない。男装でも騙される。昨日現に騙された!
まさか弟の性別まで疑ってかかることになろうとは!!
「昨日はありがとうございました。
ボクに何の用ですか?]
「え、あ」
当人を見ていながら当人が目の前にやってくるまで気づかなかった。
義純は慌てて意識を切り替える。
当人の性別も疑わしいことこの上ないが、それよりまずは高群桜羅だ。質問内容はすでに考えてあった。
「お兄さん―――高群桜羅に関して聞きたいことがあるんだ」
恐ろしくストレート。
さあどう返す!
「何言ってるんですか、先輩?」
きょとんとして結弦は答える。
「ボクにいるのは兄じゃなくて姉ですよ?
間違えないでください」
ぶすっとしてつけたした。
―――それはそうだろう、女を男に間違えるのは普通に失礼だ。
しかもあんな綺麗な姉を男に間違えられれば面白いはずがない。
こちらの顔が引きつるほどに目が全く笑っていなかった。
ということは――――
義純は盛大に溜め息を吐いた。
ここで結弦がネタばらししてくれればあっさり解決したものの、むしろ仕掛け側らしい。
そう簡単には解決しそうになかった。
「あー変なこと聞いて悪かった。
じゃ、オネーサンによろしく」
あまり意味はない別れの常套句。
「はい、わかりました!」
元気よく答えた結弦の言葉を背中で聞き、義純はその場を後にした。
義純が一年三組の次に向かったのは図書室だった。途中三年六組に戻って鞄を取ると、外に出るため昇降口から靴に履き替える。図書室は文化棟にあり、校舎とは渡り廊下でつながっていないのだ。授業であまり使う場所でもないので特に不便はない。中高共用の施設で、一番面積を占める図書室の他に茶道部用の和室など文化系の部活のための部屋が入っている。
義純は文化棟の入り口で下駄箱からスリッパを出して履き替え、中に入った。
自習スペースは新学期早々だというのにそれなりに埋まっていて、さすが名門進学校というところだ。
ざっと見回すとすぐに京極の姿が見つかった。
義純が近づくと足音で気づいたのだろう、声を掛ける前に問題集から顔を上げた。
「早かったな。どうだった―――かは聞くまでもなさそうだ」
表情で察したらしい。
京極とは報告のため図書室で待ち合わせることになっていたのだ。
「そういうこと。むしろ状況悪化だ」
「容易に事は進まないか。
場所を変えよう」
「悪いな」
「構わん。数学の問題に煮詰まっていたところだ」
ちなみに東大入試問題らしい。
京極は手早く机の上を片付け荷物をまとめ、二人で図書室を後にした。
移った場所は文化棟をぐるりと回った裏手。近くに他の建物はなく、入り口から離れた陰になる場所でちょうど人気もない。
義純は結弦とのやりとりを京極に聞かせる。話しこんでいたわけではなかったのであっさり説明は終わった。
「俺は前情報として高群結弦は高群桜羅の弟、男だとお前に教えた。つまりお前は高群結弦が男だという認識の上で対面したことになる。
だがその認識を塗り替えた。
確かに前情報としては少なかっただろう。同学年の高群桜羅に比べれば尚更だ。
それにしたところで、姉は前情報を重視し、弟は見た目を重視する。
その差はどこからくる?」
「それは――――」
指摘されて気づく。
前持った情報で認識するなら結弦は男と認識しなければおかしいし、見た目なら桜羅は女だ。
「で、高群桜羅が男であると言い張るのと同様に、男である高群結弦は女だと言い張ると」
「そーゆーこと」
そう。どんなに周囲が女だ男だと言おうと、内心では違うと、男だ女だと反論するのだ。
「直感―――としか言えないか」
前情報とか見た目とかではない。
男だから男、女だから女なのだ。
「まったくなんなのだろうな。そのお前の妙な確信は」
「それは俺の方こそ知りたいよ」
「高群桜羅限定かと思えばその弟にまで有効ときたものだ。
―――ふむ。ならばどこまで有効か調べてみるのもいいかもしれん。
規則性があるかもしれんし、そこからなにか手がかりが掴めるかもしれないぞ」
「なるほど」
すぐさま次の手を考え出せるあたり、有り難いほどに優秀な男である。
「つまり他の誰かも性別が逆転して認識されないか調べるってわけだな」
「然り。
まずは他の高群ファミリーから調べるのが妥当だろう。
高群桜羅、結弦以外で他に誰を知っている?」
高群ファミリーというのは桜羅、結弦の二人だけではない。
それだとファミリーという呼称はつかないだろう。
それくらいは知っているのだが…
「三年に一人いたよな? 高群って名字のやつ。高群佑磨だっけか。テストの成績上位者の名前でよく見かけた。あとは……」
続かない。
京極は溜め息を吐いたのだった。
「噂なんて興味なきゃ聞き流して終わり、いちいち覚えてられるか」
「興味がなさすぎるのもどうか思うがな。情報に踊らされるのは愚かだが敏感であること自体は悪くない。
―――まぁとにかく。
高群佑磨が高群ファミリーの一人というのは正解だ。
男。ただし女装すれば女で通じるであろう美形だ」
義純は付け加えられたその一言で先行きに不安を感じるのだった。
恐るべし高群ファミリー。
「安心しろ。女っぽいというだけで女に間違える程ではない」
そんなフォローをされる自分の感性が泣けてくる。
「他には二年の双子、高群青路、燕路兄妹くらいは知っているかと思ったのだがな。
男女の双子なのだが顔だけなら見分けがつかない程瓜二つだぞ。ちなみに青系のセイジが男、赤系のエンジが女と覚えれば名前を混同しない」
つまり良くて中性的という訳か。―――何が良くてだ。
「高等部に在籍するのはこれで全員、桜羅と結弦姉弟合わせて全部で五人。
全員血縁関係ではあるようだが、どのような続柄なのかは兄弟関係以外公言はされていない」
「従兄弟程度で説明できる近さじゃないってことか? 随分親戚関係の大きいことで」
「高群家は由緒ある家柄らしいからな。そういう世界なんだろう」
「一般庶民の俺には縁のない世界だ。
で、残る三人に会って俺がどう判断するか調べるってわけだな」
「その通り。
今日これから部室に顔を出すから、そこで聞けば彼らのクラスは分かるだろう。今晩メールしてやる」
そう言って京極は鞄を手に立ち上がった。
「わざわざ悪いな、助かるよ」
「いちいち気にするな。
悪いが俺も面白がってるからな」
「ならせいぜい楽しんでこの謎を解いてくれたまえ」
「奇想天外なトリックを期待させてもらおうか」
そしてふと真顔―――常に真顔のようなもので差異がわかりづらいが―――になって京極は付け加えた。
「面識のなかったクラスメイト一人に暗示レベルで性別を誤認識させるという行為自体が、既に奇想天外だがな」
確かに。
義純にこんな妙な思い込みをさせる手段はもちろん犯人の目的さえも、全く見えてこないのだった。