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高群の異端者  作者: ゆき
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第二話 独りでいるしかないけれど

 疲れた。

 それしか言葉が出てこないほどに疲れた。

 義純は家に帰ると着替えもしないでベッドに俯せに倒れこむ。兄に見られたら日頃のお返しとばかりに何か言われるのは目に見えているが、そんなことがどうでもよくなるほどに疲れていた。

 進級初日は始業式とHRで終わった。クラスの係決めや進路指導、一年間の予定の説明などで丸一日だ。

 授業がない分楽になるはずなのだが、自分の常識を崩す何かが他にも出てくるかもしれないと思うと、神経は常に張りつめられていた。

 幸いにもそれは杞憂に終わったが、明日もそうとは限らない。

 昼は一緒にどうかとクラスの男子達に声を掛けられたが、その輪に加わる勇気はなかった。一緒に食べられるはずがなかった。新たにずれた常識が見つかったらと思うと恐ろしかったのだ。

「行きたくねー」

 本音を零す。

 だが兄に心配をかけたくない。

 ―――一晩経てば何かが変わるかもしれない。

 もちろん根拠などない。だがとにかく今はそう言い聞かせることにした。

「よし!」

 一声かけてベッドから起き上がる。

 この家では義純がぐだぐだしていたら食事にありつけないのである。それをありがたいと思う日もあるのだと義純は改めて知った。


   ◆◆◆◆◆


 新学年が始まって三日目、水曜日。まだ一週間の折り返し地点しか過ぎていない。

 結論から言えば拍子抜けするくらい何事もなく過ぎた。問題の高群も前の席だが話し掛けてくることはない。クラスメイトと積極的には関わらず、外を眺めていることが多かった。

 昨日は新年度の定番、丸一日使って身体測定およびスポーツテストを行う日だったが、残念なことに高群は病欠だった。もっとも、男女別でグループをつくって各種目を回るのだが、高群は女子のグループに入れられていた。そうなるとおそらく 学生証にも性別は女と記入されているのだろう。

 学校という機関が高群が女であることを保証している。

 そこまで理解していながら―――男としか思えない。

 周囲と認識が違うのは高群桜羅の性別だけ。それ以外には今のところ発覚していない。

 はじめは今まで教えられた数学の公式がひっくり返されたり世界史の年号が訂正されたら英単語の意味が変わったらと気を張り詰めて授業を受けていたのだが、幸いなことに今のところそれもなかった。

 未だにクラスに馴染んでいないので勉強以外で発覚していないだけかもしれないが、まだこの一件を引きずってなかなか馴染めずにいた。幸か不幸かわからない循環である。

 そろそろ勘違いだ馬鹿げてると割り切ってもいいのでは―――と思うのだが―――

 ―――お前は男なんだろう?

 前の席に座る彼―――もしくは彼女のその背中に、問い質したい。

 それをやらないのは、それが必ずしも解決に結びつくわけではないと気づいたからだ。

 真の問題は義純一人だけが違う認識を持っているという事態なのだから。

 午前最後の授業の終業のチャイムが鳴った。昼休みだ。教師の授業の終わりを告げる声と同時に、教室が俄かに騒がしくなる。

 義純は声を掛けられないためにすぐさま鞄から弁当をとりだすと教室を抜け、もはや定番となっている屋上へ向かった。笹ヶ原学園は珍しく屋上を開放している学校なのである。

 屋上に繋がる扉を開けると、まだ肌寒いこの時期、今日も予想通り誰もいない。一人で食べるにはうってつけだ。人がいないというのならこの時期中庭もそうだが、校舎に囲まれているため誰の目にもつかないとは限らない。

義純は出てきた階段室の壁を風除けにして腰を下ろすと、弁当を広げた。

 すると。

「あの、一緒にお昼。食べませんか?」

 その声は唐突に空から降ってきた。

 驚いて義純は空を見上げると―――そいつと眼があった。

 透きとおる空を背景に陽の光を眩しく照り返し、あどけない愛らしい顔でこちらを見つめてくる。

 眼を逸らせなかったのはその驚き故か。それともその光景の鮮烈な印象故か。

 無人と思った屋上には先客がいた。

 そいつは階段室の屋根から身を乗り出してこちらを見下ろしているのだ。しかも顔を少しだけというレベルではなく、肩以上、身を乗り出すレベルで。

 一階分の高さから、柵もない屋根でよく怖くないものだ。

 結構なお転婆娘である。

「いいよ」

 会話を避けていたはずの義純は、あっさりとそう答えていた。

 ―――おそらく年下、クラスも学年も違うだろうそいつとなら、共通点が少なく少しなら話しても構わないだろう。

 というのは後付の理由で、きっとそこまで考えていなかった。実際のところ、一人で食べるのに疲れていたのかもしれない。

 そいつは義純の了承の返事を聞くと、嬉しそうに笑って言った。

「じゃあ、今下りますね」

 科白は問題ない。だがそれに伴う行動が大問題だった。

 あろうことか身を乗り出したそのまま屋根から飛び降りようとしたのだ!

「おい何やって―――!!」

「え、あっ…!」

 静止は逆効果だったか、慌てたそいつは大きく姿勢を崩す。

 ―――まずい落ちる!

 義純は反射的に立ち上がり身体を投げ出すように腕を伸ばしていた。

 どさっ!

 間髪入れず腕に走る衝撃。

義純はそのままコンクリートの地面に突っ伏すが、なんとか受け止めることには成功したようだった。

「っっっっっっつっ」

「ごめんなさいごめんなさい!

 大丈夫ですか!? 怪我してないですか!?」

 そいつは慌てて立ち上がると義純の心配をする。

 覗きこまれた顔が近くてどきりとした。可愛い。

 これはまずいと、義純は急いで痺れた腕をさすりながら体を起こし、安心させるために軽く笑って見せた。

「身体は丈夫なんだ。何ともない。

 それよりあんたは―――大丈夫そうだな、あ―――」

 語尾が不自然に伸びたのは、何もそいつが怪我していたのに気づいたからではない。

 気づいたのは別の事。

 顔や雰囲気からして女であろうそいつは、スカートではなくズボンだったのだ。

 そういえばこの学校は、制服に男女の指定はなかったのだと思いだす。だから女がズボンをはいたところで問題ないのだ。もちろん極少数派だが。

 ブレザーなので上着のデザインも変わらない。ネクタイかリボンかの差もなく男女ともネクタイだ。

 髪もボーイッシュなショート、お転婆なそいつらしい選択だった。

 ―――だがやっぱ女の子はスカートの方が、いやほらさっき落ちてくるときだって―――いや何を考えて、いや妄想してるんだ。

「ボクは平気ですよ?」

 そいつはきょとんと首を傾げて言う。

 義純はその声で意識を現実に引き戻すことに成功した。慌てて視線を逸らす。

「そりゃよかった。

 もうあんな無茶するなよ。落ちたら危ないだろ」

「うん。普通そうだよね、うっかりしてた。

 今度からは気を付けるよ」

 殊勝に頷く。

 うっかりという言葉が不安ではあるが、落ちながらも弁当は手放さなかったあたり大物かもしれない。

 とにかく怪我がないようで幸いだ。

「よし、昼にするか」

 こうして久々に誰かと食べる昼食になったのだった。



 二人で横に並んで弁当箱を開ける。

「あ、それ美味しそうですね!」

 そいつは義純がたった今箸でつまみ上げたハンバーグを視線で指して言った。

 音では「美味しそうですね」だが意味的には「ください」。

 期待に満ちた視線が眩しすぎる。

 義純は早々に降参の溜め息を吐いた。

「わかったよ、やるよ。どうせ昨日の夕飯と同じなんだ。

 その代わり何かと交換だからな」

「嬉しいです!

 なら好きなのとっていいですよ。ソーセージ以外で」

「この肉食系女子が!」

「あぅ。それは駄目です。

 …ソーセージでいいですよ。草食系男子になるんですから」

 ―――だったらそんな目で見ないでくれ。

 大体草食系男子になるってなんだ。

 とりあえず何を頂戴するかはおいといて、先に箸でつまんだままのハンバーグをあげてしまおうと考える。

 そして一口サイズに切られたハンバーグを凝視。

 ―――可愛い後輩の女の子に自らの箸で今現在つまんでいるハンバーグをどうやって渡せばいいのだ?

 ちらりと横目で伺えば期待に満ちた眼差し。

 あーん、などという擬音語だかセリフだかが浮かんだが―――結局。

 義純はハンバーグをご飯の上にのせてやったのだった。

「わーい! ありがとう!」

 そいつは満面の笑みを浮かべてさっそくハンバーグにぱくついた。

 ――――――っふ。

 初対面の女の後輩に対する先輩の昼食時の行動として正しい選択をしたまでだ。

決してヘタレでもチキンでもない。

 ―――そのはずなのに泣きたくなるのは何故だろう。

「これとっても美味しいよ」

「そうか、そりゃよかった。

 代わりにこれ貰うな」

 義純はソーセージではなく草食系に相応しくミニトマトを頂戴したのだった。

 どうでもいい当たり障りのない会話をぽつぽつと交わしながら箸が進む。

「…まさかお前、今までも昼にその屋根の上にいたのか!?」

 ふと気づいてそいつに問う。

 階段室の屋根は屋上からは死角だ。昼ご飯を一人で食べていただけで何か見られて困るようなことをしていたわけではない。

 だがしかし誰もいないと思い込んでいた気恥ずかしさはある。

「ううん。今日が初めて」

 その言葉に胸を撫で下ろす義純。

「昨日まではクラスの皆と食べてたんだけどね。―――ちょっと。ちょっとね、疲れちゃったから」

 そう言ってそいつは、大したことないとごまかすように困った顔で笑って見せた。

「そうか」

「でも明日からはまた頑張るよ。

 今日こうして元気を分けてもらったし」

「そうか?

 俺は何もしてないけどな」

「ハンバーグくれたよ。

 それに一緒にご飯食べてくれた」

「ってことは俺もお前から元気を分けてもらったってことか」

 ―――ならこちらもいつまでも逃げているわけにはいかない。

 予鈴が鳴る。

 この時間もこれで終わりだ。

 弁当を片づけて屋上から下り、校舎の渡り廊下で立ち止まる。

「じゃあな」

「ありがとうございました! ではまたですね!」

 そいつはこちらがつられるほど笑顔で手を振った。廊下を歩いていく背を見送りながら、そういえば最後までお互い名前を聞かなかったと、ふと思い出した。

 まぁ今度会う機会があるならその時に聞けばいい。なければないでそれまで。

 そしてもし今度会う時があれば、その時に胸を張れるように。

 この崩れた常識を元に戻す。

 方法はもう考えてあった。

 ―――困ったときの友達頼みである。

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