第十五話 白狐
ウィンドブレーカーのフードを深く被り、その隙間から覗く眼は輝く金色。色のない真っ白な髪に恐ろしく色白な肌。
それは人ではありえない色の取り合わせだった。
後ろから佑磨の大きな溜め息が聞こえた。
佑磨は義純にこれを見せないために頭を押さえつけていたのだ。
「桜羅―――なのか?」
女物の制服を着ていたということもあるが、何故かその確信はあった。
片目だけ覗く金の眼がぎらりと義純を射抜く。
「ご名答。
もう少し寝てればよかったのに。
悲鳴を上げたり腰を抜かしたりしない自信がないのなら、大人しく後部座席に座っててくれる?
でないとこの窓開けて投げ捨てるから」
人ではありえない姿。
人ではありえない力を持つのだから、それは当然のように腑に落ちた。
「なら悲鳴を上げも腰を抜かしもしない自信があればどうすればいい?」
「試してみたいの?」
「試したくないのか?」
「試していいの?」
「試したいんだろ?
試してみろよ」
わずかな逡巡。
「後悔するのはどちらだろうね」
そういうと同時に桜羅は被っていたフードを手で払い除けた。顔を背けたり手で隠したりせず潔く義純の方を向く。
義純は目を見張って息を飲む。
現れる金の双眸には獣じみた荒々しい光が宿る。艶のある白い髪。肌はベルベットのように短く細かい毛が生えていて触り心地のなんて良さそうなことだろう。
確かにそれらは人としては異質ではあったが、だからこそ人知を超えた美しさがあった。
さらに桜羅は背中に手を回して何かを引き寄せる。肌と同じ白色だがそれよりも毛足がずっと長い、ふさふさとした何か。
その先がぴくりと動く。
尻尾だ。
オツキ―――尾憑き。このことか。
人には存在しない器官。人ではない―――何かが混ざっている。
二の腕よりも太く、先のとがった形の尻尾。
精神操作に発火能力―――言い換えれば人を化かす、狐火。
つまりは―――
「狐が混ざってるのか」
それが高群一族に隠された真実。
これが昨晩言っていた本当の桜羅の姿なのだ。
試すまでもなかった。
―――これは。自分を、傷つけない。
傷つけるはずがない。
そう知っていた。
「すごく綺麗じゃないか」
義純は手を伸ばして桜羅の頬に触れる。
「やっぱいい手触りだ」
すべすべした気持ちよさに自然と頬が緩む。
「呆れた。噛みつくかもよ」
「その時は手を出した俺の方が悪いんだろ」
「野生動物でも手懐けてるつもりなら痛い目見るから」
「火傷する?」
「炭化する」
「なら平気だろ、佑磨の炎はそれができなかった」
「だって本当に炭化させたらヤバいだろ!?」
佑磨が会話に割って入る。
どこか間の抜けたその科白に義純は吹き出す。
漂っていたある種の緊張感がそれで霧散した。
義純は後部座席に戻ってシートに深くもたれる。
「やっぱ人がいいな、佑磨は」
「誰がだ!?
大体人がいいのはお前の方だろ、記憶封じられて何も知らないはずなのに俺の炎見ても怖がらないわサクのその姿見ても平然としてるわ、むしろ呆れるぜ」
「それは人がいいのとは違うだろ。俺は無理に平気な振りしてるわけじゃないし」
「無理にするのが人がいいってか? そりゃ余計な世話っていうんだ」
返す言葉が咄嗟に出ず間が空く。
義純は話題を変え、気になっていたことを聞いた。
「なぁ桜羅。どうして今、その姿になってるんだ? 人目に触れたくないんだろう?」
それに食いつくように答えたのは佑磨の方だった。
「お前はサクに土下座するくらいで礼を言え」
土下座は謝罪であり感謝ではないと思ったがそれはつっこむべきだろうか。
「俺を捜してくれたことにか?」
「そうだ。
―――お前が記憶の封印をどうやってか解いて、それで事実を知って自暴自棄でこの世からサヨナラ―――なんていう最悪パターンを想定したわけだ」
「それが―――ありえると思ったのか?」
「思った」
そう返したのは佑磨ではなく恭輔だった。
桜羅の件で削がれていた気勢がぶり返ってきたが、そう言われてしまえば剣幕も鈍る。
それに義純が口を開く前に佑磨が先を続けた。
「だからわざわざサクが力を解放して捜したんだよ。
解放すりゃ同朋の位置を掴める。けど力を持たないお前を感知できるか確証もなかったってのに、そう易々と解放しちゃいけねぇ力を本家の了承もなしにお前の為に解放してやったわけだ。
どうだわかったか? お前が心底サクに感謝しなきゃいけねぇ理由が」
そうまでさせたその結果がただ気を失っていただけなのだから、確かに感謝だけではつりあいそうもない。
「桜羅、俺―――」
「死なれることに比べたら大したことじゃないでしょ」
「だとしてもせめて礼くらい言わせてくれよ。
ありがとう」
そして横を向いて付け足す。
「佑磨も。捜してくれてありがとな」
「俺は別に…」
そっぽを向いて言葉を濁す佑磨。素直じゃない。
その佑磨を見てふと思い至る。
「尾憑きは高等部の高群ファミリーのうち佑磨以外の四人。違うか? 病弱だからって体育を見学してる四人だ」
「そりゃここまで知れば気づくか。当たりだ」
身体が弱いから運動ができないのではない。逆に身体能力がありすぎて運動ができないのだ。
屋上ではじめて結弦と出会った時、結弦は屋根の上から飛び降りようとした。あれはそれができるからこそやろうとしたわけだ。
尻尾を持たない佑磨でさえ特別な鍛錬なしに学年トップレベルの運動能力を見せる。それが尻尾を持つ者となれば、トップレベルどころではない結果を叩きだすのだろう。そうなれば異端の能力も隠せない。手を抜くにしろ、長距離走の後で息一つ乱していなければ不自然だ。
義純はさらに何か聞き出そうと質問を考える。するとまた頭痛で思考が中断される。
文芸部で記録本を見て何かを知ったはずだが、けれどそれさえも思い出すことはできなかった。
何か聞けることはないのか―――そもそも自分は何を知ったのか―――
「話はここまでだ」
恭輔が冷たくそう告げた。
「どうしてだよ!?」
当然食ってかかる。
車の速度が落ち、すぐに完全に停車した。
恭輔は答える。
「家に着いたからだ」
言われて窓の外を見れば見慣れたマンションの前だった。
あともう少し寝ていれば、次に目を覚ますのは自分の部屋のベッドの中、桜羅の白くなった姿を目にすることもなかったわけだ。
「なら続きは部屋で聞く」
「降りるのはお前だけだ。桜羅と佑磨を本家まで送っていく。封印を解いた事情も説明する必要があるしな。
さらに桜羅の尾を再度封印する必要があるから、その術の為に今晩は帰れない」
「じゃあ俺も本家につれてけよ!」
「何の為にお前を本家から出したと思ってるんだ!!」
「!」
その剣幕に言葉を無くす。
それに酷い頭痛。
けれどそれでも。
「―――何だよそれ!?」
それでも何か言い返したくて出た言葉は駄々を捏ねる子供のようだった。
「高群の秘密は知ったんだ。もう十分だろう」
「けど俺はまだ記憶を取り戻してないじゃないか!」
「あんな事実を思い出したいのか!」
「――――――――――――」
思い出せば自殺を心配される事実。
兄が自分の身を思ってくれていることくらい分かるのだ。
それでも。
それでも。
それでも。
―――思い出さなければ。
誰の為に?
「義純」
桜羅が会話に割って入った。
「今日は帰った方がいいよ。一度に知り過ぎると混乱するでしょ」
「……ああ、そうか。そうだな」
桜羅が用意してくれた逃げ道。
―――いや、一時退避場と言い訳する。
桜羅の言うことも一理あるだろう。
人には非ざる姿や高群家の隠された真実は、一般的に認識される常識とはあまりにかけ離れていた。思考がオーバーヒートしているかもしれない。
このまま車に乗っていても自分は喚くことしかできないだろうと察してもいた。
「そうする」
短く告げて義純は一人車を降りた。
車の発進する音を背中で聞いた。