第十四話 頭痛の中で
文化棟の裏。
佑磨は桜羅の示したその場所を目指して全力で走る。
桜羅は屋上に残してきた。封印を解いた状態で校内を移動させるわけにはいかない。
文化棟の前まで来たところで、見覚えのある生徒が前を歩いているのに気付いた。同じクラスの京極だ。頭の回転が速く、自らリーダーになるよりは陰でリーダーを操るタイプ。確か義純の友人だったか。義純の居場所が分かる前ならば話しかけたところだが、桜羅のおかげでもう居場所は分かっている。
そのまま横を素通りした。
しかし。
「高群。都竹を捜してるのか?」
掛けられたその言葉に反射的に立ち止まって振り返っていた。
「どういうことだ?」
話しかけられたから立ち止まった、それくらいの何気なさを装って聞き返す。もしかしたら屋上から移動している間に京極が見つけたのかもしれない。
京極は肩を竦めて答えた。
「あいつは今日お前の出した謎を解くために文芸部に高群ファミリーの記録本を見に行ったはずだからな。それに関係しているのかと推測しただけだ」
まさか一般人を巻き込むとは。
義純はもちろん自分の迂闊さに内心溜息が出る。
「お前どこまで知ってる?」
剣呑に光った眼で佑磨は問う。
だが京極はそれにも臆さず平然と答えた。
「何も知るつもりはない。俺は常識人でいたいのでね」
とんだ食わせ物だ。
この男相手に自らの手の内を晒さず向こうの手の内を読もうとすれば手こずるのは目に見えている。
押し問答するだけ時間の無駄か―――
佑磨はそう判断する。つい立ち止まってしまったが、京極も文化棟に向かって歩いていたのだから先に見つけたはずもなかった。今は時間が惜しい。
「そうかよ。なら精々常識の中で大人しくしてな」
そしてこの場を離れる前にどうしても聞き逃せなかったことを聞く。
「で、記録本ってなんだよ?」
「代々の高群ファミリーの情報が事細かに記録されているらしい」
「はぁっ!? ンだよそれ!」
消す!
そんな胸糞悪い物は完全消去してやる。
それを誓う一方で、なるほどと納得してもいた。
居場所が何故文化棟の裏なのか。
そして代々というなら恭輔のことも知ってしまったのだ―――と。そこから自身の出生に結び付けるのは容易だ。
「タレこみ情報に感謝するぜ」
そう礼を述べて走り去ろうとしたその背に。
「あいつは自分の記憶が消されてると気づいたぞ」
「ああそう」
そうだろうな。
お座なりにそれだけ答えて今度こそ走り出す。
目的の場所はすぐそこだ。
―――消された記憶を取り戻したら自分の存在を消したくなった。
だとしたら皮肉もいいところだ。
文化棟裏で自殺するとしたら鋏、カッターナイフか。文化棟は屋上が開放されていないし、上の階は部室で義純には入れない。調理室や理科室のように危険なものも置いていない。
そしてすぐに文化棟裏で倒れている義純を発見する。
外傷はないその姿にひとまず肩を撫で下ろし、口元に手を当てて呼吸を確認すると、その場に腰を下ろして大きく息をついた。
無事だ。
意識はないようだが無事だ。死んでいない。
全身から力が抜ける。
「ったく心配かけさせやがって」
一発殴っておかなければ気が済まないと拳を顔に伸ばす。
だがその手が止まる。
その閉じられた眼は泣いていた。
◆◆◆◆◆
聞こえる。
――――ヨシ―――、―――ヨ シ ――――ォ―――
名を呼ぶ声が聞こえる。
誰の声だ?
誰が呼んでいる?
誰かが自分の名を呼んでいる―――
――――――ヨ、シ―――ノ、ヨ―――
なおも声は名を呼び続ける。
真っ暗な闇の中、ただその声だけが響く。寂しそうで辛そうな響きが次第に切実さを増して声量を上げる。
呼ばれていると思っていたのは夢の話で、実際には誰にも呼ばれていないようだった。
眠気を誘う規則的な振動。ゆっくりと眼を開ける。
意識を取り戻した義純は状況が全くつかめず困惑する。
確か―――そうだ文化棟の裏で倒れて―――倒れたんだよな? それから何がどうなった―――?
ここは―――車の中!?
車の後部座席に寝かされているのだ。助手席側の後部に座らされた状態で、上半身だけ横に寝かされている。
意識が一気に覚醒する。
拉致誘拐。まさか。身体が強張る。
「なんだよ、目が覚めたか」
頭の上から降ってきたその声は聞き覚えのあるもので、視線を上げてみればやはり佑磨が横に座っていた。一気に脱力する。
身体を起こそうとしたら佑磨に頭を押さえつけられた。
「何するんだよ!」
「あともう少し寝てればよかったんだよ。いいから大人しくしてろ」
かなり苛立たしげに佑磨は言った。
それでも状況説明はしてくれる。
「恭輔さんに電話したまま何の応答もないから、何かあったんじゃないかって、頼まれて俺とサクが捜してやったんだよ。心配かけさせやがって」
なるほど、それで車で迎えに来てくれて帰るところというわけか。確かによく見れば、見覚えのある恭輔の車の車内だ。
「そうだ俺兄さんに電話しようとして―――痛っ」
何の用件で電話しようとしたのだったか。
思い出そうとしたところでまた頭痛がしてきた。完治したわけではなかったらしい。
「無理に思い出そうとするな、義純」
その声は運転席から聞こえ、やはり恭輔の声だった。
「思い出そうとするから痛くなるんだ」
「どうして―――」
まさかと試しに昨日の晩御飯を思い出してみれば痛みは治まった。
それに答えたのは佑磨。
「思い出したんじゃなかったんだな。
お前を回収に行く途中で京極にあって、んで話は聞いた。
お前、自分の記憶が封じられてるって気づいたんだろ? 思い出せないようにされてるって。つまりはその作用だ。本来なら思考が上手いこと落としどころを見つけるんだが、お前は知りすぎてそれが見つけられないんだろ。それでどうにもできずに痛みに変わる」
それはつまり―――つまり。
「それじゃあ―――俺ははじめから真実を知ってたのか!?」
そう言ってつい思い出そうとしてしまったらしく、義純は痛んだ頭に顔を顰める。
「そういうことだな。御愁傷様」
「佑磨!」
恭輔が短く非難の声を上げる。
その反応で気づいてしまう。
「兄さん」
反射的に身体を上げようとしたが佑磨に押さえつけられたままだった。
「最初から俺が全部知ることができないって知ってて、やってみろなんて言ったのかよ」
「―――――――――――――。術を解けばいい。それを含めてだ」
恭輔は静かに答える。
「ならどうやったらこの封印は解ける?」
「―――――――――――――」
沈黙。
張りつめた空気。
口を開いたのは恭輔ではなく佑磨だった。
「そりゃあ―――術者に解いてもらうしかねぇだろ」
「誰だよそれ!?」
再度沈黙。
誰であろうと必ず術を解かせてやる。
車の駆動音がやけに響く。
そして。
「俺だ」
望む答えは返ってきた。ただし最低の結果として。
そう答えたのはあろうことか恭輔だった。
「何だよそれ!? だったら最初からやってみろなんて言うなよ!!
できないってわかってたからこそそう言ったんじゃないのか!?」
「―――――――――――――」
その沈黙は否定か肯定か。どんな表情をしているのかさえ前を向いて運転しているためわからない。
「答えろよ兄さん!!」
義純は頭を上にあげるのではなく横にずらして押さえつける力を逸らし、一息に上体を起こす。
「待てやめろ!」
佑磨の制止は聞かない。
助手席に手を掛けて身を乗り出し―――
「え?」
横目に入ったその助手席に座る者の姿に、義純は動きを止めて固まる。その衝撃が恭輔への怒りを上塗りした。