第十二話 高群の異端者
水曜日の昼。燕路、青路に続き、今日はラスボスこと佑磨と食べる日である。
義純は隣に座る佑磨に弁当を差し出した。
「おかず交換は必須課題だろ」
「んな女々しいこと男相手にやってられっか」
佑磨はそう言うと義純の弁当箱をひょいと取り上げ、空いたその手に自らの弁当箱をのせる。
「…どういうつもりだよ」
「これでおかずも交換したことになるだろ」
義務は果たしたとばかりに義純の弁当を早速食べ始める佑磨。
「まあいいけど」
こんな豪勢な弁当を食べられるのだから文句はない。
燕路と同じ超豪華弁当。
姉妹の二人が違う弁当を食べ、兄妹ではない二人が同じ弁当を食べる。高群家の事情は複雑である。
まずは卵焼きを一口。学校の屋上の昼には不釣り合いな贅沢すぎる味だった。
「なぁ追加のヒントとかない?」
「ない」
「これで全員と食べたわけだけど、明日からはどうなるんだ?」
「知らねぇ。エンに聞け」
「投げてるな。
―――ところでその弁当美味いか?」
「…まぁそれなりに」
「そりゃよかった」
「そう言えばさっきの科学の授業、小テストだった。有機化学のとこ」
「え、ってことは俺のとこも次テストやるのか? 授業始まる前に勉強しとくか」
「その時だけいい点とったって意味ないだろ」
「うるせー優等生」
これほど平和で普通な昼は進級以来初めてかもしれなかった。
待望の水曜放課後。月曜は留守だった文芸部の部室だが、今日はビラ通り活動日で人がいた。ドアにつけられた窓から中の様子が見える。数人の部員がPCの画面を覗きながら談笑していた。
義純がドアを軽くノックすると視線がこちらに集まる。歓声が上がったように聞こえたのは幻聴だろうか。
その中の一人ががばっと椅子を蹴倒す勢いで立ち上がると、その勢いのまま走り寄ってきてドアを開けて出迎えてくれた。
「都竹先輩ですよね!? こんにちは! ようこそわが文芸部へ!」
「え、ああ、どうも……」
その勢いに引く義純。
「どうして俺の名前を?」
「だって有名ですよ? あの桜羅先輩の彼氏さんなんですからね。
それよりささ、どうぞ中へ! お茶とお菓子もありますよ!」
強引に腕を引っ張られ、中に連れ込まれて椅子を勧められた。手際よくすぐにお茶とクッキーが差し出される。
部室には全部で五人の生徒がいて、女子生徒達は皆アイドルに会ったかのように見るからに浮かれていた。
先週までごく普通の生徒でしかなかった義純はどうにも背中がむず痒い。
「私が文芸部部長の高等部二年の工藤です。本日はどのようなご用件でこちらに?」
出迎えた女子生徒が丁寧に名乗る。強引なところはあったが、部長を務めるだけあってしっかりしているようだ。
「この部に高群ファミリーの記録本のようなものがあると聞いてきたんだが、本当なのか? あるなら見せて欲しいんだ」
「やはりそれがお目当てでしたか。
ありますよ。コピー、持ち出しは禁止なんですが、この部屋で見る分には構いません」
「なら頼む!」
「ただし一つ条件があります」
「条件?」
どんな条件だろうと飲んでやるくらいの意気込みはあったが―――
「惚気話してください! 馴れ初めとか告白の言葉とかだったら特に喜びますが、何でもいいので聞かせてください!」
「はぁ!?」
戸惑う義純を囲んで一斉に賛同する部員達。期待に満ちた目の輝きが眩しすぎる。
「えっと……」
確かにどんな条件だろうと飲んでやるくらいの意気込みはあったが―――これは予想の斜め上過ぎる! なんて拷問だ!
だが記録本は見せて欲しい。
惚気話になるような話のネタがあるのか思い返してみたが―――あるはずもなかった。
最初からつきあうのはフリだったので惚気たことがないし、フリでつきあうことになってからもまだ六日目という日の浅さである。大体はじめて話してから十日も経っていないほどの付き合いの短さだ。その間にいろいろありすぎてたったそれだけかと驚くものだ。
この手の質問はすでに何度もされた。その度に適当にはぐらかしてきたのだが、今回はそうもいかない。
本当のことを話すわけにもいかないし―――
義純がどう乗り切ろうかと思案していると、
「都竹先輩、知ってました? 過去、記録に残っている限りで高群ファミリーに恋人がいたことはないんですよ」
工藤部長がそんなことを話した。
「意外―――でもないか。高嶺の花過ぎて近づけないってやつ」
それにあの特異能力の事もある。
「近づこうとした人はいると思いますよ。でも近づけさせてもらえなかったんですね。綺麗な花ほど棘がある―――というと語弊がありますが。
だからこそ、はじめてその棘をものともせずに花を手に入れた、都竹先輩の話に興味があるわけです」
「その棘に散々引っかかれてるけどな」
「どんなふうにですか!?」
ぽつりと出た言葉にものすごく食いつかれた。
男だと思っていたら女ということになっていて、それなら女だろうと判断してつきあってみたら実は男で合っていました―――というのが最大の棘だが、それを話すわけにはいかない。
発火能力の事も話すわけにはいかないし、別れ話を切り出したら三十分で家に来てその原因と舌戦を繰り広げたことも話がややこしくなるし男として情けないので話したくない。
「あー俺の兄貴が高群達と知り合いなんだ。その縁があったから近づけてもらえたんだろ」
これは事実だ。なんとか話題を逸らせないか試みる。
「お兄さんもこの学園の卒業生なんですか?」
「そうだ。歳が離れてるから在学期間は重なっちゃいないけどな」
「なら当時の高群ファミリーと親しくされていたってことでしょうか?」
「当時って、兄貴が在学してたのは九年前だが、そんな前から高群ファミリーって存在したのか?」
「なんて無知な!?」
激しく驚かれた。
「わが文芸部が高群ファミリーの記録をつけはじめたのが十五年前から。いつから高群ファミリーと呼ばれたかははっきりとしませんが、一説では高群家の生徒は学園創立時から在籍していたと言われています。
もっとも、現在の高等部だけで五人というのは特に多い方、記録上では最大の人数のようですね。中等部高等部あわせても数名程度というのが平均です」
高群の分家筋が創立した学園なら裏口入学―――いや、桜羅と佑磨の成績を見ればそれもないか。高群ファミリー五人が五人とも成績優秀とも聞く。
「優秀な血筋ってのはあるんだな。
で、どうだろうな? 兄貴が当時の高群ファミリーと親しくしてたかどうかは聞いたことがない」
「そうですか―――家族ぐるみで親しくされてるなら過去の高群ファミリーに隠された恋人発覚! って可能性があるかと期待したんですが。残念です」
「家族ぐるみねぇ。
兄貴は恭輔さんとか名前で呼ばれて前から慕われてたみたいだったけどな。俺が知り合いだって知ったのは―――」
そこで言葉が途切れた。
部員達が顔を見合わせているからだ。何が引っ掛かったというのだろう。
工藤部長がフォローを入れる。
「ああ、恭輔という名前に驚いたんです。
九年前まで在籍していた高群ファミリーに、ちょうど恭輔という名前の生徒がいたものですから。こんな偶然ってあるんですね」
偶然―――本当に偶然なのか!?
その一言で片づけるには常識の圏外を覗きすぎていた。
見たい。見なければ。高群ファミリーの記録本を早く。そして確かめなければ!
「なあ記録本―――」
「交換条件です」
どうやら譲る気はないらしい。これはもう他の条件に変えてもらうこともできそうにない。
目の前に答えがあるのに押し問答する時間が惜しい。
一時の羞恥心は捨て去る。そして桜羅の耳に入らないことを全力で祈り、話せる範囲で話す覚悟を決める。
「惚気ればいいんだろ!? 俺はあいつが好きだ!」
毒を食らわば皿まで、完全にヤケである。
上がる黄色い悲鳴。
「具体的なエピソードを」
「同じクラスになった進級初日の朝からその横顔一目見て綺麗だなって見惚れてたさ。それからずっとあいつのことで頭が一杯だった」
「外見だけですか?」
「外見だけならとっくに愛想を尽かしてる。あいつ深窓の令嬢かと思いきや気の強い性格で、こっちなんてお構いなしで自分の意見は押し通すし短い間の夢だったとか思わなくもないけど、あの強さに助けられたこともある。かと思えば繊細っていうか弱い一面もあって、そのギャップが面白いっていうか可愛いかも。これ桜羅に聞かれたら絶対いじけるな。まあ俺はそういうあいつを全部ひっくるめて好きなんだろうな―――これでどうだ!」
「御馳走様でした」
「美味しいネタをありがとうございます」
沸き起こる拍手。
男相手に愛の告白など、今すぐ人気のない場所で頭を抱えて精神的ダメージをやり過ごしたいところだが、それをすればダメージを受けてまで得ようとした情報も得られない。
「お粗末様でした。
それで記録本見せてくれるんだよな?」
「ええ、どうぞ。後で早速更新しておきますね」
「何を!?」
何かものすごく取り返しのつかないことをしてしまった気がする。
「そのPCで記録本を開いてこっちに回して」
工藤部長の指示で、少し操作された後にノートPCが目の前に置かれる。記録本は電子媒体に保管しているらしい。
「都竹先輩との座談会はここまでとしましょう。皆、各自の作業に戻って」
その言葉に部員たちは立ち上がって場所を移動する。なかなか気が利く部長である。
「どうぞゆっくり見ていってくださいね」
そう言って自身も立ちあがった。彼女に礼を述べて義純は視線をディスプレイに落とす。
ディスプレイにはウィンドウが二つ出ていて、一つは表計算ソフト。一枚目の表紙となるシートに、今年の年度と在籍している高群ファミリーの名前が列挙されていた。個人の名前がタイトルのシートが後に続き、表紙の個人名をクリックすると該当のシートにジャンプするようだ。そしてもう一つのウィンドウはファイル管理ウィンドウで、名称に年度が入ったファイルが十五件並んでいた。記録本は年度毎に更新され、これが過去のファイルのようである。
とりあえず開いたままになっている今年度のファイルの、桜羅のシートを開いてみる。
いきなり九年前のファイルを開かないのは、もし想像が当たっていた場合すぐさま恭輔に電話を掛けて事実関係を確かめずにはいられないからである。
シートの上の方には履歴書のように顔写真が添付され、氏名、生年月日、性別といった基本情報が並ぶ。
「桜羅の性別、男になってるけど」
「え? コピーミスでしょうか。桜羅先輩は女なのに失礼なことをしてしまいました。後で修正しておきます」
どう作業すれば性別だけコピーミスできるのか。基本情報であればそれを丸ごと去年のデータからコピーするはずだから、一か所だけ情報が書き換わるなどあり得ないというのに。
けれど工藤部長はそれに何の疑問も感じていない。
随分強固な精神操作らしい。桜羅が女であるという前提で思考が成り立っている。
けれどあえて指摘はしない。その方が彼女の為というものだろう。義純はシートに目を通す作業を続けた。
生年月日は桜羅という名前に相応しく四月。
身長体重まで載っていて一体どこでこんな情報手に入れたのだろう。他には得意科目苦手科目、趣味嗜好、癖、特記事項として身体が弱いといったことなどが事細かに載っていた。
去年のファイルを開いて桜羅のシートを見てみると、今年のファイルにはなかった一年の記録、学期ごとの試験の結果や学校行事に関することが記述されている。
本人に見られたらファイル消去のうえゴミ箱を空にするレベルであることは間違いない。
―――ひょっとしたら今ここで削除しておいた方がいいのではないだろうか―――
そんな正義感が義純の胸を過ぎったが、このファイルのおかげで大きく真実に近づけるかもしれないのだ、恩を仇で返すことは良心が痛む。
ざっと目を通しただけで次々にシートを移動する。
それは驚きを通り越して呆れる記録だった。
高群ファミリーの皆が皆容姿にかなり恵まれ、成績も必ず上位。運動が可能な者なら体育系のイベントでは必ず活躍を見せる。そこに例外はない。
男女逆の名前の者が桜羅達以外に過去にもいるのは古い家の伝統かしきたりなのか。そして彼らのシートには桜羅達と同じように特記事項に身体が弱いと記述されていた。
―――現在の高群ファミリー五人だけでなく、自分は高群家全体に隠された真実を探ろうとしているのだ。
自分一人で収まらなくなった問題に、無意識にマウスを持つ手に力が入る。
年度をとばしとばしでざっと、八年前まで目を通した。詳細に読み込む必要はない。
想像が当たっていればこの次のファイル、九年前、それが高群の異端者を示しているのだから。
心臓の鼓動が強くなる。顔が強張る。マウスに掛けた指が震える。
カーソルを該当のファイルに当て、意を決してダブルクリックした。だが開かない。何が起こった何の陰謀だと焦りかけたが、何のことはない。カチリというクリック音は一度だけだったではないか。指の震えの所為でクリックが上手くできず、シングルクリックと認識されたのだった。
義純は苦笑し、指に力を入れて震えを抑え今度こそダブルクリックした。
開かれる九年前の高群ファミリーのファイル。
表紙のシートに列挙された名前には―――高群恭輔。
どうみても高群恭輔。
見間違いではなく高群恭輔!
都竹恭輔ではなく高群恭輔!
じっと見つめたところで漢字変換が変わるわけはない。
いやまだ同じ名前だという可能性がある。
だがその可能性を自分でもどこまで信じていたのか。
高群恭輔の名前をクリックし、該当のシートにジャンプして顔写真が表示される。
――――――――――――――――――――――――――――!!
写真の中で笑う兄を見つめたまま、嘘だと叫んだまま思考が停止した。
その中でああやはりとそれを予想していた自分が、冷静にファイルを閉じて椅子から立ち上がらせた。
「もういいんですか?」
「ああ、十分だ。とても参考になった」
部員たちに見送られて部室を出る。
部室を出た足は階段に着くころには早足に、階段を一階まで下りた時には駆け足に、そして入り口で靴を履き替えてからは全力疾走だった。
無意識のうちに向かった先は文化棟の裏。棟の壁にもたれて頭を抱えしゃがみこむ。
高群の異端者―――高群でありながら高群を捨てた者。高群恭輔。
考えられる可能性はそう多くない。
一、恭輔とは血が繋がっていない。
二、自分も高群家の一員だった。
三、―――思いつかない。一か二のどちらか。
一であってほしくない。ずっと慕ってきた唯一の肉親が実は血縁ではなかったなど嫌だ。
―――唯一?
本当に?
―――恭輔がいちばん血が近い。
そう言っていたのは双子のどちらだったか。
一人だけなら一番も何もないではないか。
そして近いというのは誰と比較して近いというのだ!?
それなら本当に―――
けれど二だとも思えなかった。発火能力など持っていないし精神操作もできない。それに記録本に載せられた華々しい彼らの記録。勉学でも運動でも、それらに自分は何一つ届いていないというのに。
そうだ、佑磨もあの体育の授業前、運動能力や学力があれで全力かとわざわざ確認してきたではないか。
本当に自分達に及ばないのかと―――
では何の為にそれを聞いた!?
―――わざわざ異端というからにはマイナスのイメージで例外のはずだ。一人だけ何かに劣る、何かができない。
勉強も劣る。
運動も劣る。
異能の力も持っていない。
―――ああ、そうか。
高群の異端者は―――
高群恭輔ではない。
俺だ。
頭が痛い。
全力疾走したからか血液が頭に上がりすぎた。血管が破裂しそうだ。視界がぐらぐらする。意識もぐらぐらする。
けれど聞かなければ。確かめなければ。
義純はブレザーのポケットからスマホを取り出し、なんとか恭輔の携帯の電話番号を呼び出す。
呼び出し音が長くて遠い。
答えも声も聞く前に意識は暗転した。