第十一話 誤魔化しのヒント
火曜日、朝のHR。
「皆さんもニュースで見て知っていると思いますが、最近この市内で不審火が相次いでいます。もし不審火を見かけたら、焦らず冷静に、速やかに消防と警察に通報してください。以上です」
担任が連絡事項を告げ、教室を出て行った。
市外から通学してくる生徒の方が多いはずだが、毎日通う学校のある市だ、不安の声があちこちで上がる。
義純も昨晩今朝とニュースで見て、新たに不審火があったことは知っている。通算六件、そのうち昨日の二件は今までより火の勢いが強く、発見が遅れた繁華街の路地裏はビルの一階が半焼したという。
「物騒なもんだな」
義純が率直な感想を述べると、
「そうだね」
桜羅も堅い顔で短く同意した。
昼。やっと一日の半分が終わった。一息つけるはずの昼休みだが、ここでもイベントが一つ待っていた。
義純は弁当を鞄から机の上に出して待機。
「今日はどっちが来るんだ?」
諦めの境地で桜羅に尋ねると、
「ラスボスじゃない方」
澄ました顔で答えた。
こいつもゲームやるんだろうか…と思ったのは義純だけではあるまい。近くの数人があからさまに顔をひきつらせていた。男でも見た目だけは深窓の令嬢なのである。
―――よく想定の埒外の科白を落としてくれるよなぁ。
その最たるものが恋人宣言である。
そしてちょうどそのタイミングで、
「こんにちは、都竹先輩」
朗らかに声をかけてきたのは残る二人のうちの一人、ラスボスじゃない方こと高群青路である。
つまりは佑磨がラスボスらしい。
―――昨日一戦やったばかりなんだが…
しかし悲しいことにこちらの都合などお構いなしなのだろう。
「それじゃ早速行きましょうか」
「はいはい」
どこにとは聞くまでもない。屋上に決まっている。
義純は桜羅に一声かけて、弁当を持って立ち上がる。
そして教室を出ようとすると口々に、
「頑張れー」「健闘を祈る!」「へこんで帰ってこい」
などと声をかけられた。
どうやら想像するに。
彼らの中では高群ファミリーによる義純の桜羅の彼氏適性試験が行われているようだった。
―――あながち間違ってはいないのかもしれない。
屋上について定位置に座ってから義純は切り出す。
「俺はもう桜羅が男だって知ってるし、あんたが女だってのも知ってる。
だからもう警告してもらわなくても本気で桜羅とつきあうことなんてないわけだが。俺にそんな趣味はない」
「らしいね。けど逆に言えば結弦が女だって知ったってことじゃないか。結弦とつきあうのだって認めないよ」
「あーその可能性があったのか」
あんな天真爛漫な可愛い後輩がもし彼女になったら―――などという妄想はしそうになったがしない方が良さそうである。
「そうだよ。それに件の都竹先輩がどんな人か、僕だって気になってるんだから」
「それと弁当の味もか?」
「燕路のお墨付きをもらったそうだね」
「高校生の兼業にしてはって但し書付だがな」
「十分だよ。燕路は舌が肥えてるんだ」
―――それは同じものを食べてるお前もだろう―――
その出かかった言葉を義純は飲み込んだ。
「なあ青路。ひょっとして―――さ。
燕路と一緒に暮らしてないのか?」
やはり当たりだったのだろう、青路は箸を戻して目を丸くして義純を見返した。
「…………どうしてわかった?」
「弁当だよ」
青路の広げた弁当はごくごく普通の庶民的な弁当だった。
それはむしろ―――
「桜羅と結弦と、同じ弁当だよな? 弁当に使ってるカップとか、おかずの取り合わせや詰め方が同じだ。出汁巻き卵の焼き方だって同じ」
「驚いた、それも当たりだ」
「今までそれ指摘されたことなかったのか? 燕路のあんな料亭みたいに手の込んだ弁当、話題になってもおかしくないだろうに」
青路は苦笑する。
「僕は一人で食べることが多いから、比べられる機会がなかったんだよ」
「そりゃ性別を偽ってるんだもんな、一人のが気が楽か」
「うーん、そうじゃなくても変わらないだろうな」
気落ちしたふうではなく、相変わらずのさっぱりとした明るい口調。だが、むしろそれが現状を諦めきっているように感じてしまう。
「高群ファミリーの普通でなさは、先輩も昨日身を持って理解してるでしょ。佑磨も無茶してくれたもんだよ」
「…ひょっとしてお前ら、俺と誰がどこで何があったか皆で情報共有してるわけか?」
「毎晩書き込んでる」
「どこに!? 見たくねーっていうかやめろ。今すぐ」
「ちゃんと非公開にしてるから安心して」
「そういう問題じゃない!」
「恭輔さんもメンバーにいるよ」
「むしろ知らずにいたかった! すぐに外せ、外してくれ!」
「なんて冗談だよ」
「どこまでが!?」
「まあまあ。事実を全部知ることが出来たら、高群先輩を仲間にするかの承認、皆の審議にかけてあげるから」
「片っ端から削除してやる! っていうか論点がずれた!」
ずれたと言えばもっとはじめからずれていた―――いや、ずらしたのだろう、故意に青路が。
それをあえて戻すことはするべきではない。そもそもあんなことを聞く時点で間違っていたのだから。
性別が一致する佑磨でさえ、自分が普通でないという認識を強く持っていたのだ、それなのに性別まで偽っている青路が打ち解けるのは容易ではないだろう。結弦もあの日、一人になるために屋上に食べに来ていたのだと思い出す。
「まあとにかく、僕とあの兄妹は本家を出て一緒に暮らしてるから。もちろん年齢的に大人の身内も一緒。その人が家事とかやってくれて、まとめて弁当作ってもらってるから兄妹と同じになるんだよ」
本家を出ている高群ファミリーは、格好を性別逆転させている―――
今のところそういうことになる。
だがそれが何を意味するのかまではわからない。
「兄妹―――っていうか姉妹か、姉妹一緒じゃなくて寂しくないのか?」
そんなことを言ったら笑われた。
「恭輔さんも弟に甘いけど、逆もなのか。
燕路には学校で会えるし、電話にメールにチャット、話す手段はいくらでもあるから」
だから寂しくない。
ではなく、それでも寂しい。
それが続く言葉ではないのか。
でなければどうしてそんな哀しく笑ってみせる。
「で、昨日桜羅と何話してたの?」
あっさりと青路は話題を変える。
「あいついちいち報告してたのか!?」
「あ、やっぱ先輩と話してたんだ。話し声が隣の部屋から聞こえてたからひょっとしたらと思ったんだけど、当たりだったんだ」
「お前な……。
別に大したこと話してない。桜羅が男だって知ってるってのと、その上で偽の恋人関係は協力するって話しただけ。
で、お前も寂しいなら寂しいって言っていいと思うぞ」
虚を突かれたようで青路は丸く目を瞠る。
「…………………………。デリカシーがないよ。言わせたいのかい」
ふいと視線を逸らし、むすりとして青路は言った。
「いやまあ年下の女の子に寂しいとか言われるのって滾るよな」
「……不意打ちはひどいよ、いきなり女の子なんて」
「……そりゃこっちの科白だ」
顔を赤くして俯く青路は、どうみても年相応の可愛らしい女の子だった。
男らしい言動が板についている分なんというかそのギャップがまたなんとも。
「…あ、そうだ高群の異端者っていったら誰かわかるか?」
内心の動揺を誤魔化すため咄嗟に出た問いかけに、
「え?え? 結弦のこと? それがどうかした?」
まさかの返答。
同じく動揺を誤魔化すためだろう、青路も上擦り気味の声で早口に答えていた。
口にしてから無意味さに後悔したその問いかけに、まさか答えが返ってくるとは。義純は一気に平静に引き戻される。
「真実を知るヒントとして佑磨から聞いたんだが。結弦なのか?」
「あ、なら違う。別の人だ。―――――――って何言ってんだ僕」
青路もようやく自分が何を口走ったか自覚したらしい。苦虫を噛み潰した顔をした。それで男らしい顔つきに戻ってしまう。
「いいか、佑磨に口止めされてるわけじゃないし。結弦が除外されたところで追加のヒントになるわけでもないし」
「結弦は異端なのか?」
「それを知りたければ真実を知ることだね。佑磨のヒント、なかなか的を得ていると思うよ」
「なら期待させてもらうとするか」
高群ファミリーの記録本に。
午後と明日一日の授業はじれったさで長くなりそうだった。
やはり下校というのは恋人とするべきだろうか。
―――いやでも偽だし男だし、かといって関係を怪しまれるのはまずいだろうし―――
HRが終わった教室で義純は思い悩む。机の中の荷物は鞄にしまい終わってしまった。残念なことに文芸部は今日も休みだ。
当の桜羅が目の前にいればお互い帰宅部だ、なら一緒に帰るか―――というとても自然で理想的な流れができあがるのだが、残念なことに最後の授業のプリントをクラス全員分回収して教科担任に届けているため不在である。あと一問練習問題があれば桜羅は黒板で問題を解いて、代わりに隣の席の生徒がプリントを届ける係になっていたのに何と惜しい。
ここは待つべきか待たざるべきか。
そう葛藤しつつ何気なく視線を外に投げる。
すると―――
義純は席を立ち鞄を肩に、クラスメイトへの挨拶もお座なりに急いで教室を後にした。
昇降口でスニーカーに履き替え、校門へ続く道を走ると何とか見失う前に追いつくことができた。
「結弦!」
後ろから声をかけると、結弦はびくりと肩を竦めて振り返る。
驚かせてしまっただろうか。
「もうヨシ先輩! ダメじゃないですか!」
「え? ごめん何が?」
開口一番に駄目出し。顔を赤らめ怖いどころか可愛いリアクションだが凹む。加えて何がいけないのか分からない。
結弦は周囲をきょろきょろと見回して何かを確認すると―――その動作も女だとばれないか冷や冷やするほどに可愛らしい―――、ようやく義純の方を向き直った。
「おに―――姉ちゃんに見つからないうちに早くあっち行ってください。ボクはもうヨシ先輩とは会わないことに決めたんです」
結弦は一方的にそう告げて、くるりと前を向いて再び歩き出した。
「体裁が悪いってだけだろ。なにもそこまで意固地にならなくてもさ」
そう言いながら義純は足早に歩いて追いつき、懲りずに結弦の横に並ぶ。
とはいえどんな事情があろうと、仲良くなろうと思っていた先輩を男である兄に取られてしまえば女としてはプライドが甚く傷つけられるのかもしれない。寝込むほどに。
そっぽを向いてこちらを向こうともしない結弦に、義純はさらに話し掛ける。
「俺が代わりに桜羅に怒られてやるからさ、ちょっとだけ。
もう体調は良くなったのか? ―――って、俺が言うなって話だが」
「先輩が気にすることないです。もうすっかり良くなりましたから。
―――あの。ボクのこと心配してくれたんですか?」
そう言って結弦は頬を赤らめ、ちらりと上目づかいで見上げてくる。押し隠してはいるがどことなく嬉しそうである。正直な奴だ。こちらまでつられて嬉しくなる。
「ああ、そりゃもちろん」
そう答えて義純は、あの時女の後輩からお昼に誘われたのだという事実にようやく気づく。無論燕路と比べてはならない。こちらは打算抜きで誘ってくれたのだ。
―――だからこそ。
期待を持たせることをしてはいけない。
双子の警告を思い出す。
「あのときは悪かったな、一緒に食べてやれなくて。お前にとっては俺が桜羅の彼氏ってのは気分が悪いかもしれないけど、俺は桜羅とお前達に協力してやりたいんだ。お前達に関わりたいんだよ」
これを言わなければ―――謝らなければと後を追ってきたのである。
そしてそう告げたその時。
その横顔が。
黒く―――比喩ではなく黒く翳って見えた。
「…結弦……?」
恐々と名を呼ぶ。
「え? あ、はいなんですか?」
我に返ったように義純を見上げる結弦。その顔は少し色が薄いくらいの普通の肌色だった。
―――今のは一体―――
何かの見間違いなのか。また精神操作か。
今更超常現象に驚きはしないが―――
「俺が悪かったって話だ。謝るよ。
―――あまり俺と話さない方がいいんだろ? じゃ、先に行くな。姉貴と仲良くやれよ」
そう告げて義純は足を速めた。
命の危険さえ感じてもおかしくないあの佑磨の炎に囲まれても怖いとは思わなかった。
―――それなのに何故だろう。
ただの気のせいかもしれないたったあれだけの闇が、肌を粟立たせていた。
結弦は異端だと青路が言っていたのを義純は今になって思い出した。