肩書き
私がタンスデビューを果たした時、隣になったのが『ピンクねーさん』だった。
新しい世界で、おどおどドキドキしていた私は勇気を振り絞り、ピンクねーさんに挨拶した。
「はじめまして。あの…今日入ったばかりの『上西石油店』と言います。」
するとピンクねーさんは、私を一瞥して、
「フン」
と鼻で笑った。
生け簀かない感じのタオルだった。
だが、なぜそんな態度なのか、このタオル社会に入ってすぐに解った。
生まれつき持っている使用感だとか、色だとかよりも、体に印刷もしくは刺繍されている名前すなわち肩書きが、とても重要視されているのだった。
私の場合、肩書きは『上西石油店』だ。
ピンクねーさんは『ヴァレンチノ』だった。
林やぺー、パー子の持ち物かと思わせる、見事なショッキングピンクの色をした彼女は、
「ヴァレンチノよ。ヴァレンと読んで」
と、高飛車に言った。
彼女の存在はタンスの中でもひときわ目立っていたが、それだけ実力を持っているらしく、とかく指名が多かった。
一番指名してくれているのは、高2の次男だった。
おしゃれな次男は、持ち歩くことはしないが、洗顔後やちょっと手をふくだけでもピンクねーさんを選んで使った。
回りにいる、ただ真っ白で、薄っぺらな私たちタオルには見向きもしなかった。
ピンクねーさんも次男に使われるのが自慢のようで、しょっちゅう留守にしては戻って来るたび、
「またマークン(次男)に指名されちゃったよン」
と目をキラキラさせて話していた。
私といえば、ふけりゃ何でもいいって感じで使われるのが常だった。
悔しかったが、やっぱり肩書きだけあってピンクねーさんはふわふわしていて、同じタオルとは思えないほど可愛らしかった。
同じ洗剤で洗っているはずなのに、ピンクねーさんからはいつもいい匂いがした。
私とて、いいタオルに生まれたかったが、『上西石油店』なのだから仕方ない。
ある日のことだった。
次男がタンスを開けた。何やら顔をふいたりするためではなく、出かける時に持っていくタオルを探しているようだった。
ピンクねーさんは次男の顔を見るなり、目を輝かせた。
私たちタオルはみな、ピンクねーさんご指名だろうと思っていた。
しかし次男の手は、ピンクねーさんを飛び越えて、後ろに控えていたブルーの『名無し』を掴んだ。
『名無し』とは、そのまんまなんの肩書きも持たない無地のタオルのことだ。
タンスが閉まる瞬間、『名無し』がニヤリとした。
「……」
残された私たちはしん、とした。
ピンクねーさんがワナワナしてるのがわかった。
ピンクねーさんはプライドが高いから、自分が選ばれなかった事が許せないのだ。
「あの…ピン、(じゃなかった!この呼び方はピンクねーさんに禁じられてる)ヴァレンさん…」
何とか慰めようと思って声をかけた。
「なによ!」
ピンクねーさんがキッと睨んだ。
「あ、あの…多分マークンさん、どこかへ持っていくからブルーの『名無し』さんを選んだ…」
「そんなことわかりきってるじゃないの!」
最後まで言わないうちに、ピシャリとピンクねーさんが言った。
「あのタオルがブルーじゃなきゃ、マークンが選ぶわけないじゃない!あんなゴワゴワタオル!あんたは、あたしがピンクだからって、バカにしてんの!?」
怒りの矛先がこちらに向いてしまった。
「いえ、そんな…」
「じゃあ何で持っていくとか言ったのよ!?あたしは出かけるのに恥ずかしい色だとでも言いたいんでしょう!?」
「いや、ちが…」
「そういうあんたは白のくせに、全然選ばれないじゃないの!あんたみたいなタダでもらえるタオルは雑巾になるに決まってるのよ!」
タンス内がしん、とした。
ピンクねーさんは、ウッウッと泣き出していたが、タンスの中には冷たい空気が流れた。
その時だった。
ガラッ。とタンスが開いたかと思うと、薄汚れたようなごつい手がピンクねーさんを掴んだ。
「えっ?えっ?」
ピンクねーさんも、タンスの中のみんなも唖然としているうちに、タンスは閉まった。
あのごつい手は、どう考えてもこの家の親父のものだった。
農作業をしているらしく、爪の間や、皮膚のシワにはいつも泥が詰まっていた。
親父は基本的にタオルは何でもいいらしく、一番とりやすいところのタオルを掴むのだ。
「あんな人に絶対使われたくない」と言っていたピンクねーさんは、今まで運良く、一度も親父に使われたことはなかった。
しかし今日は運悪く、一番掴みやすいところにいたのだった。
その後、普通は次の日には洗濯されて帰って来るのに、2日たっても3日たってもピンクねーさんは帰って来なかった。
あるタオルは、ピンクねーさんが風呂からあがった親父の首にかかっているのを見たと言い、あるタオルは外で親父が使っているのを見たと言い、様々な噂がたったが、誰一人ピンクねーさんと洗濯機で一緒になったものはいなかった。
ピンクねーさんがいなくなって、数週間がたった。
良く晴れた空のした、外に干されていた。薄い私は風にパタパタとなびいていた。
ふと、庭に止めてある軽トラックのフロントに目が止まった。
ガラスの向こうにピンクの塊が見えた。
変わり果てた姿で、ピンクねーさんがこっちを見ていた。