第一夜 物語り師と月の魔石[1]
遥か彼方より吹いた風が、砂塵を巻き上げた。
ラクダに乗って砂漠を進んでいた青年は、白い服に付いた砂を払う。目に埃が入ったのか、ラクダが鳴き声をあげた。青年は手綱を握りなおし、再び前を見つめる。
青年の眼前には、岩と砂だけの不毛の地が続いていた。生き物の影はほとんど見えない。青年が向かうオアシス都市に着くまでは、もう少しこの風景が続く。
青年の旅は順調に進んでいた。このまま行けば日が沈むまでには街に着くだろう、と青年は空を見て日の高さを確かめる。
その時彼は、自分が進む先に何かが倒れているのに気が付いた。
なんだろう、と目を凝らす。それは小柄な人間に見えた。だが、なぜ荒野の真ん中に人が倒れているのだろう。
……妖怪のたぐいか?
そんなことを考えつつ青年はその者に近づいた。ラクダから降り、うつ伏せに倒れていたその者の肩を揺する。しかし返事はない。服の端から見える腕や掴んだ肩はか細く、女のようだった。
そのまま彼女を仰向けにさせる。倒れていた者は、若い娘だった。頭に被ったベールの端からは、黒髪がこぼれ出ている。顔には生気が無く、瞼も閉じたまま動かずにぐったりしていた。妖怪ではないようだった。
なぜこんな若い娘がこんな所で倒れているのかという疑問が脳裏を過ぎったが、すぐに今はそれどころではないと思い直す。ラクダにくくり付けてある麻袋から、皮で出来た水筒を取り出し栓をあける。水筒の中の水は、半分ほど残っていた。それを少女の頬にかけてやる。水筒の中の水が残り僅かになったころだった。
少女の睫毛が僅かに動いた。
娘はゆっくりと目を開く。青年は安堵しながら彼女の顔を覗き込んだ。少女はまだ意識ははっきりしていないようだが、ぼんやりとこちらを見た。
「……飲めるか?」
水筒を唇に近づけて問うと、彼女は少しだけ首を縦に振る。水を少し口に流し込んでやると、少女はゆっくりとそれを飲み込んだ。
少女は掠れた声で尋ねた。
「……あなたは」
「私の名前はアティーヤ。アティーヤ・ニッサファーだ」
力なくこちらを見ている少女の瞳には、不安の色があるようだった。だから彼女を安心させようと、アティーヤは優しく微笑んだ。
「安心しろ。私が君を無事に家まで送り届ける。この名に懸けて誓おう」
アティーヤは少女をラクダに乗せて、街に向かった。
少女は街に着く前に、再び意識を失った。
少女が再び目を覚ましたのは、翌日の朝だった。
目を覚ました少女はまず、自分が寝台の上に横たわっており毛布がかけられていることに気が付く。少し開いた窓から差し込む朝の光がまぶしくて、目を細めた。
そうしていると、見知らぬ女が視界に入った。こちらを見て破顔した彼女は、明るい声をあげる。
「あら、起きたのね! アティーヤさん! あの子が起きましたよ!」
彼女に呼ばれてやってきた青年も、彼女を見て口元を緩める。
「気が付いて良かった。気分はどうだ?」
起きたばかりであるせいか、視界がまだぼやけていた。だが、青年の顔を見て、砂漠で倒れていたのを助けられたことを思い出す。
「貴方は……わたしを助けてくれた……」
「あの時のことを覚えていたんだな。改めて名乗ろう。私は宝石商のアティーヤだ」
商人という割には、こちらを見る青年の表情は逞しく見える。そういえば自分を助けた時、旅の仲間の姿は見えなかった。一人で砂漠を渡るような男は、それに似合った風格を持つらしい。腰には剣を携えていた。
年齢は二十過ぎくらいだろうか。成人した男は髭を生やしていることが多かったが、アティーヤの顔にはそれがなかった。しかし、物腰は落ち着いており、一人前の商人の顔をしている。ターバンを巻き、動きやすそうな服を纏っていた。
「わたし……」
少女がゆっくり身を起こすと、アティーヤはそれを制止するような動作をした。
「無理にしゃべらなくていい。今はゆっくり休め。君のことはあとでゆっくり聞かせてくれ」
そうしていると、先程の女が器をもってやってきた。
「お体はどうかしら? 飲める?」
女の顔には子供を慈しむ母のような微笑みが浮かんでいる。彼女の年齢を考えれば、本当に子供がいたとしてもまったく不思議ではなかったが。
差し出された器には、ヤギの乳が入っていた。
それを見て少女は、自分がひどく空腹であることに気が付く。空腹を通り越して、体全体を倦怠感が支配していた。視界がぼやけているのも、そのせいなのかもしれない。
力の篭らない手でそれを受け取る。そして器に顔を寄せるようにしながら、乳を口の中に流し込んだ。
瞬く間に、渇いた喉にヤギの乳が染み込んでいった。体の隅々まで力が満たされていくように感じる。生きた心地が、した。
「……ありがとう」
器を空にしてしまった少女は、女にそういった。女はやはり微笑んで、「どういたしまして」と言った。
「彼女はこの隊商宿の女将さんだ。寝ている君の世話をしてくれた」
礼を言おうとすると、口を開く前に彼女は、「お礼なんていいのよ」と笑った。
「じゃあ、ここは……」
「商都・フェルカンド。砂漠の真ん中にある、オアシス都市だ」
そう言うと、アティーヤは窓を全開にする。
眼前にはフェルカンドの街並みが広がり、その向こうには砂漠が見えた。
フェルカンドは帝国でも有数の交易都市だ。砂漠の真ん中に位置するこの場所では、古今東西のあらゆる品物が取引される。古くは砂漠を行く隊商が休息をとるためだけの小さな街だったが、現在ではこの辺り一帯では一番大きな都市となっている。
そんな都市の市場ともなれば、その規模は相当なものだ。売られているものごとに大まかに区画が分かれているのだが、その分類も実に多様である。
市は定刻まで開かれない。それでは市場も静かなものだ。しかし、市が開かれると同時にあたりは一気に騒がしくなる。売られ買われて、値切って値切られ。多くの市場に行ったことがあるアティーヤだったが、ここまで活気のある市場もなかなかお目にかかれない。熱くなりやすいのがこの街の人々の気質なのかもしれない、と彼は考えている。なんにせよ、景気がいいのは良いことだ。
彼がやってきたのは、女向けの服飾品を扱う店が立ち並ぶ通りだ。宝石を扱う商店の通りは別に、一本隣りにある。アティーヤがやってきたのは、知人に会うためだった。
アティーヤが行き着いたのは、一軒の店。店頭には、色とりどりの服がかけられていた。貧しい者が買うような古着はなかったが、中流階級の子供が着る服から上流階級の婦人のスカートまで、様々な服がずらりと並んでいる。
その店先に、恰幅のいい男が座っている。がっちりとした体型だが、目がくりくりしていてどこか茶目っ気のあるこの男は、この店の主人だ。元はアティーヤの父と仲が良かった彼は、その跡を継いだアティーヤとも親交がある。服屋の主人は、こちらを見ると口の端を吊り上げた。
「おや、アティーヤ。女物の服を買いに来たのか? さては、女でも出来たのかい?」
彼は軽口半分にそう言った。女、という言葉に砂漠で出会ったあの少女のことを思い出す。彼女のことは宿の女将に任せてきており、今は宿で寝ているはずだ。しかし、彼女のために服を買いにきた訳ではないし、彼女とは主人が言うような関係ではない。
「まさか。お久しぶりです、親父さん。どうですか商売のほうは」
「駄目だ駄目だ! ムアイカドの坊ちゃんは、外から来た商人ばかり優遇しやがる」
ムアイカドという人物は、フェルカンドを支配する七つの氏族の、そのうち一つの当主だったと記憶している。確か年齢はアティーヤよりも少し上だったので、もう坊ちゃんと言われるような歳ではない。皮肉のつもりで言ったようだ。
しかし、店の様子を見る限り、生活を窮迫ほどではないのだろう。
「アティーヤのほうはどうだ? 確か西のほうに行っていたとか」
「西は戦一色でしたよ」
「だが、別に商売には困らないだろう?」
彼の言うとおりだった。戦争で国が荒廃し民衆が貧しい生活を強いられようとも、あるところには金がある。宝石のような高価なものも、買い手はいるのだ。むしろ、宝石には不思議な力あると信じられている地域もあり、そういうところでは、戦争のように社会全体が不安になると、宝石を買い求める者も増えるのだ。
「しかし、旅をするには物騒です」
「お前は一人で旅をしていたんだったな」
「はい。宝石商は大きな荷物を運びませんから。ラクダ一匹いれば、事足ります」
「しかし、わざわざ一人で旅することはなかろう。隊商に加わるなり何なりすればいい」
砂漠を渡るときは、主人が言ったように、仲間を作るのが普通だ。荒地には盗賊もいるし、獰猛な肉食獣も潜んでいる。しかしアティーヤは、仲間を作ることはしなかった。
「……旅の連れがいたからといって、安全とは限らないでしょう。身内や旧知の仲ならともかく、異郷の土地で信頼できる者を探すのは難しい」
主人は何か言いたそうな顔をしていたが、何も言わなかった。
「それより宝石の相場は?」
アティーヤがそう切り出したので、そこからお互いの商売に有益な情報の交換が始まった。アティーヤは、西で流行している服の話をし、店の主人はこの街の宝石商達について話したりした。話の種が一通り尽きたところで、アティーヤは聞こうとしていたことがあったのを思い出す。
「ああ、そうだ。大事なことを聞き忘れていました」
その問いをしてくることは、主人も予想していた。
「バドル・アル・ドゥジャーの話は、聞かないですか?」
主人は僅かに顔を曇らせた。
その日一日は、街の商人達と話をしたり、市場の様子を見ただけで終わった。本当なら出来るだけ早く品物を買い付け、次の街に向かうべきだが、今はあの少女の事もある。アティーヤは、誰に対しても心優しいというわけではなかったが、一度約束したことに関しては、最後まで守る性分だった。砂漠で、無事に送り届けると彼女に言った。約束した以上それを破るつもりはなかった。
そういう訳で、アティーヤはまだ日が高いうちに宿に戻った。すると宿屋の女将は待ちわびたような顔で言った。
「おかえりなさい。アティーヤさん、あの娘、起きたわよ。貴方に言いたいことがあるんですって」
きっと元気を取り戻したのだろう。そう期待して、彼女の部屋に向かう。
例の少女は客室ではなく、元は使用人部屋で今は使われていなかった部屋にいる。隊商宿を利用するのは男ばかりで、その中に若い娘が滞在するのも注目されると思ったのだ。少々手狭ではあったが、宿屋の女将に面倒をみてもらうのにも、そのほうが都合がよかった。
二階建ての宿のうち、彼女のいる部屋は一階の奥にある。部屋の前まで来て、女将が戸を叩いた。
少しして、扉がゆっくり開いた。部屋の中から、少女が顔を覗かせる。
アティーヤは改めて彼女を見た。まるで親を失って道端で震えている子猫のようだ、と思った。体つきは小柄で、二つの黒い大きな瞳は、恐怖と警戒の篭った様子でこちらを見ている。
「どうぞ……」
か細い声でそう言うと、彼女は戸を開いて部屋に招きいれた。
部屋の中で少女とアティーヤは、女将を挟むようにして向かい合った。
「あの、助けてくださってありがとうございました……」
そう言う彼女の声は今にも消えてしまいそうなくらい小さい。一瞬目が合ったが、すぐに下を向いてしまった。
アティーヤは思わず不安になる。自分が何かしただろうか。年頃の娘が男を警戒するのは仕方ないとしても、自分は彼女の命の恩人なのだ。もう少し信頼してくれてもいい気がした。
女将の顔を見ると、困ったようにこちらを見ている。視線を落とすと、少女の手が女将の服を掴んでいた。女将には心を許しているらしい。あまりいい気はしなかったが、出来るだけそれを隠して、優しい声で少女に尋ねた。
「君、名前は? 教えてくれるか?」
「……ライル、と言います」
「体のほうは大丈夫か」
ライルは無言で頷いただけで、それ以上は何も言わない。
「……そうだ。君に渡したいものがあった」
気まずい沈黙を何とかしようと、アティーヤは懐から包みを取り出した。
中にあるのは胡桃に砂糖をまぶした甘い菓子だ。アティーヤは甘いものが嫌いな女性に会った事がない。きっとライルも気に入るだろうと、買ってきたのだ。
「食欲はあるか? 食べないことには、良くなるものも良くならないからな」
アティーヤが差し出すと、ライルは両手でそれを受け取る。しかし、黙って頭を下げただけで、一つも言葉を発しなかった。
「気を悪くしないでくださいね、アティーヤさん。貴方のことを怖がっているとか、そんなのではないのよ」
ライルの部屋を出て、少し離れたところで女将はそう彼女を庇った。
「まだ体の調子が悪かったんでしょうか」
「いいえ。きっと彼女を苦しめているのは体ではなく心の痛みよ」
「心?」
アティーヤが言葉を繰り返すと、女将は静かに頷く。
「私も少し話を聞いただけだから詳しくは分からないのだけれど……彼女、砂漠で家族を失ったみたいなのよ。盗賊に殺されて」
彼女が自分を警戒する理由が分かった気がした。
きっと自分を見ると思い出してしまうのだろう。自分の家族を殺した、男達のことを。
砂漠で彼女を見つけたとき、ライルは一人だった。盗賊に家族を殺され、たった一人で砂漠にいたのだ。どちらに行けばよいのかも分からず、街を探してさ迷っていたのだろう。もしかしたら、このまま自分も死んでしまうのでは――そんな思いで。
その恐怖は、あの見るからにか弱げな少女が背負うには重すぎるに違いない。
肉親を失う悲しみは、アティーヤにも良く分かった。救済したい、とまでは思わない。ただ、ほんの少しでも彼女の支えになれたら。
「……もう少し、彼女と話をすることは出来ないでしょうか」
腰に提げていた剣は、置いていくことにした。
ただでさえ警戒されているのだから、一人で彼女の部屋を訪れても不安を煽るだけだろう。そう思って、宿屋の女将に付いて来てもらうことにした。
案の上ライルはアティーヤを、歓迎はしなかった。しかし自分が命拾いし、この宿で滞在出来るのは、アティーヤのお陰だというのは理解しているのだろう。露骨に拒絶することもしなかった。
部屋は広くはなく、室内にはライルが横たわっていた寝台と小さな机と椅子が二つしかない。机の上には、菓子の包みが手付かずのまま残っていた。
ライルは寝台に、他の二人は椅子に腰掛けた。
「……良かったら、君の話が聞きたいんだが……」
そういうとライルは、表情を曇らせた。アティーヤは慌てて付け加える。
「……悪い、心の整理が出来たときでいいから、話してくれ」
ライルの表情が少し元に戻ったので、アティーヤは内心安堵した。
「そう言えば、私自身の身の上についてはあまり話していなかったな。君の話を聞く前に、自分について話すのが筋というものだろう。聞いてくれるか?」
「……はい」
そう答えた少女の声色は、先程までよりも力が篭っているように思った。少しはアティーヤに興味を持っているらしい。
「朝にも言ったかもしれないが、私は主に宝石を取り扱う商人だ。宝石だけじゃなく、装飾品全般を取り扱っているな。宝石商がどういう仕事か分かるか?」
ライルが首を傾けたので、出来るだけ簡単な説明を始める。
「宝石というのは、地域によって価値が違う。石がたくさん採れるような地域では、貧しい農民だってお守りに宝石を持っているんだ。逆に、ある地域では流行や迷信なんかによって、他では価値の無い石もとんでもない高値で取引されたりする。物が豊富なところから、物が無いところへ物資を運ぶ。需要と供給を繋げる。宝石だけに限った話じゃなく、それが商いの基本だよ」
ライルは真剣な眼差しでこちらを見ている。自分の話に興味を持ってもらえることが嬉しくなったアティーヤは、気を良くしてさらに続けた。
「そういう商売をしているもんだから、いろんな所に行ったよ。北の少数民族の集落から、南の海の向こうにある宝石が山ほど採れる島……東では見たことのないような生き物の伝説を聞いたし、西では異教徒との戦争を目の当たりにしたよ」
「――どうして?」
初めてライルが自分から口を開いた。
「……どうして、と言うと?」
不意の言葉に困惑しながら、アティーヤは問い返した。
「どうしてそんなにいろんなところに行って商売をするんですか。いろんな所に行くってそれだけ大変なことだと思います……それなのに、どうして」
ライルの指摘はもっともだった。今まで行ったことのない道を通るには、通ったことがある道を通る以上に様々な危険が伴う。何よりも大変なのが、知人もいない見知らぬ土地で商いをすることだ。勝手も違えば、言葉すら通じない場合もある。
「それは……」
アティーヤは口ごもる。もちろん理由はあったが、簡単に言うのは憚られた。
しかし、ライルの二つの大きな瞳は、こちらを見据えて彼を離そうとしない。まるで、自分の胸の内を見透かしているかのように。
「……探しているものがあるんだ」
もう、何も話さない訳にはいかなかった。
「それは……」
「最高級の宝石だよ。普段私達宝石商が扱っているものが、ただの石ころみたいに見えてしまうような奴だ。大きさはもちろん、その輝きも、超一級。夜空の満月が地に姿を現したかのような、宝石の名前は――」
「バドル・アル・ドゥジャー……」
アティーヤが言おうとした名を、ライルは言った。
驚愕に満ちた表情で、アティーヤはライルの顔を見た。
「知っているのか?」
ライルの表情に、もはや不安や警戒の色はなかった。物怖じ一つせず、彼女は言葉を紡ぐ。
「『月の魔石』『地上の満月』、『神の涙』……古より様々な名前で呼ばれてきた、不思議な力を持つ宝石。愚者に災いを、賢者に恵みを与えると云われる伝説の輝石」
ライルが言ったのは、まさにアティーヤが話そうとしていたそれだ。はやる気持ちを抑えながら、アティーヤは慎重に尋ねる。
「何でそれを知っているんだ? 誰かから聞いたのか?」
「……わたしの姉は物語り師で、バドル・アル・ドュジャーにまつわるお話を集めて、語ってたんです」
「その姉君は、今……」
そう言うと、ライルの表情に陰が差した。
アティーヤはすぐに、彼女が砂漠で肉親を失ったという話を思い出す。慌てて言い直した。
「いや……君はそのお話を、知っているのかい?」
「ひとつだけ。ひとつだけなら知ってます」
「じゃあそれを聞かせてくれないか?」
え……、と小さく言葉を漏らし、彼女は当惑した顔になった。
「物語り師の妹である君なら、その物語も語ることができるんじゃないか?」
「でも……わたしは……」
ライルは自信がなさそうにそう言う。しかし、アティーヤはせっかく見つけた探し物の手がかりを手放すつもりはなかった。
「頼む。ようやく見つけた手がかりなんだ! 私はどうしても……どうしても、バドル・アル・ドュジャーを手にいれなくてはならないんだ」
命の恩人にそう頼まれては、ライルも首を横には振れない。しかし、ひとつだけ条件を出した。
「日が沈んでからでもいいですか」
その一言に、今まで黙って話を聞いていた宿屋の女将は立ち上がった。
「だったら晩御飯にしましょう」
女将の愛想の良い笑顔が、二人に向けられていた。