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序章

 真昼の砂漠の中にあっても、その場所は静寂と薄暗がりだけが支配していた。

 遠い昔に作られ、そして捨て去られた神殿。今となっては、時間が過ぎ去り朽ち果てるのを待つだけの場所。その中央に向かう細い一本道は、土の壁で囲まれており、行くほうと来たほうからのみ光が入ってくる。

 闇からくる恐怖からだろうか。それとも、この先に待つものへの不安だろうか。少女は姉の服の端を掴んだ。

「こんなに古い神殿で、崩れたりしないのかな」

 すると姉は、優しい声で諭すように言った。

「大丈夫よ、ライル。あの人が外で待っていてくれるもの。いざとなれば助けてくれるわ」

 ライルには、たった二つしか歳の変わらない姉が、とても気丈に見えた。そのように見えるようになったのは、姉が結婚してからだった。

 あの人、というのは姉の夫であることを、ライルはよく知っている。彼は砂漠の真ん中にあるこの古い神殿まで、二人の付き添いでやってきたのだ。三人はラクダに揺られて、街からここまでの長い道のりを来た。

 彼らがそのような苦難を甘んじて受け入れてここまで来たのには、それだけの理由がある。

 この先で、見なければいけないものがあるのだ。この暗い一本道のその先で。

「ライル。よく見なさい。そして胸に刻みつけるのです。我々物語り師が語るのは、単なる絵空事ではないということを」

 そして二人は、神殿中央の広い場所に出た。

 建物は元の形を保っていなかった。天井は一部崩れおち、灼熱の日差しが差し込んでいる。かつては細密な装飾があったであろう壁は、砂漠の風にさらされ、ほとんど原型がなかった。ある場所ははがれ、ある場所はえぐれている。かつて天井や壁であったであろう破片が、床に散らばっていた。

ライルはあるものを見つけ、身を震え上がらせた。

 静かに横たわっていたのは、一体のサソリの像。その像は顔だけが人間のそれのようで、足が普通のサソリよりも多く生えている。見るものに恐れを感じさせる像だった。

「異教徒の……偶像……」

 ライルは思わず、姉の陰に隠れる。しかし、姉は物怖じ一つせずに言う。

「その隣を、見てみなさい」

 姉が指差す方向を、ライルはゆっくり見た。なにかとても崇高なものを飾るかのような立派な台座がそこにあった。しかし、肝心の飾られているものは見えない。そのものは、もうここには無いらしかった。

 だが、かつてこの台座に据えられ、崇められていたものの名前を、ライルは知っている。

「バドル・アル・ドュジャー……」

 そう呟いた時。まさにその名が呼び寄せたかのように。

 災厄が具現する。

 短い悲鳴が、通路の向こうより木霊した。それが姉の夫の悲鳴であることを、ライルはすぐに理解する。次に不穏な足音が反響して聞こえた。何者かが、賊が、近づいてくる。

 神殿にはもう一つ出口があるようだったが、瓦礫で塞がれていた。逃げ道は無く、ただ足音が近づいてくるのを待つことしか出来ない。あまりの恐怖で体を凍りつかせるライルの手を、姉は堅く握った。

 そして現れたのは、二人の男だった。

 二人ともいかにもならず者という風の破れた服を着ていた。顔に布を巻いているため表情は分からないが、目だけはギラギラと光って見える。手には剣。その刃は赤黒い血で汚れていた。

 神殿を荒らすために来た盗賊か。それともただの追いはぎか。それは分からなかった。分かるのは、賊達の邪悪な意思のみ。

 ライルと姉を見た二人は、剣をこちらに向けた。そして一歩一歩、じわりじわりと間合いを詰める。

「ライル。あなたは逃げなさい」

 姉はライルにしか聞こえない声で言った。

「でも、それじゃあ……」

 男達は近づいてくる。ゆっくりと確実に。

 そして間隔が狭まった時、一気に切りかかってきた。

 同時に姉は、その凶刃からライルを逃がすように、彼女の背中を押す。

「走りなさい! 後ろを見ないで!」

 恐怖で頭がおかしくなりそうだったライルは、なにも考えずにそれに従い、走り始めた。

 一心不乱にライルは走った。耳に届くのは、男達の怒号。そして姉の悲鳴。

 そこでライルはやっと気付く。自分は今、姉を見捨てて逃げているのだと。

 それでも彼女は走った。走ることしか出来なかった。

 そのまま走り、一本道の通路をでたところで何かに躓いて転んだ。ライルは首をひねり、自分が躓いたものを見る。

 そこに倒れていたのは、姉の夫だった。背中はバックリと裂け、皮膚の下の肉と骨が見えている。身に纏っていた服は血で赤く染まり、もとの色が分からないくらいになっていた。苦痛に身悶えることすらしていない。既に彼が絶命しているのは明白だった。

「ぁ……」

 訳が分からなくなったライルの口から、声にならない声が出る。

 少しして、自らの置かれた立場を理解したライルを襲ったのは、かつてないほどの絶望。

「ぅう……あ……」

 絶望は体の中心から溢れ出て、喉を通って叫びとなる。

「いやぁぁぁあああああ!!」

 その時だった。突如強烈な風が吹き、視界がぐらぐらと揺れた。いや、揺れているのは地面なのかもしれないとライルは思った。しかし耳を打つ風の音と響き渡る何かが崩れる音が頭を支配し、何が何なのだか分からなかった。

 ただ、怒っているかのようだ、とライルは直感した。しかし、何が怒っているというのか。

……異教徒の神が?

 彼女には、ただ身を伏せてすべてが過ぎ去るのを待つことしか出来なかった。

 やがて、すべての音が止み、砂漠は静けさを取り戻す。

 ライルは顔を上げる。

 そこにあったのは崩れてしまった神殿。入り口は塞がってしまっていた。

酷い有様だった。先程まで自分がいたところも崩れ、姉はその下敷きになってしまった――そう思わずにはいられないほどの。一人残されたライルは、呆然と佇むことしか出来なかった。

「そんな……姉様……」

 深い悲しみは雫となって両目から溢れ、ライルの頬を伝う。

 彼女の涙は一瞬地面にしみを作り、すぐに乾いて消えた。


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