第六話 元勇者、教育改革を始める
私は村の広場に立っていた。陽に焼けた木の板を、即席の黒板代わりに立てかけ、石灰で線を引いてある。ゴブリンの子供たちが、十数匹、わらわらと集まってきていた。
「なぁ、今日は狩りに行かなくていいのか?」
「罠の修理は?」
「遊んでていいの?」
落ち着きのない視線が、あっちへこっちへ泳ぐ。私は深呼吸してから声を張った。
「今日は新しいことを学ぶ日だ。狩りも大事だが、知恵を身につければもっと生き延びられる。君たちがこれから生きていくのに必要なことを、一緒に勉強するんだ」
子供たちはきょとんとした顔をしていた。そりゃそうだ。これまで教育といえば、各家庭で親から適当に教えられるだけ。読み書きもできず、薬草の知識だってバラバラだった。私は勇者時代、人間の世界で体系的な教育を受けていた。だからこそ、この差が痛いほど分かる。
板の前に立つと、石炭の欠片で大きく「1」と書いた。
「これは『いち』だ。モノを数える時の基本になる」
子供たちが顔を突き合わせてざわつく。中の一匹が首をかしげて聞いた。
「一本? それならわかる!」
「そうだ。一本、二本、三本……。数を覚えると、獲物の数も、薬草の束も、正確に数えられるようになる」
すると一匹の子が勢いよく叫んだ。
「私の罠で兎を三匹捕まえた!」
私は笑って頷いた。
「その三匹を数えられるのも、この数字のおかげだ。ほら、ここに書いてみろ」
石炭を渡すと、子供はぎこちなく「3」と書いた。周囲の子供たちから「おぉー!」と声が上がる。
だが、全員が素直に従うわけではない。年長のゴブリンが、腕を組んで不満げに言った。
「そんなことを覚えて何になる? 狩りができれば十分だろう。数字で腹は膨れねえ」
私は視線をそらさずにその目を見据え、いたって真面目に応えた。
「腹を膨らませるためにこそ必要だ。数字を知れば、どの罠に獲物がよくかかるか数えて、効率よく仕掛けられる。薬草を数えて管理すれば、怪我人が出ても足りなくならない。知恵があれば、強い人間や獣と正面から争わずに済むんだ」
しばし沈黙。年長の子は不承不承といった顔で、再び板を見やった。
次は薬草だ。机代わりの板に、乾燥させた葉を置く。
「これはポフ草。傷を塞ぐ効果がある。だが似た草に毒がある。見分け方を教えるぞ」
子供たちは真剣な顔で葉を手に取り、匂いを嗅ぎ、触って確かめていた。私は彼らの小さな手元に身をかがめ、正しい見分け方を繰り返し教える。
そのとき、背後でぴちゃりと音がした。見ると、オルトがスライムを連れてきていた。
「ほれ、これを使え。授業に便利だと思ってな。こいつに葉っぱを飲ませると、毒のやつは溶けずに浮いてくる」
「なるほど……教育補助具ってわけか」
私は頷き、子供たちにスライムを使った識別方法を見せた。子供たちは歓声を上げ、次々に薬草を放り込んで試していた。
夕方になり、授業を終える頃には、子供たちはすっかり夢中になっていた。板には数字や簡単な絵が並び、足元には仕分けられた薬草の山。
「すごい! 怪我したらこれで治せる!」
「数字で数えるの楽しい!」
子供たちの笑顔を見て、胸が熱くなる。私は思わず呟いた。
「……そうだ。知識こそ、我らゴブリンの武器になる」
ふと見ると、反対していた年長の子が、黙って「5」と板に書いていた。少し照れくさそうに笑いながら。
夜。焚き火のそばで、オルトが肩を叩いてきた。
「お前はもう、立派な先生だ。剣は振るわなくとも、お前はよっぽど村を守っているとも。感謝する」
私は笑って首を振った。
「剣で守れるのは一瞬だ。だが知恵で守れば、未来をつくれる。……次は人間語を教えるか。交易の時、言葉が通じれば村はもっと強くなる」
オルトは目を丸くして笑った。
「どこまでやる気なんだ。全く…まあ、お前が言うなら間違いないだろう。」
焚き火の光に照らされる村の子供たちの笑い声が、夜空に吸い込まれていく。私は静かに拳を握った。
「勇者の戦いは終わった。だが教育の戦いは、これから始まるんだ」




