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君の名前を、私が書き換える  作者: 雪見遥
第2章 2022年4月
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第12話 アニメが流れる週末

 四月中旬の週末。私はベッドにだらんと寝転がり、この「やり直し」の日々に少しだけ息を抜いていた。頭の中ではあれこれとりとめのない考えが浮かんでは消え、休んでいるようで休めていない。ただ次の人生をどう向き合えばいいのか分からず、空っぽになっているだけだった。


 階下からお母さんの呼ぶ声が響く。昼ご飯の時間だ。私は重い足取りでゆっくりと階段を下りていく。心の中には、言葉にできない倦怠感がまとわりついていた。


 食卓では、両親がいつもの調子で問いかけてくる。


「学校には慣れた? 授業はちゃんとついていけてる? 苦手な科目はない?」


 私はご飯を口に運びながら、適当に相槌を打つ。


 正直に言えば、その授業内容は三年前にもう終わらせたことばかりだ。同じ道をもう一度歩き直すなんて、挑戦心も湧かなければ、やる気も起きない。あの息が詰まるような受験勉強の日々を思い出すたびに、胸の奥に言いようのない拒否感が広がっていく。


 ご飯の途中、お母さんがふと箸を置き、何気ない口調で言った。


「そうだ、塾を申し込んでおいたわ。来週から週三日よ」


 手にした箸が止まる。頭の中に浮かぶのは、記憶の中のあの教室。白い壁、参考書の山で埋まった講師台。あれは中三の時から通い始めた塾。高校受験のために、ほとんど青春の時間をそこに費やした。夢の中でも暗記を繰り返すような、今でも鮮明に残るあの圧迫感。


「塾……」


 心の中で呟く。時間はまた、元の軌道をなぞっている。


 最初に浮かんだのは拒絶の思いだった。今の私は、もうこの授業の内容なんてとっくに学び終えている。今の知識は、ここで進んでいるカリキュラムをはるかに超えていて、改めて補習を受けるなんて、ただの負担でしかない。


 それに……補習塾の費用が決して安くないことも覚えている。高校に進学すれば、新しい塾の支出だって待っているはずだ。だからこそ、私が高校に上がったとき、お父さんはより多く稼ごうとして転勤を選んだ。私に最良の教育環境を与えるために。


 そこまで思い出して、私は思わず眉をひそめる。補習なんて、時間もお金も無駄にするだけ。今の私にとって本当に大切なのは、この「元の時間軸に戻る方法」を考えること……同じ授業を繰り返すことじゃない。,


 けれど、その直後に別の考えが脳裏をよぎる。


 ……違う。もし今ここで拒否したら、お母さんに不審がられるのでは? 本来の時間線では、私が自分から塾に行きたいと頼み込んだはずだ。これも既に決められていた現実。もしここを変えてしまったら、運命の歯車に歪みが生じるかもしれない。万が一、それが「バタフライエフェクト」になったら……? 想像するだけで恐ろしくて、とても軽率には動けなかった。


 深く息を吸い、表情をできるだけ自然に保つ。そして小さく頷いた。


「……うん、分かった」


 お母さんは笑顔で言う。


「その方がいいわ。高校進学はとても大事だからね」


 昼ご飯を食べ終えたあと、私は何気なくリモコンを手に取り、リビングのテレビの前に腰を下ろした。画面から流れてきたのは、あまりにも聞き覚えのあるオープニング曲。その瞬間、思わず目を見開く。


「わっ! 『にゃんこのお天気家族』が放送されてる!」


 思わず体を起こし、まるで電流が走ったみたいに目が画面に釘付けになる。まるで失くしていた宝物を見つけたかのように、胸がどきどきと高鳴っていた。


 このアニメは、中学三年のときに放送が始まった作品だ。毎週わずか二十分だけど、勉強以外で唯一ほっと息をつけて、癒やされる時間だった。


 物語の舞台は、不思議な町——天気町てんきまち。そこには「天気」にちなんだ名前を持つ五匹の猫の兄妹、にちにゃん、つきにゃん、ほしにゃん、らいにゃん、ゆきにゃんが暮らしている。性格はみんなバラバラなのに、いつもお互いを支え合い、小さな日常の中でぶつかり合ったり、また寄り添ったりしていく。そして彼らの気持ちは、そのまま町の天気に反映される——誰かが悲しめば雨が降り、怒れば雷が鳴り響き、誰かが笑えば太陽が顔を出す。


 カラフルで可愛い絵柄の裏には、孤独や嫉妬、自分の価値といった繊細なテーマが隠されていた。それは子どもだけが抱える悩みじゃなく、誰の心にも潜んでいる葛藤だったからこそ、私は一話また一話と夢中で追いかけ、気づけばすっかり虜になっていた。最終的には、ただのアニメじゃなくて、あの息苦しい日々を支えてくれた大切な存在になっていたのだ。


「はぁ……ゆきにゃん、やっぱり可愛いなぁ」


 思わず声に出して笑ってしまう。目元は砂糖に浸したみたいにとろけて、優しい気持ちでいっぱいになる。画面の色彩も、音も、テンポも、全部が私をあの頃へ引き戻す。孤独の中で必死に勉強していたあの青春の日々へ。そして気づく。あのキャラクターたちは、今もここにいて、再び私を迎えてくれているのだと。


 テレビの音に気づいたお母さんがやって来て、画面をちらりと覗き込みながら言った。


「これが、あなたがあの頃すごく好きだったアニメなのね。でも見すぎないでよ? このあと勉強もしないと」


「うんうん、この一話だけ見たらすぐに勉強するから~」


 私は小さく頷き、どこか甘えるような声になっていた。


「それからね、さっき塾から電話があったの。元々の時間は定員オーバーで、抽選の結果、火曜・金曜・土曜に変更になったって。一週間三日通うのは同じだけど、それでいいかしら?」


「うん、いいよ」


 私はあっさり答えた。


 私にとっては、どうでもいいこと。深く考えることもなく、すぐに視線をテレビへ戻す。再び画面に吸い込まれるように見入りながら、ただこの瞬間を楽しんだ。


 この「やり直し」の世界で、日々はテストや校則や塾の重圧に満ちている。だからこそ、これは貴重な、何よりも純粋な幸せだった。再び出会えた、あの年いちばん大好きだったアニメ。時間が大きな輪を描き、私の手のひらに忘れていた小さな幸福を、そっと戻してくれたみたいに。

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