第7話 2022年の友達
放課のチャイムが鳴ると同時に、教室はまるでダムが決壊したかのように騒がしくなった。私はゆっくりと鞄を整理しながら、いつもとは違う、どこかぼんやりとした手つきで動いていた。理知的で段取りの良い、あの自分らしくない動きだった。
「美月〜!」
月島愛が教室の反対側から手を振りながら駆け寄ってきた。その顔には眩しい笑顔が浮かび、声にはどこか期待の色がにじんでいた。
「あっ……月島さん、スイーツを食べに行くって話だよね?」
「すっごく楽しみにしてたの、行こっ!」
「うん」
私は口元を引き結び、小さく頷いた。彼女はぱっと花が咲くように笑って、私よりも一歩早く歩き出す。その背中を、私はどこか戸惑いながら追いかけた。
校門を出ると、夕焼けが空を真っ赤に染めていて、街並み全体があたたかな橙色に包まれていた。見慣れた通学路。何度も通った帰り道。彼女は何のためらいもなく、まるでそれが当たり前のように軽やかな足取りで歩いていた。確かに、私はこの道を何度も歩いた記憶がある。でも、彼女と肩を並べて歩くこの距離感には、どこか心がついていかなかった。
時間が一直線に伸びたかと思えば、また折り畳まれたような感覚。今、突然この時点に戻ってきて、「私たちはまだ友達だった」あの頃に帰ってきたはずなのに、胸の奥に湧いてくるのは、どうしようもない違和感だった。変わったのは彼女じゃない。変わったのは、14歳ではない今の私自身だ。
路地の角を曲がった先にあるそのスイーツ店は、木の扉にやわらかな黄色い明かりが灯る、あたたかくて明るい雰囲気のある店だった。ガラス窓には季節限定のいちごサンデーのポスターが貼られていて、どこかレトロで、でも安心感のある佇まいだった。扉を開けて一歩中に入ると、ほのかなクリームの香りと、やさしい音楽が空間を包み込む。まるで時の流れがふんわりとやわらかくなったかのようだった。
「ここのモンブラン、すっごくおいしいんだよ。前に来たときも、ひとつ多めに買って、美月にあげたじゃん。覚えてる?」
「えっ、あ……うん、覚えてるよ」
私は頷きながら、ぎこちなく口元に笑みを浮かべた。
本当は、その記憶はもう頭の奥底で霞んでしまっていた。月島愛があまりにも自然に話すからこそ、私はふとした違和感を覚えた――彼女を忘れたわけでも、出来事を思い出せないわけでもない。ただ、かつての私たちが過ごした穏やかな日常は、この三年間という時間にすっかり洗い流されてしまったみたいで。今の私にとって、あの頃の親しみさえ、どこか微かに見知らぬ色を帯びていた。
だけど、彼女の瞳は終始自然で、まるで私たちの間に何の綻びも、空白もなかったかのように見えた。昔の話をする彼女の声には、思わず遮れなくなるような優しさがあって、私はただ、黙って一つの嘘をついた。「私たち」の思い出を、今もちゃんと覚えてるふりをして。
月島愛はお店の看板メニューであるモンブランを頼み、私はメニューに描かれた可愛らしいイラストに惹かれて、いちごのロールケーキを選んだ。注文する時、私は彼女の話し方や店員への対応をこっそり観察して、その親しみの込もった言葉遣いを真似てみようとした。少しでもこの場に不自然に見えないように。
月島愛はさりげなく私の分のカトラリーを用意してくれた。そして、そっとおしぼりを差し出してくれた。
その瞬間、心のどこかで何かが小さく音を立てて崩れた気がした。私たちは本当に、あんなにも近かったんだ。なのに私は、彼女がいつもこんなふうに私を気遣ってくれていたことすら、忘れてしまっていた。口に出さなくてもわかってくれていたこと、小さな癖や好みを覚えていてくれたこと。そのどれもが、まるで当然のように差し出される優しさで、でも今の私には、それがあまりに久しぶりで。
それは決して悪いことじゃなかった。ただ、優しすぎて。優しさが沁みるたびに、胸の奥にぽっかりと空いた懐かしさが疼いた。
スイーツが運ばれてきたあと、月島愛はスプーンを手に取り、その背にきらきら光る瞳が映り込んでいた。その瞳はまるで、世界中の光を閉じ込めているかのようだった。
「大丈夫? 今日の美月、なんかちょっと変だよ?」
彼女は首をかしげながら言って、スプーンでグラスをコンコンと軽く叩いた。その音が澄んだ鈴のように響く。
「体調悪いの? それにさっき、『月島さん』って呼んだでしょ?」
「……ううん、ただちょっと疲れてるだけ」
私は無理に笑みを浮かべて、なるべく自然な声を作った。けれど、手に持ったスプーンは冷たく感じられて、胸のあたりもどこか苦しかった。
自然に振る舞わなきゃ。気づかれないようにしなきゃ。そう何度も自分に言い聞かせた。
だって、私たちはかつて、いつも一緒に笑って、帰り道を並んで歩いていた、そんな仲の良い友達だった。そのあと、だんだん距離ができて、同じ高校にも進まなかった。高校三年からいきなりこの頃に戻ってきて、また以前のように彼女と親しくするなんて……正直、うまくできる自信がなかった。
「ふ〜ん、本当に平気ならいいけど」
月島愛は少し不満げに唇をとがらせながらも、やっぱり笑ってくれる。
「でもさ、今日の美月、本当に変だよ? ぼーっとしてるし、注文のときもめっちゃ悩んでたし。なんかあったらちゃんと言ってね?」
「ありがとう……心配かけてごめん」
私はスイーツに顔を近づけて、食べるふりをしながら話を終わらせた。けれど、口に入れたケーキは、水みたいに味気なかった。
彼女は相変わらずだった。最近読んだ漫画の話や、隣のクラスのちょっとした噂話、進路の悩みなんかを、絶え間なく口にしていた。時々ちらっと私を見て、ちゃんと聞いてるか確かめるように。
私は必死に頷いて、相槌を打って、「聞いてるよ」って顔を無理やり作った。でも胸の奥には、どうしても吐き出せない感情がずっと引っかかっていた。別に彼女と距離をとりたいわけじゃない。むしろ近づきたいのに、「私たちは今も仲良し」っていうこの位置に急に立たされていることが、どうしようもなく居心地悪かった。
だって、私は知っている。目の前の彼女は、あの頃と変わらない、甘いものを一緒に食べようって私を誘ってくれて、笑顔がとてもあたたかくて、優しくてまっすぐな月島愛。
私たちは確かに、知ってるはずの相手同士。でも、それでもあまりにも長い間、あんなふうに親しくはしてこなかった。時の流れは、私たちの間に浅い溝をつくってしまったみたいで。私は今、その溝を越えようとしている。ただ、その一歩一歩が、崩れかけた記憶の上に足を置くような感覚で……。
心の中で、そっと溜息をついた。その溜息でさえ、彼女に気づかれないようにと、細心の注意を払ってしまった。
最後、店の前で別れるとき、月島愛は手をひらひらと振った。
「また明日ね、美月!」
「うん、また明日」
彼女がくるりと背を向けて走り出すと、その背中が夕陽に照らされて、長く、温かい影を落としていった。その光景を見つめながら、私はふいに胸が締めつけられた。あまりにも日常的で、優しい一場面なのに。なのにどうして、私はこんなにも、息が詰まりそうになるんだろう。




