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君の名前を、私が書き換える  作者: 雪見遥
第2章 2022年4月

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第5話 もう一度、この校舎へ

 朝ごはんを食べ終えたあと、私は急いでリュックを背負い、バタバタと家を飛び出した。足が歩道に触れたその瞬間、私は無意識のうちに、いつもの道へと歩き出していた、そう、通い慣れた高校への道を。数歩進んだところで、まるで誰かに頭を小突かれたかのように、私はハッと立ち止まった。


 ……違うよ。今の私は、三年前の私、中学生なんだ。


 朝の光の中で、私はその場に呆然と立ち尽くし、頭の中が一瞬フリーズした。あわてて方向転換し、バツが悪いような気持ちで正しい道へと進み直す。走りながら、自分の記憶力のなさに心の中で毒づいた。学校の門に着くころには息が切れ、額にはうっすらと汗が浮かんでいた。


「はあ……遅刻しなくてよかった」


 私は小さく呟きながら、しゃがんで上履きに履き替える。足を入れた瞬間、まだ体を起こす前に──。


「おやおや、委員長でも遅刻ギリギリなんだ?」


 蚊みたいに耳に入ってくる、皮肉たっぷりの男の声がすぐ隣から飛び込んできた。チクチクと刺すようなその言い方に、思わず眉をひそめたくなる。


 顔を上げると、「君を苛立たせたいです」とでも書いてありそうな男子が、ニヤニヤと嫌味な笑みを浮かべて立っていた。その目にはあからさまなざまあみろが滲んでいる。


「いつも校則がどうこう言ってるくせに、人のミスはすぐ正すくせに、自分が遅刻寸前とかさ~、ウケるんだけど!」


 私は眉をひそめ、反論の言葉が喉元までせり上がった。言い返す台詞はすでに何度も頭の中で回っていた。けれど──その瞬間、現実に思いっきり一時停止ボタンを押されたような感覚に陥った。


 ……待って。今の私は見た目こそ中学生だけど、中身は17歳の高校生なんだよ? こんな中坊と廊下で言い争ってどうするの?


 私は深く息を吸い込み、喉まで出かけた言葉を無理やり飲み込んだ。挑発に乗っちゃダメだ、こんな低レベルなからかいに付き合う価値なんてない。そう言い聞かせるように、自分を落ち着かせた。


 空気が凍りついたその瞬間、澄んだ女の子の声が容赦なく割り込んできた。まるで朝の雲間から差し込む陽光のように、その声は鋭く、澄んでいた。


「そんな言い方、やめなよ。どうせ成績で敵わないからって、こんなときだけ揚げ足取ろうとしてるんでしょ」


 私は思わず振り返り、声の主に目を向けた──そこに立っていたのは、一人の女の子だった。


 彼女は本を抱えたまま、まっすぐな視線をこちらに向けていて、少しの迷いも見せない。その口調は、私のためにかばっているというより、ただ理不尽さに対して自然と抗議するような、そんな真っ直ぐで切れ味のある正義感を纏っていた……少し意外だったけど、なんだか、その姿がちょっと、綺麗に見えた。


「美月、今日の放課後、スイーツでも食べに行かない? 昨日メッセージ送ったんだけど、見た?」


「え……そうだったっけ?」


 私は思わず固まってしまい、頭の中が一瞬真っ白になる。無意識にスマホを取り出し、メッセージ履歴を必死に探し始めた。


 やっぱり、月島愛のメッセージは一番上に静かに残っていた。時刻は昨日の夕方を示している。親しげで自然な誘いの文面に、可愛らしいスイーツのスタンプと笑顔の絵文字が添えられていた。


 でも、まったく記憶にない。私にとって、それは「受け取った」ものではなかった。正確に言えば、それは「元の結城美月」が私が入れ替わる前に受け取ったものだ。三年後から来た私は、昨日彼女たちが何を話し、何を約束したのかなんて、当然知る由もないし、記憶にもない。


「うん、そうだね……つい忘れてた」


 私はどこか頼りない声で笑いながら、できるだけ表情が硬くならないようにした。だけど、どうしてもこの14歳の顔に、私の筋肉は馴染まなかった。


 私にとって「月島愛からメッセージが届いた」という事実は、今日初めて知ったことだ。それは、時間の断絶であり、私の記憶には存在しない空白だ。けれど、彼女にとっては、昨日のうちに差し出した誘いで、私たちは確かに昨日、言葉を交わし、笑い合い、約束をした。


「時差」は記憶の中にも、人間関係の中にも存在する。


 まるで他人の人生を演じているようだった。しかも、その台本さえ読まされていないまま。頭の中はまだ、この「キャラ設定」に完全には馴染めていないし、過去の記憶や感情も手探りのままだ。


「本当に大丈夫?」


 月島愛が一歩近づいてきて、眉をひそめながら私を見つめる。声には、さっきよりも少しだけ多くの心配が滲んでいた。


「今日さ、ちょっと遅刻しそうだったし……なんだか様子も変。ぼーっとしてるっていうか、魂が抜けちゃったみたいな感じだったよ?」


「ううん、大丈夫だよ」


 私はあわてて笑顔を作り、できるだけ柔らかく自然な口調で返す。


「昨日、ちょっと勉強遅くまでやっちゃってさ、寝不足なだけ。行こ? 先生、もう来ちゃうかも」


「うん、一緒に行こっか」


 彼女はそっと頷き、自然な足取りで私の隣を歩き出す。軽やかな彼女の足音と、少し戸惑いが混じった私の靴音が、ひとつ、またひとつと交差して響いていく。


 私は黙ったまま彼女の横顔を見つめた。脳裏にぼんやりと浮かぶ名前──月島愛。


 もちろん、覚えている。中学時代、私たちはとても親しい友達だった。なんでも話せる間柄だった。それなのに……いつの間にか、少しずつ疎遠になっていった。まるで時間に盗まれてしまった友情のように、気づけば淡くなり、遠ざかり、最後には連絡先さえ失われていた。


 その理由は……正直、もう思い出せない。


 胸の奥にふと湧いたその複雑な感情を静かに押し込めて、私は彼女の歩みに合わせた。並んで歩くこの廊下は、懐かしいようで、どこか見知らぬ場所のようでもある。


 こうして、今日が私がこの時代へとタイムリープしてきてからの初日だった。再びこの中学校の校舎に戻り──もう一度、「中学生」としての生活が始まったのだ。

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