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君の名前を、私が書き換える  作者: 雪見遥
第2章 2022年4月

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第3話 これは間違いなく運命の悪戯だ

 洗面所に入ると、水道の蛇口に指先をかけるのを一瞬ためらった。冷たい金属の感触がかすかに伝わってきて、まるで「これが現実だ」と告げるみたいだった。深く息を吸い込み、水をひねって顔を洗う。冷たい水滴が頬をつたい、洗面台の陶器の上に落ちていく。そのたびに鏡の中の映像もわずかに揺れて滲んだ。


 顔を上げて、鏡の中の自分と目が合う。輪郭は間違いなく私だ。でも、眉は薄くて消えかけ、肌は漫画の下描きみたいに青白くて、顎のラインも記憶より丸みを帯びていた。これは「今の私」じゃない。眉を描くことも知らず、洗顔フォーム一本で生き延びてた「中学生バージョン」の私だ。


「……この顎……なんか……噛みたくなる感じだな」


 思わず苦笑して、自分の頬をつつく。ふにっと柔らかい感触が、懐かしいような、恥ずかしいような気持ちを呼び起こす。さらに最悪なことに、前髪をかき上げたらおでこに真っ赤なニキビが二つ、警告灯みたいに自己主張していた。まるで運命が「ホルモン地獄へようこそ」と嘲笑ってるみたいだ。


「はぁ? タイムリープしても思春期ペナルティは免除されないの?」


 私は思わず運命のカスタマーサポートを開いて、星一つのレビューを書いて写真まで添付してやろうかと思った。


 それから声を落として、鏡の中の自分に向かって言ってみる。


「おはよう、私は結城美月」


 でも次の瞬間、聞こえたその声は澄んでいるけれど、どこか未熟で頼りない響き。まるで薄いガラスを指先でコツンと叩いたように、すぐに割れてしまいそうだった。


 それは14歳の頃の私の声、先生が名簿を呼ぶたびに、わざわざ声を張って起こしてくれていたあの声。その音を今あらためて聞くと、気まずさで耳を鈍いフォークで掘り返したくなるくらい恥ずかしかった。


 軽く咳払いをして、声を低くしようとする。でも無理やり押し殺した声は結局上ずってしまい、吐息混じりの未熟さを隠し切れなかった。


「……はあ……このバージョンの私は、話すだけで勇気スキルをフル回転させなきゃダメか……」


 そうつぶやきつつ、大きく伸びをした。すると右肩が「ゴキッ」と乾いた音を立てた。


「えっ、え、え、えええ!?」


 ビクッとして一瞬で姿勢を戻す。バネみたいに腕を引っ込めて、骨が割れたかと思った。数秒して、ようやく理解する。老化の音じゃなくて、関節が柔らかすぎるせいの音だ。


 ……つまり、14歳の私は、今より柔らかいのか。


 改めて自分の腕を見下ろして、なんとも言えない感情が湧いてくる。知らないようで懐かしい青春が、唐突にこの体に戻ってきた。泣きたくなるような、でも笑いたくなるような、そんな衝動がこみ上げる。


「……14歳の身体、意外と……便利かも」


 そう思いながら掌で自分のお腹を撫でる。贅肉は一切なく、高校時代にいつの間にかできていた小さなぽっこりも消えていた。腕も一回り細い。脚はまだ少し短いけど、全体的に軽くて、廊下でくるくる回りたくなるようなラインだ。


 私はスリッパを引っかけて洗面所を出ると、廊下に「パタパタ」と音を立てて歩いた。その音はやけに澄んでいて、大げさなくらい響く。これが、いわゆる「青春の音」ってやつなのかもしれない。


 自分の部屋に戻ると、そこには制服が一式掛けてあった。今日は……学校に行く日なんだろうか?


 着替えを終えた瞬間、その制服はあまりにも自然に体に馴染んだ。寸分の狂いもなく、まるで運命が最初からすべてのパラメータを設定していたみたいに、十四歳の私にぴたりと重なった。


 白い標準襟のシャツはハリのある布地で、袖口には学校名のイニシャルが小さく刺繍されている。控えめなのにちょっとした可愛さを感じさせるアクセントだ。


 灰青色のブレザーは柔らかなシルエットのシングルボタン仕様。左胸には金属製の校章バッジがついていて、光を受けると厳かでささやかな輝きを放つ。


 下は同じく灰青色のプリーツスカート。膝丈で、裾に深い紺のダブルラインが縫い込まれており、歩くたびにかすかに揺れて、この学校の制服だとひと目で分かる。


 青灰色の大きめな蝶ネクタイもポイントだ。中学生らしい少し大ぶりなサイズ感が、全体にフレッシュな可愛さをプラスしている。


 鏡の前に立ち、きっちり整えた自分を見つめると、なんとも言えない不思議な感覚に襲われた。まるでタイムスリップドラマのセットに立たされ、カメラがこちらに向かってズームしてくるのを待っているみたいだ。


 ——間違いない。この制服は、私が通っていた桐嶺女子中学校のものだ。


「……まさか、私に中学生タイムアドベンチャーものの主演をさせたいわけ?」


 鏡に映る自分に向かって、半分冗談、半分自嘲みたいに吐き捨てるように言った。深く息を吸い込むと、空気には少し渋みのある爽やかな匂いが漂っていた——開いたばかりの教科書と洗剤の残り香が混じったような、あの青春特有の匂いだ。


「大丈夫。体は14歳でも、私の中身は500回分の模試を乗り越えた歴戦の受験戦士だから」


 このタイムリープが偶然なのか、それとも運命が用意した台本なのかは分からない。でも、これが無意味なことじゃないのは確かだ。きっと、やり残した何かを果たすためかもしれないし、何かを変えたり、救ったりするためかもしれない。


 ——真実がなんであれ、それをこの目で確かめるんだ。そして、もう一度頑張って、胸を成長させてやるんだから。

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