依頼
正直な話、ただいっぱしの生活をするだけならば、わざわざ市民権を手に入れずとも、いくらでもやりようはある。
適当に門番を買収して中に入って冒険者登録をしてもいいし、そんな面倒をせずとも他の街へ田舎の村からやってきたとかなんとか言って入り、そっちで冒険者登録をしてもいいわけだからな。
だが俺はそれでも、このウィスクの街で、しっかりと大手を振って歩けるようになりたかった。
そうしなければならないと、胸の中の何かが俺を突き動かすのだ。
おそらくこれは、マスキュラーの身体から湧き出す渇望なのだろう。
長いこと見上げ続けてきたあの城壁の内側。
その中に入るという目標が、彼の生きがいだったのだ。
であればそれを叶えることは、俺にとっての目的にもなる。
故に俺はウィスクの街に堂々と入ることができるようになってから、次にどこへ向かうかを決めるつもりだった。
そして今から始めるのはその最終段階の交渉だ。
さて、鬼が出るか蛇が出るか……。
馬車に乗り込んだ俺が向かった先は、意外なことにめちゃくちゃでかい大屋敷だった。
案内されるがままに向かった先には、一人の偉丈夫の姿があった。
「どうもレグルス子爵、こうしてお目にかかることができて恐悦至極にございます」
「……ほう」
顔の右側全てにかかるほどに巨大な傷跡に、それを隠すためにつけられている眼帯。
あしたのジョーの丹◯を百倍いかつくしたような見た目の彼は、このウィスクの街を治めているレグルス子爵だ。
正直もっと下の方の役人に頼んで戸籍の改竄とかをお願いするつもりだったんだが……どうしてこうなった?
俺はなぜ、いきなりこの街の最高権力者の前に立っているんだろうか。
間違っても身分証偽造してくださいとか言える雰囲気じゃないんだが、これどうするのが正解なんだ?
「俺を前にして身じろぎ一つしないとは……なるほど、『不可触』の二つ名は伊達ではないということか」
どうするべきか戸惑っていただけだったのだが、どうやら全て良い感じに解釈してくれたらしい。
にやりと笑われたので、とりあえず俺もにやりと笑みを返しておく。
……というか『不可触』って改めて言われると、なんか恥ずいな。
戦ってハイになっている間なら全然気にならないんだが、こういう場で言われると妙に背中がむずがゆい。
「貴族としては必要な建前も、君にとっては面倒なだけだろう。なのでさっさと要件だけを話す」
「話が早くて助かるぜ」
彼は引き出しを開き、中から紐でくくられている書類を取り出す。
「これがこの街の戸籍帳だ。今回の一件を達成してくれれば、空欄にマスキュラーの名を書き込むことを許す。何、戸籍の偽造や追加はわりと良くあることだ。そもそも下を糾せばグランダット王国建国の祖であるタミュー一世も、戸籍を持たない流民だったしな」
そう言うと、子爵は戸籍帳の脇に置かれている羽根ペンに軽く触れる。
このまま金を渡してはい終わりという風にできたら話が楽だったんだが、どうやらそうは問屋が卸さないらしい。
貴族が俺に直で頼む案件なんざ、どう考えてもヤバそうな気がするが……。
というか話のどさくさで、とんでもないことを聞いてしまった。
……え、大丈夫だよな?
俺、事件が解決したらそのまま暗殺とかされないよな?
「君に頼みたいのは盗賊の殲滅だ」
「盗賊……そんなの、お抱えの騎士団にでも任せればいい気がするが」
「それがそういうわけにもいかんのだよ……一体誰が知恵をつけたのか、その盗賊は我が領と隣領であるヒーラックの境目のところに根城を構えているのだ」
ヒーラックの領主と子爵は、どうやらあまり仲が良くないらしい。
先祖代々鉱山の利権で争ってきた歴史があるんだとか。
グランダット王国はさほど王権が強くなく、各地の地方領主が独自の騎士団を持つことが許されている。
地方領主は税を貢納する限りは自治が許されており、領地同士で小競り合いを起こしても軽くお小言を言われるくらいでする黙殺されるらしい。
「今回の盗賊騒ぎが長引けば、こちらが盗賊を手引きしているだとかなんだとか言われて要らぬ因縁をつけられかねない。だが領地紛争に発展する可能性のある案件を、中立にして独立を謳う冒険者ギルドは受けようとはしない。そこで……」
「どこに所属しているわけでもない流民の俺に、白羽の矢が立ったってわけか」
「その通り。これほどの悪知恵が働くとなると、相手には騎士崩れか高位の冒険者がいるはずだ。難易度は低くないが、君ならできるだろう?」
「……へぇ?」
幸いにしてアジトは、かなり詳細に割れているらしい。
ここまでお膳立てされれば、俺が負けない限り失敗はない。
強いやつとの戦いは臨むところではあるんだが……それほどの相手と戦うとなると、俺も無事では済まないかもしれない。
それなのに報酬が戸籍だけでは少ししょっぱい気がする。
……そうだ、せっかくならもう少し報酬をつり上げてみるか。
「なあ子爵、物は相談なんだが……」
子爵にある提案をしてみると、それくらいならと問題なく受け入れてもらうことができた。
後顧の憂いがなくなった俺は用意された馬車を断り、身体強化を使って駆けながら、盗賊のアジトへ向かうのだった。
♢♢♢
「ふぅ、行ったか……」
足音でマスキュラーが去ったのを確かめてから、レグルス子爵はゆっくりと息を吐き出した。
緊張から解き放たれ、ゆっくりと椅子に背中を預ける。
背もたれにくっついているシャツは、噴き出した汗で滲んでいた。
「なんなのだ、あれは……っ!」
レグルス子爵はウィスクの街を治める貴族として、当然ながらその外縁に位置しているスラムについてもしっかりと情報収集を行っている。
その中には当然ながら『不可触』の情報もあった。
最近頭角を現してきた、超新星。
スラムの子供達の面倒を見るお人好しでありながら、敵対する相手は一切容赦なく殲滅する二面性を持つ少年、という話だったが……
(あれは、そんな生やさしいものではない……っ!)
彼は歴戦の猛者であるはずのレグルス子爵が、思わず後ろに下がりかけるほどの魔力を発していた。
非魔法使いは、魔力を認識することができない。
だがごく稀に、強者は己から噴き出す不可視の魔力だけで敵を圧倒することができる。
子爵はあの独特の感覚を、肌で理解している。
彼はかつて戦場でそれを、直に味わったことがあるからだ。
「あの魔力はグレン公爵閣下レベル、いや下手をすれば……」
マスキュラーから感じた圧迫感は、気を抜けば胃の内容物を吐き出してしまうと思うほどに濃密なものだった。
今振り返ってみれば、彼の前で失態をせずに済んだのは奇跡のように思えてくる。
子爵は気付けば、そっと自分の首に手を当てていた。
胴体と首が泣き別れになっていないかを確かめなければ、今の自分が生きているか確信が持てかったのだ。
半死半生の思いでこの場を切り抜けることができたことに、子爵は改めて安堵の息をこぼす。
「なんにせよ、今は懸念が払拭できることを喜ぶべきだ……より大きな頭痛の種が生まれただけな気もするがな」
子爵はマスキュラーを味方に引き入れることができた幸運を噛み締め、その拳が振り下ろされる盗賊達の不運に笑みを浮かべる。
取り扱いは慎重にする必要があるだろうが、今は彼と知己になれたことを喜ぶべきだろう。
新たな出会いに感謝しながら、レグルス子爵は今日はとっておきの一本を飲もうと、上機嫌でワインセラーへと向かうのだった……。