魔力の知覚
次の日。
俺はさっそくフィーネから魔法を教わることになった。
「ふわあぁ……」
使われていなかった二階の部屋から下りてきたフィーネは、めちゃくちゃ無防備なパジャマ姿だ。胸の第二ボタン辺りが、今にも弾け飛びそうになっている。
宿の一つも用意していなかったので、彼女はとりあえず教えている間は俺の家に泊まりこみすることになっている。
男のいる家に一人で泊まるとか、貞操観念大丈夫か?
「変な宿に泊まる方がよっぽど危ないわよ! ここに来るまでも何度も襲われかけたんだから!」
どうやら心の声が出ていたらしい。
たしかにスラムの治安は控えめに言って終わっている。
それなら俺の女だと主張するためにこの家に泊まるというのは、あながち悪い判断ではない。
「ていうか襲われそうなのは多分……いや、なんでもない」
「何、どうかしたの?」
「大丈夫だ、問題ない」
「返しが大丈夫じゃなさそうなんだけど……」
彼女が目を引いた理由は今もたわわにシャツを押し上げている胸部なんじゃないかと思ったが、指摘するのはやめておいた。
魔法を学ぶ際の目の保養を自らの手でなくすほど、俺は愚かではない。
「それならさっそく始めましょっか」
気付けば彼女は魔法使いチックなローブを着込み、おすまし顔をしながらピシッと背筋を伸ばしていた。
形から入るタイプなのか、どこからか木版と炭、それに指示棒らしきものまで取り出していかにも先生っぽい。
内側がパジャマなのを知っていると、全てが滑稽に思えるから不思議だ。
「まず魔力の知覚から始めるわよ。これは安全だけど時間がかかる方法と、危険だけど短く済む方法の二つがあるわ。私は生徒の自主性を尊重するタイプなんだけど、マスキュラーはどっちがいい?」
「もちろん、危険だけど短く済む方だ」
意識を切り替え、授業に集中する。
俺にはちんたらやって時間を浪費するだけの余裕はない。
マスキュラーが表舞台に上がるくらいに強くなるためには、時間を無駄にしている余裕なんてものはないのだ。
「はぁ……まああんたはそう言うと思ったわ」
「お前に俺の何がわかるッ!」
「なんにもわかんないけど、ほらあんたってノリがうちの家に似てるのよね……熱血系というか、ちょっと暑苦しいというか……」
「それって……遠回しなプロポーズか?」
「んなわけあるか!! さっさと始めるわよ!」
『ソード・オブ・ファンタジア』の名台詞をすかすと、フィーネはそのまま俺の後ろの方に回ってくると、その手のひらで背中に触れた。
瞬間、フィーネの身体から感じる圧が一気に増した。
彼女の指先一つで消し飛ばされるんじゃないか……そんな風に思ってしまうほどの圧迫感だ。
「いい、魔法を使うために必要なプロセスは二つあるわ。まず最初に魔力を知覚し、魔法に変換する魔力を意識して操作すること。そして二つ目が魔法を明確にイメージし、それを事象に変換すること。ただ魔力を操作するだけでも、魔法をイメージするだけでも魔法は発動しない。けれどその二つを同時に満たせば……」
俺に触れていない左手の先。虚空から突如として水の球が現れる。
フィーネは驚いた様子のこちらを見て、楽しそうに笑った。
「こんな風に魔法が発動するわけ。最初にやるのは、魔力操作の前段階の魔力の知覚から。……もう一度聞くわ。最悪そのまま干からびて死ぬけど、大丈夫?」
「……大丈夫だ」
干からびて死ぬとは聞いてなかったのでちょっと怖くなってきたが、平気な顔をしておく。 俺の答えに満足したからか、彼女はこくりと頷いた。
「基本的に魔力は、体内をぐるぐると循環しているわ。だからまずはそれを知覚する必要がある。けれど自分の魔力っていうのは、案外気付きにくいものなのよ。生まれた時からずっと共にあるものだから、意識するのが難しくなってるってわけ。だからそれを無理矢理知覚するために……」
「他人の魔力を、流し込むってことか」
「その通り! 今から私の魔力を使って、あなたの魔力を刺激するわ。そうすると混ざり合った二人分の魔力が全身を巡ることになる。自分のものじゃない魔力が入ってくるから最初は違和感がすごい……らしいわ、実際にどうなるのかは私も知らないけど。素早く上手く魔力を操作できないと、そのまま魔力が暴走して大変なことになるみたいよ。それじゃあ、準備はいい?」
「ああ、問題ない」
息を整えて覚悟を決めると……フィーネの手のひらから、何かが流れ出してくる!
そして次の瞬間、熱がうねりながら俺の全身の中をぐるぐると巡り出した。
身体中をのたくり回る生命エネルギーに、視界がチカチカと明滅を始める。
ゆっくりと深呼吸をしながら、冷静に体内の状況を確認する。
蛇のように全身を這い回るこの感覚。
「これが……魔力か」
一度認識することができれば、知覚することは造作もなかった。
どうして今まで気付くことができなかったのか、不思議に思えるくらいだ。
全身にどのように魔力が通るかを肌感覚で理解できる。
これは例えるなら血管を通る血流の流れを認識するようなもので、今までにない感覚で少し慣れない。
「なんだ……眩しいなっ!」
「すご、やっぱり、本物……」
呆然としているフィーネの身体が、金ぴかに光っている。
けれど少しして、それが自身の光を反射しているだけだということに気付く。
自分の身体を見下ろしてみれば、全身から金色のオーラのようなものが噴き出していた。
フィーネの魔力に刺激されたからか、循環する流れから飛び出した魔力が、全身からあふれ出しているのだ。
「次は魔力操作よ! 魔力を自分の内側に押しとどめて!」
「押しとどめる……こんな感じか?」
全身に薄く膜を張り、魔力が外へ出ていかないようにする感覚。
やってみると簡単に成功し、魔力は漏れ出すことなく内側にしっかりと留まった。
「嘘、たった一回で……?」
「これでいいのか?」
「うん、問題は、ないんだけど……嘘でしょこいつ、ヤバすぎる……」
フィーネはもにょもにょと口を動しながら、ぶつぶつと独り言を呟いている。
なんだこいつ、変なやつだな。
(全身がむずむずするな)
自分のものではない魔力が体内にあるせいか、全身がどうにもむずかゆい。
身体を動き回っている魔力がうっとうしいので、その流れを緩やかにしようと意識を集中させる。
止めることもできるのかと試しに魔力を右腕に留めてみると、問題なく成功。
ただ俺の右腕が、さっき垂れ流しにしていた時よりも激しく光り出した。
右腕はほんのりと温かくなっていた。
魔力を留めておけば、冬の寒さも簡単に乗り切れるかもしれない。
ジッと観察していると、金色の光の中に少しだけ青い光が混じっているのがわかる。
この青いのは……フィーネの魔力か?
「一瞬のうちに魔力凝集まで……」
青い光が消えると、さっきまで感じていたむずむずもなくなった。
どうやら予想は当たっていたらしい。
「この魔力凝集ってやつは、身体強化と違うのか?」
「……大雑把に言えば、魔力で肉体を覆うのが魔力凝集で、魔法を使って肉体の強化という現象を引き起こすのが身体強化。分類としては別物だし、効果も当然後者の方が高いわ」
「なるほど」
右腕の魔力をさっきと同じ要領で消そうかとも思ったが、何もしないのはなんだかもったいない。
試しに外に出て人の住んでいない隣家をぶん殴って見ると、べきべきと音を立てて家が崩壊していった。
「ほう……魔法を使わなくて、これか」
「あんた……ひょっとして先祖が魔物だったりする?」
「まさか! ……オーガのじいちゃん、元気にしてるかなぁ」
「やっぱり魔物の血を引いてるんじゃない!」
「ごめん、普通に嘘」
「嘘つくなし!」
こうして俺は本来なら数ヶ月はかかるという魔力の知覚にあっという間に成功し、そのまま身体強化の魔法の習得を開始する。
一ヶ月ほどかけて無事に身体強化を習得した俺は更に強くなり、もはやスラム街で喧嘩を売られることはなくなった。
そしてそこから更に己を磨くこと半年ほど。
いくつかの想定外はあったものの問題なく乗り越え、俺は街の中に入るための準備を整え始めるのだった……。