魔法
このスラム街で頭角を現すのは、さして難しいことではなかった。
敵対的な人間をボコボコにし、その報復にやってきた人間を半死半生にして、ケジメをつけろという元締めの組織を壊滅させてしまえば、あっという間に俺に対して反抗的な態度を取るやつはいなくなったからだ。
おかげで今では『不可触』なんていう恥ずかしい二つ名で呼ばれるようになった。
ただ『マスラオ』なんてクソダサ二つ名よりはずいぶんマシな気がするので、今世ではこっちでいくつもりだ。
戦っていくうちにわかってきたんだが、この身体は異常なほどに性能が高い。
シャバの肉を久しぶりに掴めなかった人よろしく人の肉を指でちぎり取ったり、とんでもない跳躍力を持つ某忍者よろしく屋根から屋根へとジャンプして移動するくらいのこともできる。
これだけの超人的な力があるので当然だが、俺はこのスラムの中では敵無しだった。
ただ俺はまったく慢心はせずに、武威を磨き身体を鍛え続けている。
俺はこの世界にいる人間のチート具合を誰よりも理解しているからな。
(というか正直、スラムの奴らが弱すぎるだけな気がしてるんだよな)
このスラムにいるのは余所の国から流れてきたり、事情があって街から追い出されてきた訳ありの奴らばかりだ。
まともな戦闘術を修めているようなやつらもほとんどおらず、魔法使いと戦ったことも一度もない。
そんな奴ら相手に無双していても、天狗になりようがない。
なので俺は現在、金に糸目をつけずに俺の教師になってくれる魔法使いを探していた。
俺の記憶が正しければ、マスキュラーは属性魔法に対する全ての適正がゼロだが、その代わりに身体強化の魔法は使うことができたはずだ。
現在の身体能力に身体強化の魔法を重ねがけできれば……案外いいところまでいけるのではなかろうか。
そんな風に期待に胸を膨らませながら仕事をすることしばし。
ようやく俺が出していた応募に、魔法使いが食いついてきた。
はてさて……どんなやつが来るのかね?
♢♢♢
スラムの人間は時計なんて高級品は持たないため、基本的に約束で決めるのは日取りと大雑把な時間帯程度。
魔法使いは夕方くらいには来るらしいので、とりあえずちゃっちゃと仕事を終わらせることにした。
ここ最近の俺の主な仕事は、要人のボディーガードだ。
最初のうちは余裕もなかったので合法非合法を問わずあらゆる仕事を引き受けていたが、最近はしっかりと内容を吟味して、基本的に合法な案件だけを受けるようにしていた。
あまりスラムに染まりすぎてシャバに戻れなくなるのもあれだしな。
まあ、合法といっても違法なことをやる奴らの警護だから、法律的にはグレーゾーンなところはあるんだが……スラムで暮らしているうちに、そこに目を瞑るくらいのことはできるようになった。
俺の名前が通ってきたこともあり、俺が雇われている間は襲撃してくるバカはほとんどいない。
え、労働形態?
九時から五時まで、一時間休憩込みの七時間労働だな。
ちなみに残業はナシで、給金はべらぼうに高い。
俺は街の中の物価をほとんど知らないが、この仕事をしばらく続けていれば衛兵に袖の下を渡すのもそう遠い日のことではないだろう。
前世と比べても大分ホワイトな労働を済ませてから家に戻る。
するとなぜか扉が開きっぱなしになっており、中に入ると見知らぬ女の姿が見えた。
緑色の髪をした、気の強そうな女だ。恐らく彼女が、やってきた魔法使いなのだろう。
「あんたがマスキュラー、で合ってる?」
「合ってるが……勝手に鍵開けないでくれよ、盗人かと思っただろ」
「安心して、鍵は開けてないわ。ドアの錠前を壊しただけだから」
「より質悪いじゃねぇか!」
自身の器物損壊を目の前で認めた女が、なぜかドヤ顔でふふんと胸を張る。
立派なものをお持ちなようで、着ているブラウスがものすごいパツパツになっていた。
いや、これはもうパッツンパッツンと言った方がいいかもしれない。
ドアを見に戻ると、たしかに錠前が焼き切られていた。
すげぇな、魔法を使えばこんなこともできるのか……。
「私はフィーネ。フィーネ・グレンゴインよ」
「じゃあフィーネ……さんか、よろしく頼むぜ」
「苦手なら敬語はいいわ。そういうのが面倒な気持ち、わかるし」
「じゃあ遠慮なく、お前って呼ぶな?」
「そこまでは許可してないわよ! 熟年夫婦か!」
だがいくら凶器を持っていようと、ドアを壊されたむかっ腹は収まらない。
むかつき半分興味半分で、とりあえず頭を軽く小突いてみることにした。
足裏に意識を集中し……跳ねるッ!
椅子に座ったままのフィーネの後ろに回り、頭を潰さない程度に加減したストレートを放つ。
雑魚なら倒せるが、強者なら捌いてくる程度の威力だ。
手加減はしているが、足さばきに関しては一切手は抜いていない。
にもかかわらずフィーネは、高速で移動する俺のことをしっかりと視線で追っていた。
「ほいっと」
放った拳打も、パシッと手で受け止められた。
細腕と思えぬほどの膂力は、まるで地面深くどっしりと根を張った大樹を思わせる。
「これが、魔法……くくっ」
大して鍛え上げているわけでもなさそうな彼女でさえここまでの力が手に入るというのなら、鋼の肉体を持つ俺は一体どこまで強くなることができるのか。
期待に胸が膨らみ、思わず笑みがこぼれてくる。
「――っ!?」
なぜかフィーネが目を見開いたが、そんなことはどうでも良かった。
ここ最近は筋トレくらいでしか自己研鑽ができていなかった。
もっと強くなれるのがこんなに嬉しいとは……いかにもマスキュラーらしいじゃないか。
こうして俺はフィーネという魔法の師に魔法を教えてもらうことになるのだった――。