兄の威厳
【side クレイン・フォン・ローズアイル】
僕にはかわいいかわいい、目に入れても痛くないくらいに溺愛している妹がいる。
アリアベル・フォン・ローズアイル……アリアは今や両親を失った僕にとって、何よりも大切な存在だ。
正妻の生まれの子は僕と彼女だけという事情もあるにせよ、彼女は僕によくなついてくれている。
彼女にとっていつまででも頼れるお兄ちゃんでありたい。
僕が公務を頑張る理由の七割くらいは、そんなお兄ちゃん魂の発露といっていい。
けれどそんなアリアの様子が、どうもおかしい。
話を聞いてみると、どうやらアリアは新しく雇ったという家庭教師にご執心のようだった。
ついこないだまでは何かある度にお兄様お兄様と後ろをついてきてくれていたんだけれど、ここ最近彼女は目を輝かせながら一人で授業に打ち込んでいる。
これが大人になるってことか……と思うと少し悲しくもなるけれど、彼女の成長を嬉しく思う自分もいる。
でも家庭教師か……一体どんな人間なんだろう。
あのアリアを生徒にして続いているとなると、なかなかにすごい人物なのかもしれない。
彼女は向上心が高いせいか、教師に求める質も非常に高い。
そのせいでもう何度も教師を変えており、僕の方のチェックから漏れてしまっていたのだろう。
そう思い情報を集めてみると……え、アリアがどこからか拾ってきたよくわからない青年?
おまけに出身がスラムで、アリアのことを毎回ボコボコにしている?
――許すまじ!
アリアが楽しそうだから殺しはしないけど、一度お灸を据えてやる必要がありそうだ。
そして僕はその教師……マスキュラーと戦う決意を固めたのだった。
「ん、ここは……?」
目を覚ました時、僕は医務室に運びこまれていた。
そして今し方した、模擬戦と呼ぶにいはいささか激しすぎた戦いを思い出す。
「そうか、僕は……負けたのか」
自慢ではないが、僕はあらゆる勝負事において、今までほとんど負けたことがない。
父の才能を受け継いだ僕は、その才能にあぐらを掻くことなく真摯に努力を続けてきた。
故に学院でも首席の座を譲ったことはなかったし、戦争にかり出されることがあっても、その全てで勝ち星を重ねてきた。
けれど久方ぶりの敗北は、不思議とすとんと身体の奥に落ちていき、そして納得に変わった。
同年代との戦いで、負けることはないと思っていた。
僕が負ける可能性があるとすればそれは他の公爵クラスの大魔導師か、ドラゴンクラスの街を滅ぼせる魔物だとばかり思っていたけれど……まさか筋肉に殴り負けるとは。
「マスキュラー……」
彼は一体、何者なのだろうか?
いきなり家庭教師の座に収まった彼は、正直怪しいなどというレベルじゃない。
おまけにその強さは折り紙付きで、仮にもローズアイル家の麒麟児と呼ばれた僕を倒せてしまうほど。
普通なら我が家に取り入ろうとしている間者か何かと疑いたくなるが、正直なところ僕は彼がそんな腹芸ができるような人間には思えなかった。
あの透き通った魔力と、全てを粉砕するあまりにも純粋な力。
いっそのこと彼がアリアに取り入ろうとした理由を直に聞いてしまった方が、求めている答えが得られるかもしれない。
「しかし……アリアにかっこ悪いところ、見せちゃったな」
鼻を明かしてぎゃふんと言わせてやるつもりが、まさかこっちがしっぺ返しを食らうことになるとは。
けれど自分でも意外なことに、この敗北をあまり嫌と思っていない自分もいた。
負けることは恥ではない。負けから何も学ばないことこそが恥なのだ。
ここ最近僕は、少したるんでいたかもしれない。
自分より強い相手と戦うことで、そう気付くことができた。
もっと精進しなくちゃいけないな。
今度こそ真っ向から、マスキュラーを倒すことができるくらいに。
(もっとも、彼の方もまだ本気じゃないみたいだけど)
お互い持てる力の全てを出したわけじゃなかったけれど、多分本当に殺し合いをしたとしても負けるのは僕の方だっただろう。
もっと……強くなりたいな。
ここ最近久しく感じていなかった強さへの渇望が、再び心に炎を灯す。
(いつまでもかっこ悪い兄のままでいるわけにはいかないし)
やらなければならないことは多いけれど、やはり貴族として一番必要なものは、有事の際に領民を守ることができるだけの力だ。
僕は雪辱を誓いつつ、残った仕事を処理するために執務室へと戻るのだった……。




