兄
アリア達に指導をするようになってから半月ほどが経過した。
俺は彼女の家庭教師という役目に収まり、なんか正式に許可とかが下りたからかしっかり謝礼ももらえるようになった。
その額は、目玉が吹っ飛んでオルドの街を飛び出すほど。
数年も家庭教師をしていたら、もう一生働かなくても食っていけるんじゃないかと思えるほどの額だ。
これだけあればウィスクに戻った時に、もうちょいマシな家に引っ越すこともできるかもしれない。
あるいはスラムに何軒か家を建ててやってもいいかも。
アリア達の様子はどうなのかと言うと、順調に成長しているといっていいだろう。
魔法とは一朝一夕に上手くなるような技術ではないので、この半月で一気に周りをごぼう抜きできるほど強くなることはできない。
だがそれでも彼女達は間違いなく、戦う術を身につけつつあった。
最近は不意打ちや目潰し上等でオラオラで攻めてくるので、教師としても鼻が高い。
とまあそんな風にわりと順風満帆にいっていた俺の家庭教師生活ではあるんだが……それもいよいよ怪しくなってきたかもしれない。
俺は屋敷の中にあるとある一室に呼び出されていた。
「へぇ、君がマスキュラー君ね……」
そう言ってこちらに興味深げな視線を向けてくるのは、俺より少し年上に見える、二十代前半くらいの青年だった。
ポマードか何かで栗色の髪をセットしていて、見た目はいかにも好青年といった感じ。
ハリウッド俳優顔負けの二枚目の甘いマスクをしていて、道を歩けばおばさま方の熱視線がすごそうだ。
そして顔は端正でも、その下にあるのはみっちりと筋肉の詰まった身体。
俺みたくパンプアップしているわけではないので、いわゆる細マッチョってやつだな。
戦わずともわかる。こいつは、かなりの使い手だ。
いや、こいつなんて言っちゃいけないか。
何せこの人は――あのアリアの兄であり現ローズアイル侯爵家の当主である、クレイン・フォン・ローズアイルその人なのだから。
「どうもどうも初めまして、マスキュラーと申します」
とりあえずぺこぺこと頭を下げておく。
前世の営業の時に身につけた営業スマイルを浮かべながら、とにかく平身低頭な態度をキープ。
上級貴族ともなれば、俺のような戸籍も怪しい人間など指先一つでひねり潰すことができる。
それにアリアのお兄さんだから、あまり不遜な態度を取るわけにもいかないだろう。
頭を下げながら黒目を上に向け、その姿をジッと観察する。
――クレイン・フォン・ローズアイルは『ソード・オブ・ファンタジア』には出てこない人物だ。
本来であれば主人公が勇者として活動をし始める戦神歴1005年より前に死んでいるからである。
アリアを始めとして何人かから話題に出ることこそあったものの、こうして見るのはこれが初めてになる。
どこかアリアを思わせるような鋭い瞳に、その中に湛えられた優しさ。
アリアが定期的にする兄の自慢話を思い出す。
たしか両親が流行病で死んでから、成人してすぐに爵位を継ぐことになった、辣腕領主だったか。
戦闘から領地経営までなんできるとかいうリアルチートで、おまけに母譲りの甘いマスクまで持っている。
神は彼に二物も三物も与えたらしい。
オラにも一つくらい分けてくれ!
思わず一人称が変わってしまうほど、この世の不条理を嘆く俺であった。
「なんだか思ってたより普通だね? 聞いた話ではアリアが傷だらけになるくらいにしごき上げてるって話だけど」
「……そりゃ侯爵様相手に普通の態度取れるほど強くありませんから」
「レグルス子爵相手には不遜な態度を取ったそうだけど?」
「まあ子爵くらいなら、最悪なんとかできるかなと思いまして」
「……ふふっ、面白いね、君」
何が面白いのかわからないが、侯爵が俺を見て笑い出す。
……まあ心証が悪くないならそれでいいか!(思考放棄)
「今日呼び出した理由はわかってる?」
「やり過ぎましたか? もしあれでしたら、明日からは怪我しない程度にゆるめなやつに変えてもいいですが」
「いや、それはこれまで通りで結構。戦場を駆けるのが貴族の誉れだしね。アリアは少し優しすぎるところがあったが、君に鍛えられてからは少し顔つきが変わったよ」
だとしたら……いや、他はまったく思い当たりがないぞ。
スラムの頃にした違法行為を咎められてもう二度とアリアに近づくな的なパターンかとも思ったが、どうもそんな感じでもなさそうだし。
俺が頭を巡らせていると、侯爵がゆっくりと立ち上がる。
「アリアはずっと僕にべったりだったのに……ここ最近は会っても君の話ばかりするようになってね。それが兄としてはどうも納得できず……君をボコボコにして、兄の強さを改めてアリアに示しておこうかと思ってね」
(こいつ……シスコンだ! シスコン侯爵だ!)
シスコンにへりくだるのも馬鹿らしくなってきたので、ここからはいつも通りいかせてもらうことにしよう。
そもそも敬語とか使うの久しぶりすぎて、なんか背中がむずむずしてたしな。
「かっこ悪いところを見せて、嫌われるかもしれないぜ?」
「ははっ、そんなことあるはずないよ……僕が負けるはずがないからね」
こうして俺は本人たっての要望で、シスコン侯爵ことクレインと戦うことになった。
うーん……パッと見た感じかなり強そうだから、アリアの時と違って手加減してる余裕なんてのはなさそうだ。
下手にぶん殴って倒したりした時のことを考えると怖くもあるが……手を抜いて戦ってふざけるな殺されるというパターンも十分考えられる。
あれ、もしかしなくても俺……詰んでない?




