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バカ殿様に転生しました。  作者: 吉良山猫
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名古屋城

永禄7年


父信長より那古野城を与えられて一年ほど経ったが、俺は領地開発と人材発掘、秘密裏の城の改修拡張工事を行っていた。


令和の世でも戦国時代や安土桃山時代、江戸時代の城は人気であるが、城には山城、平山城、平城などがあり有名どころで説明すると山城は春日山城、平山城は安土城、平城は江戸城である。


語弊はあるが城をよく知らない人向けに解説すれば山城は完全なる戦用、平山城はその中間、平城は役所的な役割と象徴的役割を果たしている。


令和の時代は歴史好きや歴史好き女子の歴女なる者達がいたが、その者達が城といいまず堅城だとあげるのが熊本城、姫路城、大阪城、岐阜城、小田原城、春日山城、彦根城、五稜郭などその他があげられるが、飾りの象徴程度に侮られている名古屋城、江戸城、青葉城などはそれらに匹敵するかそれを凌ぐ軍事拠点であることをほとんどの者達は知らない。


外見でなく内面的な歴史好きは実戦向けな日本三大名城として名古屋城、大阪城、熊本城をあげる。


名古屋は本州において丁度中心に位置しており、戦国時代後期は江戸と大阪の中間点に位置した為、その役割は大きく徳川家康は彦根城、名古屋城、小田原城を江戸城を守る備えとして整備した。


御三家筆頭でわかるとおり特に名古屋城の規模は大きく令和に伝わる現存の名古屋城だけでも最強クラスだが俺は更に拡張予定にあった豊臣家との緊張状態にあった最強の名古屋城を再現して更に強化する予定である。


俺が貰った那古屋城は後の名古屋城の二の丸部分に当たるのでそれを踏まえて本丸中心と外郭中心に城の規模がばれないように差配して改修している。


それに伴い父信長に銭を払ったり椎茸を献上したりして付近の俺の支配地以外の土地を買収して俺は名古屋全域から名古屋港までの支配を確立したので城の名前を正式に那古野城から名古屋城と定めた。


名古屋城の縄張りは俺の令和の知識であるが、城の普請の総責任者は武藤喜兵衛であり真田幸隆との密約により後に真田姓に復帰する予定の者である。


真田家は当主である真田幸隆を筆頭に嫡男真田信綱、次男真田信輝、四男真田信尹など武芸に優れた優秀な人材に恵まれており、当主である幸隆にしてみれば三男の喜兵衛などはあまり眼中にない存在であった。


外見や聡明さでお館様には気に入られたようだが、我が真田家の利益の為ならば生け贄にしてでもとの幸隆の考えにより多額の銭を積んできた織田家の若造の処に差し出すべく、自身が病気と偽るなど策を巡らせて誘いだした喜兵衛に命じて尾張へ行かせたのである。


関ヶ原の合戦における親子兄弟で別れて真田家の存続を計った真田昌幸、真田幸村、真田信幸をみてもわかるように真田家の家長は常に真田の血を遺す為の努力を惜しまないのである。


真田幸隆は戸隠流忍者を抱えており、織田茶筅丸が熱田大神の加護を受けた神童であり様々な奇跡を起こしていることを知っていたことも今後何かあったとしても真田家に1番影響の少ない三男の武藤喜兵衛を差し出すのも面白いかも知れないと思った理由である。


武藤喜兵衛は武田晴信を尊敬してその知略軍略の全てを学んだが、晴信から見れば数多い奥近習の1人であり、喜兵衛もそれを理解していた。


だからこそ、真田家と父真田幸隆が第一でありその命令は絶対だった為、祝言をあげたばかりの山之手殿と数名の家臣と共に武田家を出奔というかたちで名古屋に移ったのであった。


そして茶筅丸はその時は知る由もなかったが霧隠才蔵を筆頭とする後の真田忍軍の礎となる者達が武藤喜兵衛についてきたので大幅な戦力増強に繋がることになる。


名古屋城へやって来て新たな主君に謁見した喜兵衛は茶筅丸の幼さとあきらかに年齢とそぐわない聡明さに熱田大神の加護を受けし神童と言うのは真実だとその目で確信した。


普通ならば信じられないだろうが名古屋城の縄張りと築城計画を図面を見せられて説明されれば舌を巻くしかないからだ。


難攻不落と呼ばれる相模後北条家の小田原城を遥かに凌ぐ城の概要には驚きしかなかったが、後の世で日の本で3本の指に入る築城名人である喜兵衛の魂に火をつけるのには十分過ぎる内容であった。


茶筅丸はその幼さ故に家臣の数も少なく重臣と呼ばれる者も前田慶次郎ぐらいな為、ただの善人ではなく野心と言うか出世欲を強く持つ自称少し腹の黒い喜兵衛はこれは自身が立身する好機であると瞬時に理解してどのような手段を使っても活躍して主君に気に入られ成り上がって見せようと心に誓った。


その時の喜兵衛の顔を屋根裏より見ていた滝川葵はその恐ろしい表情に悪寒を感じて震えあがるのだった。


俺の令和の知識や令和で天才と言われた才能でわかる通り努力では覆せない天性の才能と言うものがある。


武藤喜兵衛は晩年の古狸徳川家康を震えあがらせた時よりかなり若く経験も不足しているが立場が人を作るが信条の俺に言わせれば築城責任者となった喜兵衛は俺の予想を遥かにうわまわる活躍をしてくれるのであった。

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[気になる点] 幸隆の弟真田信尹など優秀な人材に恵まれており ? 幸隆の弟 真田信尹?幸隆の息子・四男のハズでは?
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