元服
いつも誤字脱字報告、修正ありがとうございます。
名古屋城
今回父信長や義母濃姫などに遥かに少ない時間で連絡が行き、短時間で行き来が出来るようになったのには大きな理由がある。
実は熱田大神の神託として名古屋城と岐阜城の間に電話線を通して電話を開通させたのである。
まあかなり初期的な物であり便利機能などなくただ通話が出来るだけの物であるが、父信長と義母濃姫は大喜びで、特に義母濃姫は俺の実母吉乃と毎晩長電話をして今や親友と行っても過言ではないくらい仲良くなっている。
兄奇妙丸や妹五徳の話をするのは一向に構わないが、俺の赤子の頃の恥ずかしい話等は勘弁して欲しい。
父信長に至っては言葉足らずなところがあり、皆それに振り回されている。
俺はその少ない言葉から父信長の真意を汲み取り行動に移すことができるが、林佐渡守や佐久間信盛など凡人にはそれが理解できなかったうえ将来的に追放されることになったと言っても過言ではない。
逆を言えば木下藤吉郎や明智光秀は秀才故に方法は違えど父信長の意向を汲み取り行動できたのであろう。
ちなみに天才とは父信長や俺や妻の上杉輝虎のことを言う。
さて唐揚げが完成した際には、父信長が毒味を押し退けて1番に味見をしていたが、そのあまりの美味さに顔が緩みきりである。
そして義母濃姫や母吉乃、虎千代や市姫など皆があまりの美味さに頬っぺたを押さえている。
いいんだ、俺は最後でも…皆が喜んでくれれば本望である。
権六が市姫に良いところを見せようと頑張って作った炒飯も大好評であり、市姫が大満足だったことに涙を流して喜んでいたのはご愛嬌である。
今名古屋城に集まっているのは唐揚げと炒飯のお披露目目的もあるが、実は俺達兄弟の早めの元服が本命である。
兄奇妙丸と俺の烏帽子親は父信長本人であり、弟の烏帽子親は柴田勝家が勤めた為、ここで兄弟間の差別化が行われた。
兄奇妙丸は元服後の名は織田勘九郎信忠、弟は織田三七信孝である。
俺に関しては父信長は織田信勝と名付けようとしたらしいのだが、突然越後より関東管領上杉輝虎の使者として斎藤朝信が花押付きの書状を持って来て茶筅丸の元服に際して我の名を一字授けると言ってきた為、俺の名は『織田三郎信虎』となった。
まあ実のところは虎千代を慕ってやまない斎藤朝信が龍王丸と虎王丸見たさに越後国より祝いの品を持ち名古屋城まで来たのが原因であったが、その際俺の元服のことで閃いた虎千代が一筆書いて斎藤朝信に持たせて岐阜城の父織田信長の元に行かせたのである。
実際は関東管領上杉輝虎は俺の妻であり、名古屋城に滞在しているのだが、熱田大神の加護のおかげもあり尊敬に値する軍神上杉輝虎から我が子の元服に関して目を掛けてもらい一字を賜ったことを父信長は誰よりも喜んだ。
父信長は俺の妻虎千代を上杉輝虎の縁者だと思っているのでその縁で良く思われてると信じている。
元服の際に何故だか知らぬが兄織田信忠ではなく俺に対して内密に関東の勇である北条氏康や甲斐の虎武田信玄、奥州伊達家や畿内の松永家などから祝いの品が届いたのは熱田大神の影響であろうか。
その他にも名のある大名から祝いの品が届いたが、俺は返礼の品として清酒と干し椎茸、麦酒、醤油、未来の製法で作られた上質な白塩を贈ることにより織田家の力を示せたと思っている。
入浜式塩田や数は少ないが試している流下式塩田などにより上質な塩の大量生産が可能になったので尾張国は今や日の本一の上質な塩の産地になっている。
帝の生活を助ける目的と、尾張の塩に箔を付けるために毎年大々的に派手な荷駄隊を率いて他の品と一緒に一定量の塩を献上しているのでその宣伝効果も高い。
以前は仲達の名で物資の献上をしていたが、俺の成長と名古屋の発展に伴い、織田家と俺の名で献上品を贈るように変わっている。
今まで隠れ蓑にしてきた仲達の名前は俺の元服とともにその影響力は淡い恋愛の終わりのように自然消滅しそうである。
荷駄隊の差配は毎年竹中半兵衛にまかせており、織田家の旗印である木瓜紋だけでなく熱田神宮の神紋も掲げている為、余程の無知な愚か者以外は帝に献上する品を運ぶ一行を襲う者はいない。
これまでもこれからも朝敵という言葉を日の本中の大名や武家、寺社勢力が嫌うように貧乏でこそあれ朝廷の名には多少の権威があるのである。
あえて五摂家などの高位公家に直接献上品を渡さずに帝に全てまとめて献上して分配させているのは一重に帝の権威を高める為である。
熱田大神の為にも俺は今後も帝の生活の質の改善に全力を尽くすと誓っているのだ。
そのせいかどうかはわからないが俺は帝より直々に宮内大丞と言う官位をこの年としては異例に授かった。
しかし俺自身がその官位をあまり聞いたこともなく、多分父信長との力関係も考慮しているだろうことと、宮内と言う名前がつくことから俺なりの解釈は令和の宮内省の中間管理職的な役職であろうかと考える。
ただ帝が熱田大神の加護を受けし俺を官位的にも近くに置きたい気持ちは汲み取ったので今後も尽くしたいと思うのであった。




