佐渡平定
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永禄十年夏 春日山城
越後国全土では御実城様の無事な出産と今後の方針がわかった為、家臣団の中でも特に屈強な者達が鎧を纏い、武装を整えて密かに春日山城に集結し始めていた。
越後国全土からも船はかき集めたが、足りない分は山を切り出して筏を組んだ。
上杉軍の男達は皆屈強であり、一人一人が他国の兵の3倍の強さを誇っている。
川中島の戦いにおいてあの山県昌景と互角の戦いを繰り広げ、その最中に主君武田義信の危機に頭を下げて主君の元に行かせて欲しいと懇願する三郎兵衛を行かせてやった武人の中の武人鬼小島弥太郎もその輪にいた。
鬼小島弥太郎の男気に感謝した山県昌景は「花も実もある勇士」と称賛したという。
しかし河田長親の報告により、その尊敬しあえる男である山県昌景と同じ陣営で戦えることになったことを知り、深い笑みを浮かべる。
そして好敵手(友)と再会する前に手柄をあげたいと身体を疼かせるのだ。
直江景綱より佐渡攻めの総大将を任された柿崎景家は「雑田城の雑田本間家は名はあるが力はなく利用価値がある為、降伏に応じれば命は助けよう。しかし河原田城の河原田本間家と羽茂城の羽茂本間家は上杉家の兵として使えぬ輩なれば、根絶やしにして城まで焼きつくすのじゃ」
「「「「「おうぅぅっ」」」」」
上杉軍1500は出雲崎港を出港して佐渡島へ上陸し、瞬く間に河原田城を攻め落とした。
まさか上杉軍が攻めてくるとは思っていなかった河原田城では満足に兵を集めることも出来ずに怒涛のごとく流れ込んだ上杉軍に蹂躙され城内にいた全ての者達が討ち取られたのであった。
城方の抵抗による怪我人は数名出たが、死者は出なかったのでそのまま城に火を放ち破却した上杉軍は羽茂城にそのまま向かい侵攻した為、河原田城同様に油断していた城は阿鼻叫喚図となった。
まわりくどいことをせずに問答無用で攻撃した結果たった1日で上杉家に従順な態度をとっていなかった両本間家は滅亡した。
そしてそれに恐れをなした雑太本間家を筆頭に佐渡国人衆は上杉家に忠誠を誓ったのであった。
余談ではあるが、両本間家の城主は鬼小島弥太郎に討ち取られている。
それ以来佐渡島では子供が悪さをしたり泣いたりすると「鬼小島が来るぞ!」と言うと泣き止み大人しくなったという。
史実において上杉謙信、上杉景勝の資金源として佐渡島の金は使用されず、金鉱山が開発され発展するのはそれ以降のことになる為、上杉家臣団の早期による佐渡島制圧は上杉輝虎夫婦と、世継ぎである龍王丸に今後多大な富を生み出すこととなる。
佐渡島に目付けの部隊を残して春日山城に戻った討伐軍の手土産の本間一族の首をみた直江景綱は深い笑みを浮かべる。
城を落とした際に、見せしめの為に城の前に本間一族の首は晒したのだが、1日たった後に河原田城主と羽茂城主の首は塩漬けにされて春日山城に送られたのである。
しかし、いずれにしろ本間一族の運命は決まっていたのだ。
何故ならば女を囲い、酒池肉林を堪能して弱き民に圧政をしく彼等は正義を掲げる上杉家の討伐対象であることは間違いないのだから。
今回の佐渡攻めにおける兵1500のうちの500は何らかの理由で罪を犯した罪人や奴隷であり、御実城様の為に最後に戦働きで役に立ちたいと志願した者達であり、彼等は死兵であった。
彼等は好きで罪人や奴隷になった訳ではなく、空腹で盗みを働いた者、家族の借金のかたに売られた者、恋人や妻の不義理に激怒して相手を斬り殺してしまった者、自身より立場の高い家の者に無理難題を押し付けられ抵抗した者など理不尽に振り回された者達も数多い。
直江景綱は、それらの事情を詳しく知る重臣斎藤朝信の進言により事前に把握していた為、従軍を認めたのであった。
令和の時代でもわかるとおり、人は皆善人ばかりではなく、令和の昼ドラマのようにドロドロした人間関係の末に陥れられることはよくあることなのである。
しかし軍神上杉輝虎は片方からの意見や一方的な悪意をよしとせずに処刑はせずにこのような場面での活躍の機会を与える神君なのである。
権力に近づけば成功した際の利益も大きいが、失敗した際の損害も大きい。
令和の世で言うハイリスク、ハイリターンだが戦国時代は掛けるべき保証が自らの命になりえるので個人的には触らぬ神に祟り無しである。
手柄をあげた罪人や奴隷の死兵達はその手柄により罪を許されて佐渡島の常駐兵や金山の坑夫となり島に留まった。
佐渡島は金山だけでなく銀山もある為、海外との取引には銀貨を作成して使用し、金は国外に出さないようにすることになる。
この時代は、海外での銀の価値が高いので十分に取引きに使えるのと、将来的な価値を考えると金を蓄えることがこの国の未来の財産になるからだ。
また棚田など新田開発を行い石高の上昇にも繋げていく。
この後佐渡島は結婚の祝儀として上杉輝虎の直轄地となり代々直系の子孫が受け継いで行くことになるのであった。




