永禄10年
いつも誤字脱字訂正ありがとうございます。
春になり父信長の命を受けた滝川一益が北伊勢攻略の為に動き出した。
滝川忍軍に関しては娘の葵以外全て一益の元に返しているが、俺の身辺は服部半蔵や加藤段蔵だけでなく虎千代に仕える軒猿もいるので大きな問題はない。
伊勢国は、大名や国人以外にも一向宗の関係があるので忍び働きも重要になるはずだ。
この戦いに関しては俺は兵糧面での支援にとどめて史実通り一益に活躍してもらおうと思う。
一時は、村上水軍を使い伊勢志摩の海賊衆を攻め滅ぼすのもありではないかと考えたが、九鬼嘉隆などは一益の仲介で父信長に仕官しているのでその手柄を奪いたくはない。
俺個人としては史実において家を乗っ取り甥を毒殺するような危険人物とは関わりたくないが、父信長が首輪をはめているうちは滅多な問題を起こさないであろう。
この時期の北伊勢は神戸氏や関氏、長野工藤氏とその他の地侍達による群雄割拠状態であった。
一益はまずは員弁郡や桑名郡の地侍達を屈服させている。
単純な武力だけでなく、知勇兼備で百発百中の鉄砲の腕と、情報収集や調略に長けた一益ならば来年には北伊勢は制圧完了するはずである。
ただ、他者より優位にたてるにこしたことはないので片手で投げられる程度の石を通常より遠くに飛ばす為の麻製の投石器を500程一益に追加支援した。
他家より余裕があるとはいえ、鉄砲の弾薬は貴重なので使い所は間違えたくない。
静観するつもりがつい身内には甘くなってしまう自身に苦笑するばかりだ。
永禄10年名古屋城4月
関東管領上杉輝虎(虎千代)が無事見事な双子の男児を出産した。
この時代は迷信による双子は忌み嫌われ者とされる風習があるが、それは世迷いごとであるということを熱田大神の名において俺は宣言して双子に不当な扱いをすることを禁じるふれを出す。
双子は兄を『龍王丸』弟を『虎王丸』と名付けた。
約束通り嫡男となる龍王丸が上杉家の家督を次ぎ虎王丸が俺の後を継ぐことになる。
産まれた直後であるが歳の若い側近として龍王丸には樋口与六が付き、虎王丸には石田佐吉がつくことが決まった。
樋口与六と石田佐吉は親友と呼べるほどに仲が良くなっていたので今後の兄弟間を考えても都合が良い。
このまま行けば上杉家も俺の跡取りも俺と虎千代の子であるが、来年側室を娶ろうと考えている。
なぜ来年かと言えば、年齢的にその者が幼子であるのと、来年にならないと出逢わないからである。
史実において悲劇の美女であるその者を俺が娶れば彼女と織田家の運命も変えられる確信があるからだ。
虎千代には熱田大神の神託があったと話せば、自身が越後にいる際には城を纏める女主人が必要であろうと快く許してもらえた。
出産の報を受けて急ぎ名古屋城に駆け付けた父信長と義母濃姫には以前の話を改めて虎千代の素性を上杉家の直系の姫君であり、龍王丸は上杉家の一門となると言う説明の仕方をした。
武田家との同盟の件があるので上杉家と直接同盟を結んだ訳ではないが、実質的な血縁による不可侵条約であることを理解した父信長は、将来的なことも考えて口角を上げる。
やはり虎千代が自身より歳上の上杉輝虎本人であることには気がついてはいないようだが、越後国の影は感じていたようである。
父信長は平家や源氏と言うところより、戦国最強上杉家と織田家の血を引く子が誕生したことに歓喜する。
そして何を思ったか、兄奇妙丸だけでなく俺も正式に義母濃姫の養子となったのだった。
双子の誕生には俺の家臣団も喜び歓喜したが、父信長と義母濃姫が来てからは全てを知っている権六と三郎兵衛の顔色が優れないのは気のせいであろう。
父信長や俺の家臣団の喜びは勿論凄いものであったが、跡取り問題に悩んでいた上杉家臣団の喜び方は類をみないほどであった。
軒猿による一報が届けられた春日山城では皆が歓喜して涙をながして、どれほど今日というこの日を待ったかと三日三晩飲み明かしたようである。
そして後ほど俺は上杉家臣団の末恐ろしさを知ることになる。
俺が虎千代と龍王丸の為にも越後国をより豊かにする方法を話していたのであるが、その計画の一つに佐渡島の制圧と金山開発があった。
佐渡島に関しては虎千代から心底臣従させるのは難しいと俺は聞いていた。
佐渡島を統治する本間一族は、地域別に別れており、一つの地域が上杉に味方をすれば他の地域が手を組み敵対するといった感じであり、戦になったとしても戦っているふりをするだけであり、結局冬がくるなど期限切れになるなどして引き上げる結果になってしまっているのである。
三郎兵衛が「侵掠すること火の如し」ですぞと言えば、慶次郎はポキポキと指を鳴らし、権六は「フンゴー」とやる気をみせる。
双子の首が据わった後に、お披露目もかねて越後国に一時帰省する際の手土産として佐渡島を攻め落とそうとしているのである。
そしてその会話を黙って聞きながら河田長親は眼を鋭くさせるのであった。




