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バカ殿様に転生しました。  作者: 吉良山猫
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名古屋城経過

いつも誤字脱字修正ありがとうございます。

名古屋城


名古屋城築城にあたり数年が過ぎたことにより、本丸、二之丸、西之丸、御深丸の石垣は完成しており、堀川の開削工事も完了していた。


清洲越も完了しており、城下町は整いつつあり、史実と違うのは父信長と母吉乃の住まいとして二之丸御殿を最初に完成させたことである。


そして史実通りの本丸御殿が完成して俺はその奥に住居スペースを確保して住んでいる。


名古屋城の天守閣は世界一と言っても過言ではないのであくまで1番後回しである。


そして今は櫓の建設に手をつけているが、史実の初期計画にあった更に巨大な名古屋城の建設計画の通りに最終的に持って行きたいと思う。


天守閣がなくとも今の名古屋城が日の本一であることは間違いないが、父信長は自身が二之丸御殿を支配することもあり、名古屋城の出来に大変満足していた。


いずれ敵対して戦になるであろう武田信玄がもし三河国に侵攻して徳川家康を蹴散らしても、名古屋城は抜けないと確信したからである。


元々令和の時代の名古屋城は、大阪城の豊臣方と江戸城の徳川方の戦が起きた際に関して敵軍を食い止める最重要拠点である。


織田信長としてみては、武田信玄が攻めてきたり、徳川家康が裏切った際に、上方で戦に敗れた際においても尾張国まで逃げ延びれば難攻不落の名古屋城があるのである。


日の本の城において元々名古屋城は5本の指に入る名城、堅城であるがそこに令和の知識と熱田大神の加護が加わったらどうなるかは言わずもがなである。


俺の中では後北条家の総構えが完成した小田原城にも負けないと自負している。


城下町は江戸時代の江戸城下を参考に区画分けしながら道や建物を配置してある。


二之丸御殿の庭には池には錦鯉や亀を飼い、松や桜や梅や紅葉など季節ごとに楽しめる美しい庭園としてある。


本丸御殿の庭はそれらは梅以外は小さく収めて、琵琶の木、栗の木、柿の木、銀杏の木、無花果の木、桃の木、柘榴の木、柚子の木等城内、城下で育ちそうな実のなる木を植えて増やしている。


念には念を入れて食べられる物を増やすことにより、戦時の備えとするのである。


武家屋敷や商人の邸なども生垣として五加木を推奨している。


世の中の人々が知らないだけで実は食べられる物は沢山ある。


外観が悪くなるのと、曲者が潜みやすくなるとの心配もあるが俺は名古屋城下の外側に竹林を植えて囲うように増やしている


竹は根が強いので地震などの際に避難所になるのと、台風や洪水などの際には防風林となる。


更には素材としても優秀であり、竹槍などの武器や様々な道具への加工、竹炭などにもなる万能素材でもあるのだ。


そして春になると次々と生えてくる筍は美味いだけでなく皮まで握り飯を包む素材になるなど利用価値がある優れものである。


名古屋城下をぐるりと囲むようにしげる竹林が敵が潜む依代になることもまずない。


何故ならば、滝川忍軍、前田忍軍、戸隠忍軍(真田忍軍)、服部忍軍、百地忍軍が集まるこの地はそれだけで結界と同じであり、彼等の狩場なのだから。


又、同じような理由にもなるが、俺は川沿いにそって竹林を植えさせている。

防風林の意味もあるし、洪水の際の簡易の堤の役割りもある。


やはり潜むような者もいるが、全国から忍びを高待遇で召し抱えている名古屋城は今や日の本一忍びが多いのである。


草木や竹林の良い肥料となるのが関の山なのは間違いない。


また、大軍で攻めて来る敵に対しての塀の役割も果たし、下手に竹を切ればそれが鋭い天然の罠となる。


海沿いに関しても俺は同じような手法を考えはしたが、現状で尾張村上水軍以上に強い水軍はいない為、敵に上陸されて戦闘になる可能性はかなり低いので海辺は移動しやすさの重視と、今後考えている塩事業に関しての対応を優先する。


それは入浜式塩田と更にその先を行く流下式塩田である。


入浜式塩田は江戸時代に使われた手法であり潮の満ち引きを利用した方法で、砂を塩田に撒いてひろげる、毛細管現象促進の為に上から海水を撒く、水分の蒸発を助けるために表面の砂をかきおこす、砂が乾いたら集めて沼井に入れる、沼井に海水をかけて砂に着いた塩分をとかす、沼井からかんすいが出てくる、後で煮詰めて結晶化させると言う具合だ。


流下式塩田はかんすいをとるための装着で昭和期に利用された方法である。


地盤に傾斜をつけその上に粘土をしきさらに小砂利を敷いた流下盤と柱に竹の小枝を階段状につるした枝条架からなるポンプを使った複雑な方法をとることにより、余剰な労力なく現在流通している塩より上質な塩を量産することに成功したのであった。


これらの塩は、現在流通する塩より圧倒的に品質と味が良い為、ある意味の革命である。


俺は新たなる塩の強みに満足しながら名古屋城下がどの様な状態の時でも餓死者だけは出したくないと心から思うのであった。



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