忍び寄る伊勢攻めの影
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名古屋城
権六と慶次郎を中心として朝の鍛錬を皆で行うが、服部半蔵や武藤喜兵衛などもかなり強くみえる。
俺は肉食を含む食生活のお陰で同年代の子供達よりかなり背が高いが、父信長やその妹であるお市の方、後の茶々姫や豊臣秀頼など織田家血縁者は高身長の者達が多いのでこのまま順調に行けば将来的に180センチは超えるであろう。
竹中半兵衛や佐吉など家臣団も俺と同じ食生活をさせている為、文官や軍師の印象が強い彼等が明らかに逞しくなってきている。
俺は身体的に大人達には敵わないが、前世の知識と技術がある為、少しばかり見切りや縮地法を活用して子供らしい戦い方を主としている。
以前武芸に自信があると言う同い年の弟勘八が俺と稽古がしたいと権六を通して俺の元にやって来たことがあった。
実力差があることは明白である為、軽くいなしていたが、「茶筅丸は卑怯者だ正々堂々と戦え」と煩く喚き散らしたので勘八の木剣をおもいきり弾き飛ばして首元に木剣を突きつけたら可哀想に腰を抜かしてしまった。
ふんどしも濡れて冷たくなってしまったようなので、その時は権六に頼んで名古屋城の風呂に入れてやったら生意気だった勘八が「兄上」と随分としおらしくなった。
ただ懲りたのか懲りぬのかたまたま昼寝をしていた滝川葵のことを狸が着物を着ていると言ってしまいぷんすこ激怒した葵にこてんぱんに負かされたようである。
傅役の滝川一益は岐阜城と蟹江城を行ったり来たりすることが増えているので名古屋城に来る回数が激減している。
時期はまだ早いが史実のように伊勢攻めの準備をしているのであろうと思われる。
まあ伊勢の件に関して言えば織田軍は美濃攻めにおいて史実ほどの損害が出ていないので早まる覚悟はしなくてはならないのかも知れない。
俺は父信長に強制的に命令されない限り直接的に戦に関与する気はないが、伊勢平定の先にある長島一向一揆や伊賀の件に関しては間接的に手を打とうと考えている。
結局は戦で行き場を無くした者や貧困に喘ぐ者達が、仏にすがり死兵と化すのが一向一揆である。
父信長と俺は思考的に似た部分があり生臭坊主と織田家に歯向かう者達には一切容赦しない。
しかし戦で行き場を無くした者達や理由があり貧しい者達、罪のない女子供まで虐殺する程非道でもない。
無駄に同じ日の本の民を死なせる必要はないのである。
俺が名古屋城下と名古屋周辺で懸命に内政を心掛けているのはそれらの人々を全てとはいかぬが受け入れたいと思うからである。
令和の時代に200万人の人口を超える大都市である名古屋市までとは言わないが目指すは100万人規模の大都市である。
江戸時代の江戸にてそれが可能だった為、不可能ではないはずである。
大都市になるほど衛生面に気をつけなければならない為、城のお堀以外にも城下町には水路を張り巡らせ特に下水道の整備はしっかりやっている。
服部半蔵の斡旋もあり日の本の中でも特に貧しい土地の一つである伊賀国より人を多量に雇用しているのもその一環だ。
今ではあの百地三太夫が城下の伊賀者の人足達の頭的役割を引き受け間者などを間引くのを手伝ってくれていると半蔵から聞かされたので、百地三太夫は正式に俺の家臣として登用した。
前田慶次郎や伊賀者達が見廻組的な治安維持を行い、奉行所的役割は武藤喜兵衛と竹中半兵衛が今まで取り仕切ってくれているので名古屋城下は極めて治安が良い。
名古屋城限定で改革を始めたことが一つあり、それは西暦の取り入れである。
ただ多方面との関わりがあるので和暦は儀礼用として使用して祝い事などは祝っている。
どこから聞きつけたのか父信長は西暦に興味を持ち説明を求められたので事細かく説明するとこの時代の人間ではありえないことにそれを完全に理解して織田領内全体において活用を指示した。
それからこの時代は時刻は太陽を見ながら大体で把握する程度であり、良い場所では寺が時間を知らせる為に鐘をつく程度であった。
なので鍛冶屋に詳細な指示出しを行い俺は名古屋城内に櫓型の時計台を設置した。
西洋のように石造りや煉瓦作りなら作成に時間がかかるが、まずは従来の物見櫓を豪華にした感じの物を名古屋城の四方に設置し、その後火の見櫓をかねた時計櫓を名古屋城内の要所に設置し、近隣の村々には村の各所に日時計を設置させた。
流石に村々にまでぜんまい式時計は設置出来ないので木製の日時計である
それに関する説明や普及に関しては服部半蔵と伊賀衆に任せる。
時間を制する者は全てを制する。
今までなあなあの時間で集まり行っていた評定や、取り引きの待ち合わせ、労働時間を管理出来ることなど様々な利点は計り知れない。
需要が高まる鍛治職人に関しては俺が次々と新しい仕事を与えるので、それを見越した竹中半兵衛や服部半蔵、そして父信長が各所より良い条件で引き抜き名古屋近郊に集めている。
それ故にある程度は俺の思い通りに事が勧められるのである。
因みに服部半蔵や百地三太夫には志願者がいれば伊賀者や生活困難者など、どの様な者達からもでも鍛治職人と船大工にどんどん転職させよと命じてあるのでそれも効果を発揮している。
戦や事故により多少足などを悪くして戦場に立てないものや四肢に欠損がある者達でもよい。
簡易な義足もそうだが、令和の時代でも使われる松葉杖を再現する事により彼等を生きやすくしたりの支援も実施している。
何故ならば、それらも人の上に立つ城主である俺の役目なのだから。




