服部半蔵
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三河岡崎城 服部半蔵視点
服部半蔵正成は冷静沈着の鑑のような男であるが今人生で一番困惑していた。
尾張から織田家の一行が岡崎城にやって来て主君元康と何か交渉をしていたが、その交渉の中で拙者は茶筅丸様に指名されてその家臣となったのである。
現在松平家は三河一向一揆により家臣が二つに割れて争う事態となっており、家中は混乱の真っ只中であり、銭もつき、兵糧や武器、防具の確保もままならない状態であった。
刃のかけた刀や錆びた槍ならまだ良い方で、棍棒や農具、竹槍などを武器として使用し、壊れかけた胴当てや鍋をかぶるなど山賊以下の装備で戦う松平軍は敵の一向宗より鼻で笑われるくらいの惨めさであったが生き残る為には手段を選べない程の極限である。
さらには誰が味方で誰が敵かわからない中で、主君には隠して武士として仕えているが実は陰では忍び働きを教え込まれてた伊賀忍者の集団の棟梁でもある拙者服部半蔵は水や食料にも毒が含まれているものが出回り仲間達が戦闘不能になるのを見てきているので井戸の水や支給された食料には手をつけず一族の者達は野草や雑穀を中心に飢えを凌ぐのが精一杯であった。
勿論身なりも粗末な物であり、初代服部半蔵の頃に伊賀より三河に流れ着いた服部家は身分も低く最底辺であり、織田茶筅丸様と元康様の会談の際も拙者は板の間ではなく、身分の低い者達と共に庭にひざまずき控えていたのである。
まず謎なのが何故このような最底辺の拙者を家臣に望んだのか疑問しかなかったが、茶筅丸様は「熱田大神の神託である。服部半蔵正成と言うものを探し出して家臣にしろとのお告げである」と皆の前で笑顔で宣言された。
主君であった松平元康様は、喉から手が出るほど欲しかった銭と、武器や防具、兵糧を手に入れ末端の家臣である拙者を差し出すこと嫡男の保護が条件とあり会談の後に「わっはっはっはあのうつけが。うつけの子はやはりうつけか。我らの得しかないではないか」と大笑いしていたのを配下の忍びから報告を受けている。
主君であった元康様は執念深い性格であり拙者など足下に及ばないほどに腹が黒く闇に染まっている。
先代である松平広忠様が暗愚であり家中をまとめきれなかっただけでなく暴挙により領内に混乱をもたらせた。
その挙句に自身は恨みを持った家臣に妖刀村正により斬り殺されている。
妖刀などと物騒な名前で元康様などは言うがそれはあくまで松平家の私情であり村正は三河で広く使われている常用の刀鍛冶で拙者も愛用しているのであるが。
しかしそれらのこともあり、大大名である今川家と財政的に優れる織田家との間に挟まれる形で家臣の裏切りなどから双方を人質として行き来をするうちに元康様の性格が歪んでしまったのである。
織田家では丁寧な対応を受けていたし、かつてうつけと呼ばれた信長公は遊び相手として方々連れ出して弟分として可愛がったようだ。
今川家では東国一の軍師と呼ばれた太原雪斎を師匠として付け最上級の教育を施すだけではなく、今川義元公の姪で絶世の美女と呼ばれる瀬名姫を娶らせてもらい一門格の待遇を受けていた。
しかし心無いことを吹き込む三河の鳥居忠吉や酒井忠次などの影響もあり今川家を妬み、織田家を妬み、今川氏真を妬み、織田信長を妬む怪物になってしまわれた。
武士と言うよりは堺の商人のようなでっぷりとした体型の元康様は、商人達や狸の置き物のように厚い面構えと笑顔を欠かさず感情を殺して今まで過ごしてきているが、拙者ぐらいの忍びの者には今述べたようなこれまでの情報の把握や、人の本質は簡単に見抜けてしまう。
そして人がいないところで元康様は親指の爪を噛みながら氏真のうつけが信長のうつけがと常時悪口を言っているのを拙者は知っている。
今回の織田茶筅丸様に対する暴言も極限状態に追い込まれていた為に出た本性であろう。
しかし決して茶筅丸様はうつけなどではないと思うし、下賤の者である拙者の前まで直接赴き両手をとって「織田茶筅丸だ。色々困惑することもあるかもしれないが案ずるな。半蔵の一族郎党全てを私が名古屋で面倒を見る。これは名古屋までの路銀である。一族総出できてくれ。」そしてそっと茶筅丸様は拙者に耳打ちをして「故郷の伊賀者も希望すれば全て正式な家臣として登用すると約束しよう」と言って下さったのだ。
三河では忍者であることは隠していたが、それでも周囲より下賤のものと蔑まれてきた伊賀忍者の拙者が初めて皆と同じ人間として扱われたことを理解して拙者は自然と涙していた。
茶筅丸様の傅役や配下の者達は忍びの者達を抱えている為、我らの素性を間違いなく知っているからだ。
一族郎党総出の移住は勿論だが、茶筅丸様の為に伊賀の里にも人をやり勧誘することにしよう。
伊賀上忍三家は服部家、百地家、藤林家であるがこれから服部家が受ける待遇次第で勧誘するまでもないがなと半蔵は思った。
何故なら百地家や藤林家の忍びの長達が熱田大神の加護を受けし茶筅丸様の三河入りを配下の者達に探らせているのをあえて見逃していたのだから。
そして茶筅丸様が滝川一益配下の滝川忍軍と甲賀忍者、前田慶次郎配下の前田忍軍、武藤喜兵衛の配下の戸隠れの忍者達を優遇しているのは有名であり羨ましく思っていた為、一族郎党の為、伊賀の里の為にもこの好機を決して逃さないと心に誓った。
自分達に求めているのは元康様の時のような侍働きではなく忍び働きだと理解した拙者は伊賀忍者の筆頭とも言われる上忍三家の服部家であり忍び働きは誰にも負けないと自負している。
そして茶筅丸様に関係する忍びの中で初であり唯一の直臣という事実に喜び静かに闘志を燃やすのであった。