薬草栽培
俺は名古屋城のその規模を周囲に隠しながら徐々に築城している為、天守閣や櫓は当面作る気はなく、石垣などの基礎は偽装しながら作っている。
名古屋城の二の丸に当たる場所に位置する旧那古野城は今はまだ完全に解体せずに母吉乃と五徳姫の住まいとして使用しており、俺は名古屋城本丸になる予定の場所に簡易な館を築いて城の中心であると語り住んでいる。
勿論本丸の周りは本来の規格ではない堀や塀など最低限の防備は施している。
ただ城下町に関しては堂々と本来の規格で作っている為、父信長や他者から見れば俺が城と言うより大きな商業町と貿易港を作っているように見えるだろう。
熱田神宮が栄えることは尾張領内に人が訪れるきっかけとなり、名古屋港を整備することにより多くの船を持つ商人などが訪れやすくなる為、あくまで効率重視の父信長は俺の行動を黙認している。
その熱田神宮と名古屋城下の発展のために、現在俺は熱田神宮の関係者、多羅尾一族、武藤喜兵衛、前田慶次郎、村上通廉、滝川一益代理の滝川葵、佐吉を集めて評定を行っている。
議題は薬草栽培と薬草収集、薬草の知識、運用等どであり熱田神宮の歩き巫女や病院に深く関わってくる。
また、熱田孤児院の運営資金は俺と熱田神宮からの予算配当、各所からの寄付の他、孤児達に薬草栽培の労働を行ってもらいその対価として賃金と教育の提供をしようと思っている。
学校自体の設立も将来的に行うつもりだが、流石に今は手一杯である。
薬草栽培に関して俺は現物が手に入る物に関しては現物を用意して、用意できないものは俺が絵を描いた。
『どくだみ』はにきび、おでき、水虫、利尿、強心、緩下剤、解毒等の効能があり、『あさがお』は下剤、利尿、浮腫解消『クチナシ』は不眠、精神不安改善、黄疸、体内出血の改善『蓮』は貧血『メハジキ』貧血、婦人病、高血圧、腹痛『百合』は鎮痛剤、鎮咳、鎮静薬、吐血『シャクヤク』刺痛、発作痛、神経痛、胆石『向日葵』出血性下痢『オオバコ』鎮咳去痰薬『よもぎ』止血剤、浄血、造血、貧血、癌予防、安眠効果、精神安定、抗菌作用、冷え性、下痢止め、便秘改善、皮膚炎、アトピー、老化防止、美容効果、しみしわ改善、コレストロール値改善『せんぶり』消化不良、下痢止め、食欲不振改善、概要的な抜け毛防止、フケ防止『たんぽぽ』むくみ解消、高血圧改善、ホルモンバランス改善、解毒作用、生理改善、母乳がよく出るというこの時代になんとか手に入りそうな薬草と効能、栽培方法を俺は皆に説明した。
それを絵つきの薬草図鑑と医学書にすることを多羅尾一族、佐吉、熱田神宮の者達に依頼して情報共有を指示した。
また万能薬として令和の時代で言う正露丸に近い薬を完成させてその名を『万能丸』にした。
この時代抜くことぐらいしか治療法がなかった虫歯にも痛み止めとして効果がある為、俺はこれは売れると睨んでいる。
薬草等の種子や苗の収集に関しては村上水軍と滝川忍軍にお願いする。
そのついでに原油やヤシの実のようなものが手に入れば手に入れたい。
合成グリセリンと天然グリセリンを手に入れたいからである。
医療への活用は勿論だが、兵器製造にも転用できる優れものである。
また葵に滝川一益経由で堺で必ず手に入れてきて欲しい物を依頼した。
薬草栽培と平行して今後量産したいと思っている唐辛子の種子である。
唐辛子は料理の幅を広げるだけでなく、禁断の秘密兵器となりうる可能性を秘めている。
唐辛子爆弾、唐辛子催涙弾など想像しただけで恐ろしい。
たしか後世でインドなど複数の国で兵器として実用化されたはずである。
神罰とでも名付けて使用するのも良いかもしれないと俺は悪い顔をする。
評定はそこまでとして、漢方薬の材料やハーブなどもほしいなと考えていると周囲が騒がしい。
どかどかと大きい足音がしたかと思うと勢いよく扉がひらかれる。
「茶筅丸きたぞ」
「ち、父上。事前に先ぶれをだしておいてくだされば出迎えましたのに」
「で、あるか。それより茶筅丸面白そうなことを始めたようだがこの父に説明せい」
父信長がせっかちで思いついたら行動しているのは周知の事実であるが、毎度毎度は俺の心臓がもたないので勘弁してほしい。
そして家族であるから余計なのか、距離が近い分よりいっそう笑顔の圧が恐ろしい。
俺は一から熱田孤児院、木瓜印の織田家直営病院について説明した。
「熱田孤児院は寺がやってることに近いものがあるな。だが織田家直営病院とやらは素晴らしいではないか」
「で、ありますか」
「それに伴い薬などを作ってるらしいな」
俺は薬草とその効能をまとめた薬草図鑑と医学書を作る話と万能丸に関して説明する。
「で、あるか。その薬草図鑑と医学書は勿論この父の分もあるのであろうな茶筅丸」
「ヒィイ勿論です父上。真っ先に献上致します」
「あと医者をこちらにもまわせ。万能丸も貰っていくぞ」
「ハハッ、父上」
俺から万能丸を受け取ると「吉乃のところに今日は泊まるぞ」と上機嫌でその場を後にしたのであった。