人間五十年
たった50年の人生は、化楽天の人々に比べれば、夢や幻のようなものだ。
俺の父である第六天魔王織田信長が好んで舞ったとして知られる敦盛であり人生が短いことである例えの約である。
「人間五十年、化天のうちをくらぶれば、夢幻ごとくなり」と舞う父織田信長はやはり常人には計り知れない16世紀の特異点であると考えられる。
因みに化天とは仏教で信じられている天上界の一つである化楽天の一つであり、そこに住まう者達は8000年生きると言われているので確かにこの時代の50年など一時の夢や幻に喩えられてもしかたない。
この時代の寿命が50年と言われる理由は、下々の者達だけでなく高位の者達でも栄養失調(動物性蛋白質の不足等)、医療知識や医療技術が医者であっても令和の一般の日本人以下であり祈祷や神頼み、迷信に頼り、衛生環境の悪さ、戦による戦死などが挙げられる。
俺は熱田大神の名を借りてこれらの改善に注力して平均寿命を伸ばし、増えた人口は台湾やオーストラリア、アメリカ大陸などを目指す開拓民として世界進出を目標にしたい。
その中でも早くに手をつけているのが産褥死を減らす為の取り組みや、赤子や子供を育てる正しい知識の伝達など赤子や子供の死亡率の高さを減らす取り組みである。
俺は武藤喜兵衛に命じて、名古屋城下に織田家直営の病院と熱田神宮の名を借り熱田孤児院を設立した。
医者は滝川一益の紹介で甲賀よりやってきた多羅尾一族に俺が医療関係の知識、技術を徐々に教えることで今後は代々医者の家門となってもらうつもりだ。
医療や薬学を理解できそうな人材を探してもらえないかと一益に頼んだ際、毒や薬に精通している一族がいると言われて紹介されたのが多羅尾一族であり、毒については背中に冷たいものを感じだが、毒と薬は紙一重なのもあり即採用した次第である。
また病院の医者やその助手となる者達は戦時には救護班として従軍してもらう。
熱田孤児院の院長は熱田神宮の大宮司である藤原南家藤原氏である千秋家の一族に由来する者達から選抜する。
熱田神宮の名を借りた理由として、キリスト教の教会運営の孤児院を意識した為であり、今は名古屋城下だけであるが熱田孤児院を日の本中に広めたいと俺は夢をみる。
熱田大神を頂点とした熱田神宮に祀られた須佐之男命、日本武尊などの神々を崇める日本神道を後世で世界三大宗教とよばれる『キリスト教』『イスラム教』『ヒンドゥー教』やユダヤ教、儒教、仏教よりも上の存在にする為には俺はどんな努力も惜しまない。
キリスト教教会や聖物や旗に使われる十字架のように俺は使用を許可された熱田神宮の神紋である『五七桐竹紋』をより多くの者が認識できるようにしたいと考える。
信仰や信心により神の神力は上がると言われている為、熱田大神の力を強めることに必要不可欠なのである。
だから名古屋城には所々に熱田神宮の神紋を施しており、熱田孤児院にも勿論神紋が使われている。
この時代の寺社は比叡山延暦寺を筆頭に腐りきっている為、熱田神宮の名のもとのこの善行は人々の心を掴むことは間違いない。
比叡山延暦寺を例にだせば、人攫い、高利貸し、禁制の女子の囲い込みや飲酒や肉食、強姦、権力の濫用等数えたらきりがなく、逆らえは神罰が降る一点張りである。
父織田信長が比叡山を焼き払うのも無理な話ではない。
ただ歴史は捻じ曲げられており、父信長の悪行のような伝わり方をしているが、立案して中心となり実行したのはあの明智光秀である。
後世で父織田信長を悪逆非道の第六天魔王であり、明智光秀は正義感溢れ朝廷や幕府を重んじる文武両道の名将などと戯けたことをドラマなどで美化することがあるがとんだ間違いである。
明智光秀の前半生は不明であるが、朝倉家や足利家に見切りをつけて織田家臣になったにもかかわらず我が父織田信長を裏切った謀反者の事実があるのだから。
明智光秀本人は恐ろしいほど頭のきれる男であり、残忍で狡猾、そして清和源氏土岐氏の血をひくことを誇りに思っていた。
後の羽柴秀吉と織田家武将として似たような部分が多いが、秀吉との違いは能力は秀吉以上だが土岐源氏としての誇りが邪魔をして上司にも、自身より身分が下の者にも愛想や媚びを振りまけなかったことである。
また情報戦と言う意味で山の民を持つのちの羽柴秀吉や服部半蔵の伊賀忍軍をもつのちの徳川家康に翻弄され騙されることとなる。
明智光秀は今すぐにでも処分したい1人であるが、今後の織田家の為にあえて目を瞑る。
後世の父織田信長の4人の軍団長の内、明智光秀、羽柴秀吉は腹が真っ黒であり信用ならないが、逆に残りの爺である滝川一益、柴田勝家は信頼に値する。
だからこそ俺は家中の動きに常日頃注意しなくてはならないのだが、基盤固めとこれからの日の本と織田家の為に熱田大神よ我に力をあたえたまえ。
熱田大神と共に行く理想郷たる未来の為に。