摩通と夜の狐
その夜のことです。摩通がふと目覚めると、行灯の火はすっかり消えていました。頭をもちあげると、摩通は御簾の方を見やりました。暗闇がこわいと言っていた
かぐやのことです。おびえていないかということが、まず気がかりだったのです。
しかし、彼女が眠っているはずの場所に、その姿はありませんでした。摩通は、さっきのことを思い出して、どきっとしました。
(もう、悪いものの気配はなにもなかった)
摩通は、自分にそう言い聞かせます。
寝床は、かぐやの古着です。摩通は、そろそろと十二単のすきまからぬけだしました。
どうやら、部屋にはいないようです。けれど、心配はすぐに立ち消えました。縁側に出ると、そのふちに座って空を見上げているかぐやの背中を見つけたからです。
「かぐや?」
呼びかけると、少女はゆっくりとふりかえりました。月あかりのもとでは、いつもよりもはかなげに見えます。
「起きていて大丈夫なのか。いったい、何をしているんだ?」
しばらく、彼女はだまったまま目をふせていました。
「――月を見ているの」
「身体は、もう……」
これ以上言いつのると、説教くさくなりそうなので、摩通はやめました。そのかわりに、つとめて柔らかい声で話しかけました。
「暗闇がこわいんじゃないのか?」
「そんなのはうそです」
かぐやはさらりと言いました。
「うそ?」
摩通は耳をぴんと立てました。しかし、かぐやは悪びれるようすはありません。
「そうです。だって、そうでも言わなければ、あなたは御簾のそばで寝てくれないのでしょう」
こたえずにいると、かぐやはちょっとこちらを見ました。
「わたくし、ものすごくさびしいのです」
かぐやは、病で気弱になってしまったのでしょうか。それでも、彼女がそう言うのを聞いて、摩通ははっとしました。
(病魔も、彼女の叫びを聞いて来たと言っていた……)
「毎日毎日、たくさんの殿方から文をもらって、たくさんの侍女にお世話をしてもらって、どうしてさびしいのって、あなた、思ったでしょう」
たしかに、摩通にはわからないかもしれません。けれど、かぐやのさびしさをわかりたいとは思っていました。けれど、そのことに、かぐやは気がつかないようです。
「わたくしが本当にほしいものは、きれいな着物でも、ゆうふくな夫でもないのよ」
今、かぐやは眠るときのうすい着物を着ていました。かざりのない、そぼくなものです。けれど、摩通は、昼間の着かざったかぐやにもおとらないくらい、今のかぐやもきれいだと思いました。それを伝えるのはむずかしいことです。もしかしたら、摩通がちゃんとそのことをかぐやに伝えることができたなら、かぐやのさびしさもいえるのかもしれませんでした。それは、なんとなくわかっているのです。
勇気を出そう。そう決心したときでした。
「あなた、ついに狐の姿を見せてくれたのね」
あっと思ったときにはもう、かぐやは摩通の赤茶色の毛並みにふれていました。
「はじめてあなたに会ったとき、瞳があまりに月の輪のように見えて、とてもどきっとしました」
飼い犬の背をなでるように、かぐやはやさしく摩通にふれていました。ふりはらうなど、思いもよりませんでした。
「月は夜の闇を照らしてくれるわ。わたくしのさびしさにも、ほんの少し、光が差すような気がするの」
しばらくだまって、かぐやのやりたいようにさせていると、彼女はふいに、摩通の目をのぞきこみました。
「あなたがいてくれたら、もしかしたら、わたくしはさびしくないかもしれないと思ったのよ」
(………え)
かぐやは肩をすくめて笑った。
きゅうに、目がとても熱くなりました。まるで、燃えてしまったみたいです。ほっぺたの毛がぬれたような気がして、摩通はそっと手の甲でぬぐってみました。
(これが、涙………?)
摩通は、ようやくわかりました。自分は、本当はずっと、こんなふうに泣きたかったのかもしれないと。
かぐやは、また月を見上げました。
「ああ、月まで飛んでいってしまいたい」
それは、今までに聞いたなかでいちばん、さびしいひびきの声でした。
「わたくし、小さいころから、こういう物語を考えていたのよ。――わたくしは、本当は月の都の姫で、何かのひょうしにこの世界に落ちてしまったのだって。だから、こんなふうに、どこかへ帰りたくなってしまうのだって」
それは、前にかぐやが話してくれた『月の都の姫』の物語そのものでした。
(この子は………)
摩通は、つい思ってしまったのでした。――かぐやが帰りたいと願い、かぐやをむかえいれるものが、あの月であるのならば、自分は、相棒として、かぐやの月になりたいと。