摩通となつかしい風景
その日、とうとう鷹彦が摩通に不満をぶちまけました。
「最近さあ、なすすらもらえねえわけだよ」
彼は、くちばしをとがらせます。
「おれだって、飯はぜんぶのこり物だぞ」
もちろん摩通は、すかさず反論しました。これは本当です。鷹彦たちがもらっていたえさがそうだったように、摩通がわけてもらう食べ物も、それはかぐやの気に入らないものばかりです。(ただし、お米だけは、ちゃんと、摩通の専用の椀に半分にわけてくれました)
「おれをかぐやに手引きしてくれたのはおまえらだろう。それに、おれの名をつかって、都のえさ場をせしめることができるって言っていたじゃないか」
「ふんだ。そんなのは、もっとおまえが有名になってからの話だぞ。おいらたちは、おまえの将来にかけたんだ」
摩通が烏たちと言い合っていると、かぐやがどすどすと足音を立てながら、廊下をこちらに歩いてきました。うしろから「姫さま、そのように足音を立ててはなりませぬ!」という注意が飛びます。けれど、かぐやは「ふん」と腕を組みました。
「ほら見て」
そんなふうに言いながらも、かぐやはこちらに向かってなにかをたくさん投げつけてきました。
「なんだこれ」
「それ、全部わたくしにあてた恋文なの」
かぐやは、すべてのうっぷんを摩通にぶつけるみたいに言いました。
「毎日毎日、こんなにたくさん届くのよ。わたくしがいやになるというのも、これを見たら、あなたにだってわかるでしょう」
摩通は、またなにも言えませんでした。摩通がこたえないのを見て、かぐやはいらいらしたようにつづけました。
「こんな調子だから、わたくし、この春は桜を見に行くなんてできませんでしたの」
ちょくせつではありませんが「なにか気の利いたことを言いなさいよ」という思いがありありと伝わってきます。摩通はため息をつきました。
「ほら、あなた天狗でしょう。桜を見せてちょうだい」
「おい、おれがなんでもほいほい聞くと思ったらおおまちがいだぞ」
負けじと、摩通も声をはりあげます。
しかし、かぐやはいつものようにすまし顔でこちらを見やりました。
「あら、あなたの能力を高くかっているということなのに」
うそでもそんなふうにを言われたら、いやとは言えないじゃないかと、摩通はため息をつきました。
「そう、ありがとう!やっぱり、あなたはわたくしの相棒だわ!」
あきらめたようすの摩通を見たかぐやは、うれしそうに両手をぽんと打ち合わせました。もうすっかり、摩通がそうしてくれる気になったのだと、決めつけてしまったようです。
「それは反則だぞ」
かぐやはよく、こういう戦法を使います。たのみごと(ほとんど命令なのですが)をするときは、摩通がうんとうなずく前に、「ありがとう」とお礼を言ってしまうのです。「ありがとう」と言われると、摩通だって悪い気はしません。それに、ことわれなくなってしまうのです。まったくもってひきょうでした。
ほかにも、これでことわれなくなってしまったことはたくさんありました。
たとえば、かぐやは夜がきらいです。暗闇がこわくて眠れないので、摩通は、夜のあいだずっと、かぐやの御簾のそばにいなければなりませんでした。それに、かぐやより先に眠ってしまうのはだめなのです。かぐやは、ときどき「摩通、いるの?」と言います。ちゃんと摩通が起きているのをたしかめるためです。
摩通は狐なので、眠ると、どうしても本当の姿にもどってしまいます。最初に会ったときに耳を出してしまってから、どうにも気はずかしくて、狐の姿を見られたくなかった摩通には、かぐやが先に眠ってくれるというのは好都合でしたが、おとなしく寝つくまで、ずっと名前を呼ばれつづけなくてはならないので、それがちょっと問題でした。だけど、毎晩「ありがとう、今日もここで眠るのよね?」と言われるので、どうもまいってしまうのです。
とりあえず、摩通はかぐやを巻き上げた御簾のなかに座らせると、腕を組んでうろうろ歩き回りながら、部屋の広さをていねいに調べました。(そういうふりをして、どうするか考えていたのです)
「どうするんだあ?」
庭先にいる鷹彦たちは、興味津々といったふうにこちらをじっと見つめています。
(うるさいな)
考えごとのじゃまをされた摩通は腕をふりほどくと、きっと烏たちをにらみつけた。
「おい、静かにしろよ。大天狗さまが集中してる」
鷹彦は舎弟たちにどなりつけました。「うるさいのはおまえだよ」と言ってやりたいところですが、とりあえずは烏たちがおとなしくなったので、摩通はよしとすることにしました。
(桜を見せればいいんだよな)
摩通は、部屋の中に里山の風景を作り上げようと思いました。もう桜のない季節なので、どうせ幻術で花を咲かさなければならないのです。
「さわぐなよ」
念をおしたあとで、摩通は金色の目をゆっくりと閉じました。
みけんのあたりに全神経を集中させて、満開の桜を思い描きます。それは、小さいころに、おりていった村で見ていた風景でした。そして、その美しい花を咲かせる桜の木は、いたずらばかりしていて、しばりつけられてしまったあの木でした。
けして、いい思い出ではありません。けれど、摩通はほかに桜の木や、そういう風景を知りませんでした。
たたみの上にうっすらとやわらかい草が生えて、それがどんどんのびていきました。いつのまにか、天井やかべも、すっかり消えています。そこは、なつかしい場所でした。
「わあ!」
かぐやの歓声と、烏たちがかあかあはばたく音で、摩通は目を開きました。
「すごいな!やるな、主!」
鷹彦たちは、すっかり風景にとけこんでいます。
桜の木の枝は広くはりだしていて、首がいたくなるほど見上げなければなりませんでした。小さいころ、摩通にはそういうふうに見えていたからです。そこから、はらはらと舞いおりてくる花びらたちは、たくさん集まると桃色に見えるのに、一枚一枚になると、光にすきとおるほどきれいな白でした。
「まるで、月の国からやってくるみたい!」
かぐやは、着物のすそをもちあげて、軽やかにかけだしました。
「天からの使者は、この世界では花びらのような姿をして見えるのよ」
「それは、本当なのか?」
そういう話を、摩通は、はじめて聞きました。目を丸くした摩通を見て、かぐやはくすくすと笑いました。
「そんなのは知りません。『月の都の姫』は、わたくしがあそびに考えた物語です」
かぐやは、その物語を話してくれました。
「竹から生まれた姫は、美しく成長して、たくさんの男たちに結婚を申しこまれます。この国の帝までが、姫をお妃にしたいとお思いでした。けれど、姫は月の都の姫でした。だから八月の十五夜に、みなに惜しまれながら、月へと帰ってゆくのです」
「へええ!」
烏たちはやかましくはやしたてます。かぐやは、少しはじらうように肩をすくめました。
そんなようすを見て、摩通は思いました。
(もしかしておれは、かぐやや鷹彦たちとこの風景を見たら、あのころとは何かがちがうかもしれないということを、期待していたのかもしれない)
いえ、きっとそうでした。それどころか、たしかに、あのころとは、ぜんぶがちがっていたのです。もう、摩通は小さな狐の子の風太ではありませんし、体をしばる縄もありません。摩通ははじめて、心の底から、その風景をなつかしいと思いました。