摩通と高貴の姫君
そう言うや否や、烏はくるりと向きをかえてはばたきはじめます。舎弟たちも、それにつづきました。
「おい!」
おいてきぼりになりかけた摩通は、いそいで追いかけながら、声をはりあげました。
「おい、一番前のいばってる烏!」
「いばってるとはなんだ、いばってるとは!」
けたたましく鳴きながら引き返してくると、烏は摩通の耳元でばさばさとやりました。
「おいらは、鷹彦さ!」
「え、鷹だって?」
思わず聞き返すと、すぐに「失礼だな」という声が飛んできました。
「そんなことはどうでもいいんだよ。おいらはおまえのために、心あたりを紹介してやろうとしてるんだ」
鷹彦はつんとくちばしを上げました。
「ここさ」
烏の一団は、二条のとある邸宅の塀からのぞく松の木にとまりました。
「すごいな………」
摩通は息をのみました。
塀の内側は、まるで小さな山河です。庭の中心にある大きな池には、その向こうにある屋敷のかげが映りこんでいます。
「おいらが手引きしてやるのは、ここのお姫さまさ」
鷹彦は羽づくろいしながら「かあ」と言いました。
「なんだと?」
しかし、舎弟たちもそろって「かあ」と言うのです。摩通はため息をつきました。
「そんな高貴な人間に近づいて、おまえらもおれも危なくはないのか?」
「大丈夫さあ」
鷹彦はいたって自信満々です。
「なんてったって、おまえのことを見える人間は姫しかいないし、おいらたちはなれているからな」
烏たちはいつも、このあたりの邸宅をめぐってえさをとっているらしいのです。
「貴族の食い物は一味ちがうのさ」
鷹彦は、こずるそうに首をかしげながら言いました。
気をとりなおして、摩通は屋敷をじっと見つめます。
「姫はたいてい、決まってこれくらいの時間になったらあそこの縁側に出てえさをくれるんだ」
「へえ」
烏たちにはちゃんと面識があるようなので、どうやら「手引きしてやる」という言葉は信じてもよさそうでした。
「ほら、出てきたぞ」
十羽の烏たちと一匹の天狗が身を乗り出して見守るなか、鷹彦たちの言う「姫」らしき少女が、手に小さな椀を持って出てきました。
「みんな!」
姫は、空に向かって両手を広げました。鈴をふるような、美しい声です。
「ほらきた、おい、行くぞ!」
鷹彦の一声で、舎弟たちは「かああ!」と返事をすると、いっせいに飛び立ちます。
「飯だ、飯だ!」
烏たちが突撃すると、姫はぱあっと笑顔になりました。摩通は、それを見て、思わず目を丸くしました。
「こら、順番は守らなければだめよ」
少女は、縁側から身を乗り出して、椀の中身を地面にまきました。なす、魚の頭、なす、なす………
(――ほとんどなすじゃないか)
たぶん、きらいな食べ物を残しておいて、それを烏たちにやっているのだろう。摩通はそうにらみました。
しばらくは何もすることがないので、摩通は塀の上に座って、少女とうれしそうな烏たちを眺めているしかありません。すると、鷹彦がそれに気づいて、片目をつぶってみせました。
鷹彦は、少女の耳元に飛んでいって、何かをささやいたようでした。
すると、ふと少女が顔を上げました。摩通の方をじっと見つめています。
「ほら、何してんだ、来いよ」
翼を大きく広げて、鷹彦は「あほう」と言います。
摩通が縁側におり立つと、少女は一瞬おどろいたような表情をうかべたものの、すぐにつんとすましかえりました。
(やっぱり、おれの目がこわいのか………)
摩通は、ほんの少しだけそう考えました。けれど、それはすぐにやめました。いくらそう考えたところで、むだだということはよくわかっているからです。
「あなた、天狗なのですって?」
少女は、やっぱりつんとした表情で言いました。
「そうだが」
「ふうん」
あまり興味はなさそうに見えました。摩通は、「おい」と鷹彦をにらみました。烏たちは、やれやれというように首をふってみせました。
「あなた、『相棒』とやらを探しているのですって?」
少女の態度は変わりません。摩通は、もうあきらめたほうがいいかもしれないと思いました。
「そうだが」
ため息まじりにこたえた摩通でしたが、次の瞬間、飛び上がるほどに驚きました。
「じゃあ、わたくしがなってさしあげます」
両手を腰に当てて、少女は悪だくみをするようにほほ笑みました。
「――え?」
信じられません。思わず聞き返すと、少女はやはり、「わたくしがなってさしあげます」とくり返しました。
「本当なのか?」
念のため、摩通はもう一度だけたずねました。すると少女は、今までとはうってかわって、むっとしたように、顔をしかめました。
「何度も言わせないでよ。わたくしがなってさしあげますって、さっきから言っているでしょう」
あまりのことに言葉を失った摩通のまわりを、ばさばさ飛び回りながら、烏たちは「やったぜ」とさわぎたてます。鷹彦は肩にちょこんととまってくると、ばしばしと摩通の頭をはたきました。
「おい、痛いぞ」
摩通が文句を言っても、鷹彦はかまいません。
「――な、おいらたちの力わかったろ?主」
もう、烏たちの「主」になるよりほかはなさそうです。相棒も無事に手に入れることができたし、烏たちにはたくさんお礼を言わなければならないはずだったけれど、摩通はなんだか照れくさくってそうできませんでした。そのかわりに、いかにもしぶしぶというように、うなずいたのです。
少女は巻き上げた御簾のなかに入って腰をおろすと、摩通にも近くにきて座るようにと言いました。
「おい、なにしてんだ、行ってこいよ」
「いてっ」
かるく頭をつつかれて、摩通は思わず耳を出してしましました。
(あ!)
少女のほうを見ると、目を丸くしているのがわかりました。「やってしまった」と摩通はため息をつきました。
「まあ、あなたは狐なのね!」
両手をぽんと打ち合わせると、少女はきらきらした笑顔をこちらに向けました。こういう表情をするとかわいらしく見えるのはずるいなと、摩通は憎らしく思いました。
「それがどうしたんだよ」
ばつが悪いので、摩通はちょっと冷たく言いました。本当はそうするべきではないということは、よくわかっています。
もちろん、少女はむっとしたように顔をしかめました。
「どうもしません」
そっぽを向いてしまった少女を見て、摩通はまたも「やってしまった」と思いました。
「――名はなんていうんだ」
おずおずとたずねると、少女はちらりとこちらを見やりました。
「十三歳のときに『なよ竹のかぐや姫』という名をもらいました。『かぐや』とだけ呼んでくれればいいわ」
「わかった」
おとなしくうなずいた摩通のほうに向きなおって、かぐやはつんとすましかえりました。
「あなたの名も教えてよ」
「おれは愛宕山太郎坊の弟子の摩通だ」
かぐやはじっくりと摩通を観察したあとで「自分の名より先に師匠の名を出すなんて、自分に自信のない証拠だわ」といやみっぽく言いました。
今度こそ、摩通は言い返したいのをがまんしました。この相棒とうまくやっていくには、気位の高いお姫さまのきげんをそこねないようにしなければならないのだと気がついたからです。