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【第二話】悪役令嬢は精霊に逢う



立食を強いられるとはいえ、子どもの足では長時間立ち続けるのは難しい。

ミネは兄であるひとつ歳上のシャノワールに連れられて、窓際に設置された休憩用の腰掛けに向かった。

上位貴族が立っているのに下位貴族が座るわけにはいかず、この腰掛けは殆ど数少ない公爵家の専用である。

下位貴族用の休憩場所は、隣の小広間に用意されているのだ。

両親は関係の深い貴族たちへの挨拶に出払ったため、ミネはシャノワールとふたりで、侍女が運んでくるであろう軽食を待つことになった。


ふと、視線を感じて窓を一瞥する。

闇夜を孕んだ透明な硝子は、シャンデリアの光を浴びた会場をくっきり映し出していた。

その中に、蔑むようにミネを見詰める瞳が。

ミネは決して気付いてはいないと装って、振り返りもせず、鏡と化した窓越しに様子を伺う。

深い因縁のある男爵令嬢ラパン=トウツは、記憶通りであるならば燃えるような(あかね)色の瞳に憎悪を宿し、そして微かに勝ち誇ったような微笑みを浮かべて踵を返した。


視線が外れたことを確認して、ミネは(おもむろ)に振り向く。

ふんわり揺れる(もも)色の髪は、今はまだ大して手入れがされていない。

この時点ではミネとラパンの育ちの差は歴然だった。


しかしここから、ラパンは目覚ましい進化を遂げる。

綿菓子のようなふわふわの髪、マシュマロのような白い肌。

少し垂れ気味の瞳は大きく潤んで、瑞々しい苺のよう。

サクランボのような艶やかな唇は、吸い寄せられるような魅力を持っている。

細身でか弱い印象を受けるためか、護ってあげたくなると誰もが言う。


そしてデビュタントを迎えるまでは一年に一度しか登城しないにもかかわらず、リオンとラパンは着実に惹かれあっていくことになる。

ミネより一足先にデビューしたふたりは、まるで婚約者同士であるかのように様々な夜会に一緒に訪れていた。

その噂がミネの耳に入るのは、十五歳で仕上げ学校に進んでからである。


貴族の令嬢は、ほとんどが自宅に家庭教師を呼ぶ。

読み書き計算、歴史や音楽、ダンス、マナーや社交術など、さまざまな分野に渡って教育を受ける。

それは高位貴族になるほど濃密で、下位貴族やあまり裕福でない貴族ともなると家庭教師が呼べず、領民たちが学ぶ民間学校で平民と机を並べることもある。

しかし、デビュタントを迎えると社交も貴族の義務のひとつとなるため、強制的に王立の“仕上げ学校”に通うこととなるのだ。


ちなみに令息のための幼年学校は別にある。

デビュタント前の、その学年度中に十三になる歳から十五になる歳の少年が対象で、教育内容は令嬢たちとほぼ同じ。

仕上げ学校は男女共学で王都にあるため、王都内に屋敷を持たない辺境の貴族子女は、男女に分かれた学生寮に住まうこととなる。

仕上げというだけあって、貴族としての教養、マナー、社交、全ての総まとめを行う学校で、その学年度中に十六になる歳から十八になる歳の全貴族子女が対象。

在学中に婚姻を結ぶ者もいたが、基本的に退学はできない。

かつては妊婦の学生がいたこともあった。

最近では皆無に等しい。

ミネの婚姻は、卒業後に予定されている。


ミネは八歳で第一王子の婚約者となったため、通常の淑女教育に加えて王妃教育もこなしていた。

元来の性格が真面目であったことと、高貴な生まれであったことが災いして、必要以上に完璧を求める令嬢となってしまった。

それは何度生涯を繰り返しても同じで、休むことなく――敢えて免れるために疎かにした七度目の時を除いて――手を抜くことなく、常に真剣に取り組んできた。


だからこそ、許せなかった。


はっきり言ってしまえば、ラパンは見た目が良いだけの女だ。

教養はない、マナーもなっていない、爵位も低く王子妃としての後ろ盾としては旨味がない、そんな女に最愛の婚約者を奪われたのだ。

建国記念日の婚約破棄から、王家が婚姻を予定している日までは約半年。

それまでの間に、ラパンがミネほどのマナーと教養を身につけることができるとは到底思えない。

それでも強行しようというのだから、心底馬鹿にされている。

それどころか、自分の味方は誰もいない。

学友だけでなく、王族も、兄も、両親ですら、ラパンを好む。


冷めた目でラパンを見送ったミネは、兄のシャノワールに声を掛けた。


「お兄さま、少しお庭を見てまいりますわ」


今まで十回分の人生を過ごしたが、今回初めて思いついた行動。

この会場から抜け出したい衝動に駆られたミネは、甘えるようにシャノワールを見上げた。


「え?ひとりでかい?」


「ええ。ここから見える位置…あちらの瑠璃茉莉(プルンバーゴ)の辺りまでしかまいりませんわ。ねぇ、良いでしょう?お兄さま」


シャノワールはちらと庭先に目を遣り、手摺を飛び越えればすぐに行き着けるであろう明るく照らされたその場所なら――と、ミネに言い含めて許可を出した。


「すぐに戻って来るのだよ」


「はい、お兄さま」


にっこりと微笑んだミネは、楚々とした足取りで会場を抜け出した。


男爵令嬢のラパンは挨拶の列に並んでいる。

壇上にはまだ他の公爵家が見えるから、男爵家の順番はまだまだだろう。

ましてや彼らは男爵家の中でも最下位。

そのため、列の最後尾である目印としての役割を担い、最初からずっとそこに並ばされている。

自分たちの順番になるまでは夜会を楽しみ、登壇直前に列に割り込んで来る高位貴族も多いから、この後もどんどん列は伸びるだろう。

ミネから見れば祖父母にも見える夫婦に連れられているが、ラパンは男爵夫妻の遅くに出来たひとり娘だ。

甘やかしすぎてしまった――と、何度目かの人生でトウツ男爵がぼやいていたのを思い出す。


「ええ、本当にね」


誰に言うともなく独り言ちたミネは、目の前に拡がる瑠璃茉莉をそっと撫でた。

さわさわと揺らめく薄紫の品種はブルームーンとも呼ばれ、月夜に(きら)めくそれは普段よりも光を反射して、庭で明るく輝いているようにも見える。

手前の樹高は低く八歳のミネの胸程の高さで、奥に行くほど高くなり、その先に何があるのかは見えない。


ふ――と、誰かに呼ばれたような気がした。


瑠璃茉莉の枝の先端はやや蔓状になっており、おいでおいでとミネを(いざな)う。

会場の方に目を遣ると、シャノワールは友人と出会ったのかお喋りに興じていた。


――少しだけなら…瑠璃茉莉が見える場所なら良いわよね。


躰は子どもだけれど、もう百年も同じことを繰り返している。

精神的には大人なのだから――と自分に言い聞かせ、ミネは誘われるままに歩を進めた。


瑠璃茉莉を抜けた先にあったのは、森だった。


振り返ると、何故か瑠璃茉莉が消え、王宮も見えない。

森の中の丸く(ひら)けた場所に立っていた。


「ここ…どこ…?」


突如襲われた不安に、ミネは震える。

右も左も分からない。

どちらへ進めば良いのか、戻れば良いのかも分からない。


「お兄さま…」


ついさっきまで大人だと思っていた心が、急に子どもに戻ってしまったみたいに脅えている。


「お兄さま!!!」


それでも下手に動いては余計に危ないだろうと、来たはずの方に向かって叫ぶ。

木々に反響した声は、虚しく暗闇に消えていった。


『おいで』


どこからともなく、不思議な声が聞こえる。

聞こえるというよりは、頭の中に直接響くような声。

うなり声のような低い声と、非常に甲高い声のふたつの音を同時に発声した、喉歌(ホーミー)のような声だった。


「誰?!」


『酷遇されし子よ』


恐ろしさよりも優しさに包まれるような、そんな不思議な声が森の奥へと誘導する。

ふらふらと歩を進めれば、鉄格子のように閉じられていた木々が見る見る内に路を開けてくれた。

一歩、また一歩と、声のする方へ進む。


『よく来てくれた』


先程いた場所よりも、更に拓けた場所に出た。

中央に、ミネの背丈程もある大きな紫水晶(アメシスト)が鎮座している。


「これは…」


月明かりを浴びて怪しい光を反射するそれは、瑠璃茉莉の輝きよりも神々しく煌めく。


『さぁ、(われ)の元へ』


「あなたは…」


声は紫水晶から聞こえていた。

男性なのか女性なのか分からない、それはとても神聖な存在のような気がする。

ミネは恐る恐る近付いた。


まるで触れて欲しいと懇願するように、紫水晶はミネの顔を映す。

それはいつしか、十八歳のミネの姿に変わっていた。

鏡に触れるように、ミネは紫水晶に手を添える。


『吾は迷いの森(シィミィスンイン)の精霊、ツゥスウェジン』


ミネの手が触れた瞬間、紫水晶は人型に姿を変えた。



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