サウダージ4
電車に通勤を変えたから、あんな風に繋がるようになっていったのだと思う。こんな心持ちが、未だわたしの中に残っていて、それを手繰った先に、保育園に入ったばかりの5歳児のわたしが待っていた。
この4月に異動になった。この齢になると、毎度3年ごとに職場は変わる。同じ組織の同じような事務職の仕事で、同じネットワークシステムを使っているから、8割がたは同じ様に進めていくだけだ。
残りの2割は、周りの人たちが変わることと、通勤が今までの海岸道路を西にまっすぐだったのが、今度は山に向かってひたすら南下していくことだ。
2割なんて嘯ぶいたが、周囲からの完全なアウエー感は否めない。2週間たつのに、身の置き場の違和感は未だ離れて行かない。
そんな余所者感が拭えない身のかたちが意識させたのだろう、せっかくだからと、ここ数年来の遠距離通勤を車からはじめて電車に替えてみた。
家から此方の駅まで、向こうの駅から職場までが、各々1.5キロ。駅に挟まれ電車でいる間は、乗り換えがあったりなかったりで50分から1時間10分。仕事都合の帰り時間のまちまちをいれても片道は、1時間半から2時間になる。
車なら1時間だから、無理矢理とまでは言わなくとも、時間の利便性だけ考えると、少し間延びした格好だ。
それでも、わたしは軽やかだ。車に慣れた4場所12年間から、バス通勤の本社勤務だった三十代を思い出す。満員電車で立ったまま眠ってた高校、大学時代を思い出す。
12年前に戻ったのは妻も同じだ。
この12年、23年乗っている1台しかない自家用車をわたしの通勤に占有され、買い物もお出掛けも、徒歩かママ友の軽自動車に便乗するかしか手がなかったのだ。
やっと、帰ってきたマイカーに12年前よりももっと若返ったような感じがする。
それのせいではないだろうが、妻のウオーキングが復活した。
朝食を一緒にすませたあと、出勤するわたしに同伴して、駅までの往復を朝の日課にした。わたしは駅までは片道だから1.5キロだが、妻は往復の3キロだ。「あとは朝ドラに間に合えばいいだけだから」と、30分かけてゆっくり帰るらしい。戻りの道を変えたり、通学路が賑やかになる小学校前まで出張るなどいろいろ楽しんみを浮かべてる様子が帰る背中に見えている。
そんな日が、5日続いた。
わたしの身体も慣れた。3週間たてば、前よりも小さくなった所帯の25人の名前と顔と外面くらいは大概を把握した。
いつまでもアウエーなどと嘯いては居られない。もう、そんな、たおやかな目でこの顔を見てくれるひとなどは居ない。そんな齢ではないのだ。
現実に慣れているのだと言い聞かせて、そうなっているものだからと、腋が甘くなっていたのだろうか。ふっと、あのときの、50年前の、寂しかった、切なかった、やるせなかった感じが、たったいまのように、込み上がってきた。
妻の背中はいつもどおり、軽やかに遠ざかっていく。
背中を向けたあとは、わたしのことなどはもう目にないのだ。さっきは、さらりだったけど、この角を曲がった先にある木蓮の花をもっとじっくり見つめなければいけない。朝ドラが始まる前に、昨日の終わりのセリフでハッとしたドキドキがくるようにテンションを手前まで戻しておかなきゃいけない。送りに出かけるときは、すやすやだった妹の小夜子がそばに誰もいないのに気づいて大泣きしているかもしれない。最近、太って身体の自由がきかなくなったお姑さんが、言いつけたい用事を勘定して手ぐすねを引いて待っているかもしれない。
保育園の出入り口で、山口せんせいにバトンタッチしたあとのおかあさんの後ろ姿がくっきり見えた。
5年前80齢で亡くなった母の50手前のすたすたした足取りが聞こえる。あの頃、生まれて1年にならない妹の小夜子とリュウマチの痛みが何よりも先にくる一人娘で婿取りだった婆さんに囲まれて、母さんは大変だった。
でも、わたしは寂しかった。切なかったが、手のかからないお兄ちゃんを自覚していたから、何もわがまま言わず、山口せんせいの掌から離れなかった。
こんな整理整頓のついた言い訳ではなかったはずだが、5歳児には5歳児なりの理由を身にまとって涙を見せなかったはずだ。
小学校にあがる時分には、近所でも評判の利発な子でとおっていた。なぜそうなったか、大人になったわたしなら、あのころのわたしに教えてあげることはできる。
でも、今朝のわたしは、あのころ抑えていたあのときのわたしに同じ様に寄り添える。
寂しかったろう、切なかったろう、やるせなかったろう。
改札を通ったわたしは、周りが違和感を感じて寒々するのを厭わずに、ひとすじだけ泣いた。




