サウダージ2
だみ声の歌手が出てきた。
いまと違ってハスキーボイスなんて呼ばなかった一世代前のひとなら、似ていても似ていなくても「ものまねやります」といったら、浮かんでくるのはたいがいこの歌手だった。
それが、その歌手の子供時代で現れる。
あたりは暗く、その先の四角く切った映像だから、その歌手を冠した○○少年物語とでもネーミングした映画なんだろう。当時は、話題だけで制作が進んでいく映画が数多くあった。
そのシーンは、わりと肝になる冒頭だ。
夕暮れのなかで、ひとりその子がいる。思春期に入りたての少年の憂いが、あのものまねの歌いだし、顔を下に向け重たい翳りの空気感を溜めてるあの緊張感と重なる。BGMを流すなら、その曲をおいて考えられないが、それが流れたら、これから始まる2時間が、10分で終わってしまうコントの様相を帯びてしまうだろう。制作現場で、周囲でそんな雑音が混じったら、どんな監督だって「そく却下」だろうなと、要らない余計が横から挟まってくる。
もといして、その子を見ると、秋の深まった夕暮れに、濃紺のサージ生地で拵えた半ズボンのままだ。晩秋のなか、起毛していない濃紺のサージ生地の光沢が寒々しい。それも、思い切り股丈を短く吊りあげた仕立てで、太股のみっしりした感じが剝き出しだから、見てるこちらが寒くなる。でも、その男の子は、そんなのはどうだっていいのだ。こうして、こんな格好のままここまでやってきたかのに晩秋の寒々は、乾いた寂寥感のどこも埋めてくれない。
半ズボンばかりでない、そんな子のそんな寒々を見ていたら、だれだって胸のあたりを熱くする。
まっくらで見えないが、きっとほかの誰もが、胸からこみ上げるその湿った感じの温かさで、つっかえつっかえ、あの歌を口ずさんでるんだろう。
男も女も、老いも若きも、あの男の子の浸ってる、苦さよりも甘酸っぱさが先に立つ時の移ろいを挟むだけの齢を重ねたのであれば、あの頃の声できっと口ずさむ。
だから、流れてきちゃ、ダメなんだ。
あの男の子の代わりの声優を使ったり、ましてや本物の歌手本人に歌わせる現実を持ち込んだりしちゃダメなんだ。
うたってるけど、きこえない、自分だけの声。
それは、今だけなく幼い日だってけっして聞いたことのない声。もう戻ってはこない、あの日あの頃と振り返ったときにやってくる声。
だから、このシーンに歌はいらない、声はいらない。




