過渡期のピクニックみたいな映画館で
次の仕事の引き継ぎにモバイルPCを持ち出して、その仕事が早く終わったからと、いつものクセで午を過ぎた辺りからおサボりしたから、こんなものが出てきたのだろう。
3館が並ぶ映画館に行った。
ショッピングモールの中にあるが、いまのシネコンとは違い、スクリーンごとそれぞれが映画館として独立し、入り口のカウンターでひとが立っていて、映画の途中からでも、チケットや現金を通して中に入る仕組みの頃だ。
7階のフロアを全て間仕切りするんなら、いまのシネコンスタイルの方が理にかなってると思うが、わたしが学生の時分だから、そこまで縁が切れずに過渡期の仇花のような映画館だった。
おサボりして、東京のミニシアターでやってるようなレトロな映画を掛けてるシネマ3に入いる。
タルコフスキーとかヴィスコンティとかの
そうした少し重めで長い、気を張ってないと午下がりの柔らかな夢の中に溶けだしてしまいそうな映画の掛かってる暗闇に入るつもりでやってきた。
ところが、少し様子が違う。
暗くて、はじめは分からなかったが、ゴザが敷かれ、皆んな、おもいおもいにその上で寝そべっている様子だ。ヴィスコンティとは違うポリポリした音も聞こえる。やっと暗闇になれた目で見ると、旅館の客間に入ったすぐのところに掛けられ、あとで階下の売店に行くと、同じものを値札を貼って売っているような健康グッズで背中を掻いている。ワイヤーを?マークにしてツボ先と持ち手に木を配ってるアレで、背中をポリポリする音が充満してるのだ。
この辺りでさすがに「違うだろう」に、気づく。
スクリーンを見たら、むかしの新東宝がやっていたエログロなやつだ。出てる女優もヨーロッパ調のかつらを被った洋装なのだが、さっきまで日本髪だったかつらを巻き髪にとっ替えただけの感じがして、腰を絞った白いフリルのドレス姿もまだその中に赤い襦袢を巻いてる生活感が浮き出て、ボディの割にはエッチな感じが伝わってこない。こうしたちぐはぐなさも過渡期ならでは、か。
そんな斜に構えた場違いが醸し出され、辺りに漏れたんだろう。「おんなへの見立てが、そんな一本調子とはなぁー・・・・あまいなぁ、にいちゃん」と、男の野太い声がする。襟元からきっちり剃りあげた角刈りでエラの張っているそうした男の声だ。
ゴザに散ったお客の方からではない。
スクリーンの天知茂が、ほかの役者たちの透き間をぬって、わたしに忠告してくれているのだ。「あんたは隣のお客だ。とっとと自分の履物みつけて、ここから出ていきな」と、かたき役の遠藤太津朗の青龍刀を躱しながら、あの冷たい流し目で見えを切った。
芝居の流れを壊さない小言のおかげで、無頓着なお客はお楽しみの腰を折られることなく、わたしの方は自分のサンダルを探し当て、とっとと隣の映画館に移ることにする。
過渡期だからか、此処も其方も同じメガネの同じ顔したもぎりのおばさんは、気配を変えずにわたしを東京のミニシアターの方に素通りさせた。
中は明るくて、まだ始まっていなかった。
彼方と違って、何かしら匂いそうな湿り気を帯びてる感じは微塵もない。お客は皆んな朗らかだ。ガーリーを装った二十代三十代の女の子たちが横にバスケットを置いたピクニックみたいだから、同じゴザ敷きでも感じが違う。わたしも、スーツ姿とは場違いなサンダルを脱いで几帳面な体育座りして始まりを待つことにする。
彼女たちと違って、ひとり仕事をサボったわたしには、話しかける相手は誰もいないから明るい館内の四方八方をきょろきよろ見渡すより仕様がない。天井の縁には天窓まで切ってあって、これから映画を掛けるような趣きは欠片も感じられなかった。
スーツ姿の場違い姿から、大切なことを思い出した。
仕事の相棒のブリーフケースとその中のいろんな秘密のデータの詰まったパソコンを彼方の方にほったらかしのままなのを思い出す。
やっと、自分の身の丈にあった事柄を思い出し、じっとり汗が流れる。
もしも、あれを失くしたことがバレたら、本社の3階に呼ばれ、査問会議だ。
事柄の重大さに身体が固まり、わたしはまだピクニックみたいな中でひとり浮いてる体育座りをやめようとはしない、出来ないでいる。
そんななのに、天窓から注ぐ春の陽光は、茜色の眩しさを辞めようとはしない、
そんなときだった。
「世話ぁ、焼かせるなよ」と、かつらを外してインナーキャップだけになった天知茂が、ブリーフケースごとわたしのパソコンを持って来てくれた。スクリーンを抜けた大スターのお出ましに一喜一憂してるのはわたしだけで、女の子たちは茜色を浴びたピクニックから一歩たりと出ようとはしない。
ほんとうに、此処は天窓から茜色の陽光を浴びるためだけのピクニックみたいな映画館だと思った。




