そういうこと
むかしの路地の家だったが、今朝は相棒がいた。
相棒といっても年上の四十前の男で、格闘系かラグビーでもしてきたようないかつい身体をしている。だから、わたしは、なで肩で色白の三十にも満たない腹ばかり下している小僧だった。
いつものように下腹を押さえ、まだ汲み取りだった共同の便所の戸を引くと、向かいの戸をその男が同時に引いたところだった。その長屋の便所は隣同士がひとつを分け合って使う習わしで、それでも同時に引いたのは幼いときからも含め滅多にない。
それを、お隣でもない、初めて見る他人のごっつい男とばったりをしてしまった。
よほどわななき引きつる顔をしていたのだろう。男は、鍛えた肉でそのまま覆ったような顔の表情ひとつ変えず、引いたドアを閉め、私に先を譲る。
わたしのひとりは長くは掛からなかった。
押さえた下腹から掌を離したらそれは一気に流れ、今とは違いそのあとの水を流す動作も要らぬ汲み取り便所だから、便器をまたぐような間で向こうの戸を引いて、再び表にでる。
男の姿がまだ見えた。
四軒先の長屋の前で、すぐにでも表通りに出張る間際だった。顔は表情を見せないままだが、こころなしか先ほどの私と同様の下腹に掌を当てる仕草が見つかる。
「おーい」と呼び戻したら、いいのだ。
さっきは譲ってくれてありがとうと声を掛け手を引き寄せてあげれば済むだけのことなのだ。・・・・でも、それが出来ない。
きっと、男はもう表通りでタクシーを拾い別の場所を探さなければいけない処まで来ているはずだ。下腹を押さえてる仕草を見れば、それは一目瞭然だった。いつも腹を下してる自分が、我慢してる男のあぶら汗を一番に分かっているはずなのに。
でも、それが出来ない。
男はもう表通りへ過ぎている。それを見て、もう何も出来ないと安心している自分がいる。
大人に近づくとは、そういうことなのだ。
相手が自分よりも小さく弱い存在であれば、なおのこと。なんの衒いもなくそれをする。それが大人だ。わたしには、それが出来ない。分かっていても足が出ない。出そうとする足をもう少し我慢すれば、もう何もできないと安心できるいつもの処が待ってからと囁くヤツがいる。
三十の小僧や四十のラガーマンより齢を重ねても、そういうことが出来ない私が居る。




