30円の商品券
「串焼きの方は、もう全部売り切れですか」
これでも、かなり穏やかに問い返したのだ。が、留守番用に店の奥に置かれていたジイさんの口は、おチョボに尖んがっている。困ったときのお客への対応は、うなずくよりもイヤイヤよりも「ずぅーとこれ一本で済ませてきました」と、このひとの柄がビンビン伝わった。
・・・・・串焼きの、それもひとつものだけをひたすら楽しみながら飲むのもいいなぁ、ニクにナイゾウは途中でイヤになるだろうから・・・そうだ、カワだ。カワだけってのがいぃんでないか。タレ2本にシオ1本を間に挟んで、山盛りの串焼きを崩して・・・・
それを思って、昼飯を食べたあとの足でこうして10キロ離れた下町までやってきたのだ。
串焼きのガラスケースには、皮、肝の類はおろか正肉ひとつ残っちゃいない。
わたしがやってくるのを見込んだかのように、きれいサッパリと、片付いてる。
さっきまで正肉の並んでた片鱗のタレの、拭き忘れた甘辛そうな照りをみて、「夕方までに次のを焼くのか」と「いま予約すれば何時にもう一度くればいいのか」なども脳裏をかすめたが、口を尖らせるポーズを止めないジイさんに向かって、これ以上を問いかける現実がどうにも受けとれなかった。
ここまで進んでの手ぶらはない。だから、「それじゃ、モモとムネの唐揚げ一個づつ」と頼んだ。
尖りを解いて、それを待ってたように喜喜と袋詰めに向かったジイさんの手早い作業工程を見ながら、財布の小銭を丁度に集める。
「はいっ、690円。お釣りのないよう丁度だからね」
休みなんだから、ひとりなんだから、夜とか昼かなんてどうでもいいのだが、それでもまだまだ夕暮れ時には早すぎる。
きっと、思いどおカワの山盛りを保冷箱に入れたら、夕暮れ時なんて間を置いたもっついつけなんてしなかっただろうに・・・・・つくづく、うじうじした自分の柄が恨めしい。
せっかくだから、銭湯に入りにいった。
下町だって、わたしが住んでた子どもの頃に比べたら銭湯の数は5分の一、10分の一に落ちてるんだろうが、ココは毎年何か新しいことを取り入れて、かび臭い古めかしさを感じさせない。サウナの無いのが難点で、川向こうにあるもう一つの下町の数件にはそれがあるのだが、サウナを付けた以外に目新しさを目指す心意気はなく、お客の方もしょげたジイさんかタトゥーに毛の生えた刺青が目印のようなヤンキー崩ればかりだから、そちらにはあまり足は向かない。
のれんを潜るといつもどおり明るいホール形式に直した湯上りスペースに、地元客半分遠方客半分の湯上り客が適度な距離を保ちながら、番台猫の鶴丸を正面において噺を廻してる。
鶴丸はメスだが、名付け親だという先代がお江戸修行のときに可愛がってもらった辰巳芸者の名前をそのままつけたのだという。もっとも、そんな出来過ぎたはなしは、この番台猫の周りにはいくつも転がっているが。
「あれっ、鶴丸。今日は外へブラブラいかず、ちょこんと番台の置物みたいになって・・・やけにいい子じゃないか」
「おまえ、瘦せたんじゃないの。なんだか、小っちゃく、やつれちゃった感じ」
「違うわよ、ただの毛の生えり替わりよ。この時期のネコは皆んなこうなんだから」
「それにしたって、さっきからじぃーとお客の方ばっかり睨んで・・・愛想がないったらありゃしない・・・人相まで悪くなって、サ」
「猫に人相なんて、変なの。でも、こんなときなんて云うんだろ・・・ネコだから猫相。字の方は浮かぶけど、コれっ、なんて読めばいいんだろ」
爺さんか婆さんか分からないバアさんたちの噺の廻しは御詠歌のように続いていく。
「お客さん。面倒でもお金、そっちでお願いします」
午から夕方前まで番台にあがってる若女将さん風のその女は、気の毒そうにわたしに割引券と一緒に出した300円を突っ返し、そちらの方を指さす。
すぐに、こちらが「気の毒そうに」と気付くほど、その言い草は何度も繰り返した跡が口についていた。なんだか、さっきのおチョボに口を尖んがらせた留守番用のジイさんが後ろから出てくる気がする。
若女将さん風の女の人差し指は、券売機を指している、足台を入れても小学三年生の背丈ほどの導入したばかりの小さな券売機。
今年の新しいことはコレなのだと、すぐに納得する。
今年は、風呂の方でもアメニティの方でもない処に新しいことのお金が費やされたのだ。
と、すぐに、納得した自分の素直さが少し苛立たしい。
ブーメランのように戻ってきた苛立たしさを抱え、券売機に300円を投入する。
通常はこの春30円値上がりした480円なのだが、割引券を使うと270円で入れる。財政がキビしいキビしいと、ことあるごとに市長に言わせてる地方の中小都市なのだが、こと銭湯の割引券制度の建つけにはメスが入らない。一回210円の差額のついた割引券は、毎年、差額の金額と月ごと4枚綴りの計48枚は、ずっと健在している。
300円を投入する。
券売機は300円で買えるものすべての黄色いランプを光らせる。メインの上段の入浴料金の並んだあたりで小人80円中人170円の横に150円割引券ありの方の説明の入った270円が見つかる。縦7列横5列の券売機の四角いボタンの下段には、シャンプー石鹼の100円に牛乳やミックスジュース150円の表示があって、一緒に光っていた。
入浴料金270円の割引円お持ちの方用のボタンを押すと、ラーメン屋の食券と同じザラザラしたドット文字の印刷された入浴券が出てきた。
が、30円のお釣りが出てこない。
お釣り用のボタンを押さないと出てこないタイプかと探したら、返却と一緒に(おつり)とかっこ書きされた、押すと少し痛いくらいに細長いボタンを見つけた。見つけたらそのまま押せばいいものを、ためらわせるものがある。
それと一緒に、一番下段のボタンのひとつが黄色く光っているのだ。
余分な白紙表示のままと思っていた下段に、白抜き文字の隙間から黒縁した黄色で商品券30円が浮かんでいた。跪いてみると、余分の白い余分が並んでいるだけに見えた下段の二列は、どれにもうっすらの白抜きが施されていた。30円で光ってるのが左からの2番目で、一番端は20円のように伺える。
20円、30円、50円と続いたあと、次のくらいにとんで420円、330円、・・・・・520円、920円と、百円玉、五百円玉、千円札を投入したあとの各種料金のお釣りと符号する数字が並ぶ。メニューが少ないから4×3にしたラーメン屋の券売機だったら下段がこんなに余らないのに、7×5を入れたから、余ったままはもったいないからと考えつく全ての金額の商品券をぶち込んでしまったらしい。
そして、最後は、9,920円。
小人がひとりで壱万円札もって風呂に入いりに来ても、ちゃんと対応出来る用意までされていた。
体温が近づいて、ひとの気配に気づいた。
跪いたわたしのすぐ横に四っつに折りたたんだ壱万円札を解き戻して、券売機に入れようとする5歳児がいる。
「おじさん、はやく押してよ。うしろ閊えてるんだから」
閊えてるを漢字で使えるしっかりした仔に催促され、あわててお釣りではない下段のボタンを押してしまった。
入浴円と同じくザラザラしたドット文字で、「30円商品金」が出てくる。
それを合図に、5歳児は券売機に壱万円札を入れた。
券売機のすべての黄色のボタンが発色し、見まごうばかりの明るさに輝く。
5歳児は毎日やってることを繰り返すようだった。見まごうばかりの輝きをしばし眺めたあと、ボタンをふたつ押す。しっかりした5歳児だから、「はやく押してよ、うしろ閊えてるんだから」なんてぶざまを披露する心配はいらないのだ。
ザラザラしたドット文字で2枚が発券される。
80円の入浴券
9920円の商品券
入浴券は番台の若女将さん風の女に渡された。そして、「いつも・・・ありがとね」とわたしも含め周りに聞こえない小さな声でその仔に耳打ちした。
しっかりした5歳児だから、そんなやりとりがあったことなど世間にバレないように、若女将さん風の女のお愛想を受け流し、男女別々に別れた入浴場の「殿方」を白抜きした青い暖簾を潜ってさっさとその後ろ姿を消してしまっていた。
わたしにはそんな粋な真似なんぞ出来る素養も義理もないから、財政の厳しい市が発行してくれた割引券と270円の入浴券、それに30円の商品券を添えて若女将さん風の女に渡す。
「手間かけさせて悪いんだけど、お釣りのボタン間違えて商品券の方を出しちゃったんで、これっ、現金と替えてもらえますか」
若女将さん風の女の額に「いいオジさんしてるくせに、やれやれ、なんてひとだろうね、このひとは」の剣吞が現れる前に、覚めた。




