千円札に縫い付けられた315円
その店の入ってる街は特定できた。六番町だと思う。
店舗のはじまりが赤と金で意匠を整えた中華雑貨の置かれている、あの辺りだ。自動車やバスでなく黄色い自転車で乗り付けたから、店の真ん前まできて留め場をキョロキョロ探し、それから店に入った。
その時点で財布を持ってこなかったことに既に気付いている。
気づいてはいたが、何とかなるだろうと、自転車の留め場を探すときのキョロキョロさえ起こらない。こんなに細部に至るまで設えが整っているんだから、きっと、いつものように携帯ケースに千円札2枚が入ってるのもちゃんと付いてきていると確信している。
「いつもの」という感じで、店の主の背中越しに陳列されてるくぐもったプラスチックの容器を指さす。
ひとむかし前の醬油さしのような容器だが、もっと細部に近づけば会津の民芸品の「おきあがりこぼし」のような底部のお尻がずんぐりもっこりにも見え、その容器にその飲み物は入れられている。
店のひとの指が、ひとつ、ふたつと尋ねたので、無言のままVサインして、ふたつと応えた。
ひとつ305円だから、ふたつ貰った。
一気にゴクゴクする清涼飲料水なら高いが、リキュール系の甘い酒の混じった蓋を閉じながらチビチビする類だから、意外と安いのだ。帰ったらすぐに封を切って1本飲み始めても、もう1本の方は手を付けずに手の届くところに置いておける。それが嬉しかった。
どちらの千円札にも315円が縫い付けられている。
それを剝がし、どちらの拾円玉も落とさないように気を配りながら305円ずつ店の主に渡す。チビチビ飲めるのを2本買っても千円札は崩れていない。拾円玉だって、ふたつ裸になって戻ってきた。それも嬉しかった。
千円札に315円を縫い付けたのはわたしではない。母なるひとの掌がそれを縫い付けたような気がする。そんなしんみりが脇の下の奥から混ざってくると、急に辺りは背高ノッポに、わたしは小さく幼い存在に戻っていきそうだ。これから帰って蓋を開けてチビチビなんて出来ない年頃にまで戻ってしまうだけは勘弁してほしい。ここはグッとやせ我慢しなければ。ここのお菓子の家で買いたいものは山ほどあるけれど、それもやせ我慢しなければ。
さすがに縫い付けたひとの掌は横へはやれない。無駄遣いはできないのだ。




