ひざの軟膏が割れたら、出てきたのは渦巻きした尻の穴だった。
ひざにひざを重ねた寝相で固まっていた。
誰かに乗しかかられるのを必死になって庇っていたのだろう。だから、そんなかたちが現れてきたのだ。
怪我で臥せってるでないのに、起き上がれずにいる。ずぅーとそのままでいて、これからもずぅーとそのままでいるのが分かった。
そんなだから苦しい。起き上がれないからでなく、「ずぅーとそのまま、だから・・・」の声で囁かれるのが苦しい。いたたまれない。動かせるというのは膝だけで、右膝の下になった左膝が「重苦しい」といったら、ゆっくりくの字を書いて反転させ、今度は右膝を下に左膝を上にしてあげる。「やれやれ」なんて声が聞こえて、何かリセットする気分と一緒に誤魔化している気分の両方が混じる。
だから、あたまと顔はずっと天井を向いたままだ。
己れ以外はそこにしか向けていないから、その狭い視野のなかしか覗けない。己れの少し出っ張った腹の下さえ覗けない。やれやれは聞こえてもくの字を描く脚の様子は見えない。
かたまったおひとの身体とは、まるで小さな一合升の中に住んでるようや
横伏し仰向けのひとが何人か浮かび、そう囁く。先にそうしたかたちになっている先人たちは、あたりまえような洗練に身を慣らしている。
わたしにはそんな洗練はまだまだ先だから、見えない両膝の痛みが見えてくる。
両膝の肉が、腱が、外され、しまっていた軟骨がはみ出し、ぐずぐずほじほじされ、なかの蜷局を、渦巻を、見せてくる。
むかしのラーメンで見かける輪切りなったナルトのような、むかしのギャグマンガで見かける笑顔を拵えるほっぺのような、白地にピンクの渦巻が蜷局を巻いている。
くの字を描いているのは、きっと、イヤイヤの仕草なのだ。
だのにイヤイヤしながら見せてくる。見えないのをしって見せてくる。
こちらが背伸びなどできないのをしってるから、さかんに足をばたつかせえる。誘おうとしたいのか長くて白い女の脚に化けてまで、さかんにアプローチする。
それがどちらも左脚なのだ。
右から左、左からの右の寝相を変えるモゾモゾした膝の組み換えの脚はどちらも左脚だ。むろん指のついた足の先が見えてるわけでないが、自分の脚だもの。それくらいは間違えっこない。
間違えっこない自分の脚だが、どちらも左脚なんて・・・・はらから下半分はもう己れではなくなっている。
そう思ったら、渦巻の蜷局が尻の穴に変わっていた。
尻の穴が浮かんだから、そうなったのかもしれない。「あんたじゃない、久しぶりのあたしの穴なんだから、もっとよく、みたいでしょ」と、囁きは形状の異なる穴を持ったむかしの女の声に変わっている。
気味が悪い。変わっていくのが気味が悪い。自分なのに己れでない身体は気味が悪い。
他人のせいでバラバラにされたわけじゃないのに、いまでもちゃーんと繋がってる身体なのに、そんなつまらないこと考えるのやめなよと諌める声が聞こえて、覚めた。




