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種を播くひと

 小さないたずらをした。いたずらの範疇にも入らない、そんな呼び名で例えることすら恥ずかしい小さないたずらである。

 久しぶりの雨だった。家でも職場でも降ることは前の夜から分かっていたから、眠る前に、先ほどまで豆腐の入っていた少し丈夫な空き箱に水を浸して、保存()っておいたその中から片手で掴めるだけ入れて攪拌(かくはん)する。悪いやつはすぐに浮いてくるので、すくうようにむしり獲り、すっかり夜更けになった窓の外に放り投げた。運が良ければ、悪いやつでも同じように顔を出すかもしれない。

 翌朝、いつもより30分早く出て職場に向かう。3年ごとに職場は変わるが、パソコンの載ったデスクと書類はあまり変わり(よう)はない。だから、それらの間をとおる者達との振る舞いも変わり様はない。

 それでも、移り変わりの模様替えはあっても平然とことを進めようとする不可思議さの(おり)は、この春からの2か月で均等に積みあがってきている。 ー前のときもそうだったろうか、その前のときもー  かたちに成らずに散った朝の夢のようで、今と同じくその時分も少し遠くの声が高く大きく聞こえるような違和感だけがぽつんぽつんと置かれている。それはいたしかたない。こうした生業(なりわい)に身を置くものの常なのだから。

 誰もやって来ない8時前に、いつもの駐車場所に車を停める。指定はないが、ほかと一緒でこうしたことは自ずと決まっていき、固まっていく。1時間、40キロ、始終動きっぱなしだった車窓は、手が入れられず大樹にされたプラタナスと噴水だったレンガの積み跡の静止画に移行する。

 水が干上がったあとは浮遊している土が積もって、十年単位の四季の移ろいの中で幾多の草木が根を張り生い茂った廃墟である。此処に(まなこ)を向け見るものは誰もいない。ましてや花壇として眺めるものは私だけ。

 傘をさして行ってみる、踏み込んでみる。デスクが待っている棟とは反対の動線の引かれていない途だ。零さないようにと左腕は豆腐の入っていた空き箱の水平に費やしているので、(かし)だ傘で左肩が濡れるのは二の次に、どんどん進んだ。雨は強くなる。それならそうと、シャツズボンは沁みるに任せて、豆腐の空箱の水平だけを大切に、花壇の縁にそっと置く。

 目を上げると、意外に広い。小学校にあった子供用の13メートルプールを思い出す大きさだ。凸凹に生い茂っておる草木はどれも雨粒を滴らせ、濡れ積もった土を更に湿らせていく。だから、穴などあけなくとも()いて踏めば板に(びょう)を打つように土にしっかり刺さると、踏んだ。

 ケチな力士が塩を掴むように(ふち)に置いた空き箱から十粒を摘まんで、コの字を描くように花壇の辺に一粒づつ落としては踏み落としては踏みを繰り返す。思っていたよりも大きな画面になったので、途中で足りなくはならないかと心配したが、こうした塩梅は意外に得意なようで2辺が済んだあたりで残りはちょうど3分の1になっていた。

 こんどは遠方になった駐車場所に通勤してきた同僚達の車が集まり始めている。動線に沿ってデスクのある棟に向かう同僚達の誰かがこのゴソゴソに目を止め、怪訝の顔を浮かべて近づいてきたらのドキドキは、傘など役に立たなくなった時点でもう失っていた。むしろ、この雨の中、普段着のまま濡れるに任せての地面相手のゴソゴソに、何かしらの悪行の後始末を見る目で眺めてくれたら、どんなにかの快感さえ覗いてきている。


 ー アサガオの種を播いたんですよ。頃合いになったら、むかしの噴水みたいに三面から青紫色したアサガオが毎朝お出迎えしてくれますよ、あなたに。

 たずねて呉れたなら、もうすでに履き替えなければデスクのある棟には踏み込めなくなった身体を引きずり満面の笑みで応えてあげるだろう。両手を差し出すジェスチャーをゆっくり加えながら。



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