4Hの鉛筆から削り出すような私刑(しけい)
すべての指の腹がむず痒くなるような夢だった。
私刑が加えられようとしていた。バイオレンスな拳や突んがった靴先で繰り広げられるボコボコでなく、こうなる間の諦観の入った厳かな流れで進められようとしていた。任侠映画の指詰めの重い儀式ばりはないが、する者される者ともそうした流れを共有していた。
男はどうやら片耳をやられるらしい。逃げたり抵抗できないように屈強なふたりに押さえつけられ、細身の刃物をもった方の男にそちらの部位を差し出させられる格好になっている。
耳は左耳である。利き手と違い、どちらか選んだり選ばせたりもできるだろうが、座ったあとの顔が向いた方で決まった感があった。
ふたりの男は川谷拓三に似たうつむき加減の丸刈りあたまがこうしたシーンの諦観によく似合っていた。そぐ方もそがれる方もいつ入れ替わってもいいくらいに虐げられた顔が似合っている意味でよく似あっていた。
50年近く前に流行った東映実録ものシリーズの任侠映画では、どれもこれ以上ないくらい悲惨な死に顔を川谷拓三はぶら下げた。近所の映画館に掛かると、貰った切符で親がよくそうした任侠映画にわたしを連れて行ったのを思い出す。
ませた街の子だったわたしは、親が子どもを連れて見に行く映画じゃないよなぁーと幼心にもいつも思っていた。
だから、これから耳をそがれる相手の男は、川谷拓三によく似ている。
お互い昼飯を食って、此処にやってくるまで、セットの向こう側はささくれだったベニヤ板のままの角を曲がるときまで、どちらがやるのかやられるのか決められてなかったような近しい存在だった。
手下役の若いのが、兄貴分のその男にささやいた。
「さっき、冷やしておいたんで、そんなに血は出ないと思いますよ。腕まくりすればお召し物まで汚れないと思いますよ」
手下だが、セリフのある役者だから、少し格が上なのかもしれない。冷たい残酷さを演出するため、それが付け加わった。お召し物なんて古色がかったセリフが、まだ付いてる耳がすでに剝がれ落ちそうな予感にさせる。
刃物を渡された男は、まずその役者の耳を、いや手下の耳を、一気にぶった切りたい気持ちがよぎったが、それは顔まで昇らず、やられる方の男を見いった。
「ちょっとずつ削るから、少し長くなるが、我慢しろ。その方が、あいつらは悦ぶし、傷口が粗くならない分、あとの始末が楽だから」
私刑のギャラリーにもスクリーンの観客にも聞こえない小声で話した。
やられる方の男は聞こえてるか聞こえていないかそれともそんなこともどうでもいいと思ったいるのかの顔のままだった。
やる方の男も言ったそんなセリフを言ったのをはなから忘れている顔だった。
そうした静寂のまま、私刑は始まる。
ギィーコ、ギィーコ、ギィーコ、ギィーコ、ギィーコ、ギィーコ・・・・・・
同じ間隔で同じ音が並ぶ。冷やしたのが効をそうしてるのか、やられる男の顔は歪んだまま表情は固まり、硬い4Hの鉛筆芯を削り出すように親指の腹をてこのように使うから、少しクルリの入ったた耳の軟骨が次々に削がれていく。
一瞬ではなくバイオレンスでもない単調な作業を見入らされているから、ギャラリーもスクリーン先の観客もただ黙って数を数えるよりほか術はない。
さん、しぃ、ご・・・・・・じゅうなな、じゅうはち、じゅうく。
ブレーキかかったみたいに、数える数を急に止められた。
耳穴に一番近い小指の先くらいのかたまりの小さなコリコリを落とせば、ちょうど二十を数えられたのにと、すべもなく始めた勘定ばかりにあたまのいった輩のブツクサが聞こえそうだ。
削いだ男も削がれた男も、どうせその辺のあたりだろうと同時にそう思った。
さっきまでの、セットのベニヤ板の裏側の冷たくなった配達弁当の最後のひと飯を搔っ込んでいたときの同じふたりに戻ったような気分だった。
ふたりを川谷拓三ひとりに重ねようとしたら、覚めた。




