こばりぎの祭り
こばりぎなのだ、と云う。
父が行きたいのはそこの祭りなのだと。断固として言い切られても、あやふやが切れ切れになるばかりで、そこから先に進みようがない。
全体に70年代のアングラ舞台に上がっているような四角く閉じられた中で、黒と赤のツートンの巾が瞬いている。父が言ったそこの地名も、瞬いているそのどれかの赤い巾の端の方に書かれてた記憶はあるのだが、それをこばりぎと読んだかどうか・・・
たしか、そんな風に読めそうな三文字はあった。
しかし、それは小針木であって、地名から探し当てた小張木ではない。でも、地名から本当の小張木を探し、見つけあてたとしても、父とは縁もゆかりもないそんな遠い土地がこばりぎであろうはずはないのだ。
音をじぃーと見つめ、こばりきではなくこばりぎと最後に濁音のつく重たい感じからあぶりだそうとすると、紡錘形のどっしりした、祇、宜、岐のコロコロしたかたちが見え隠れする。
ひとりそんなこんなにかまけていたら、父は勝手にひとりで出かけようとするので、慌てる。
わたしが思う見かけと違い、こんなそそくさのひとなら、きっと、幼いわたしを日和浜の海まで連れていってくれて、若い兄ちゃん達が及び腰になってる海からの櫓のように突き出た飛び込み台から何度も勢いよく飛び込んでいた四十代の父なのだ。
少し俯瞰すれば、これだってひとりかまけた妄想なのだと分かっているが、嬉しさは変わらなかった。
本当にぼやぼやしてたら、黒い巾の間から樽を二つ置いた上に寝そべってる母を見つける。微動だもしない熟睡だから楢はふたつでなくみっつよっつ小さなのを背中や尻に隠して安穏としているのかもしれないが、催眠術か何かに掛かってる硬直した身体のように本人はもう此処にはいないのかもしれない。
ー 催眠術なんて誤魔化さないで、たましいの抜けた亡みたいな・・・・
と、想いがその先まで及んだら、けつまずきそうになる勢いで涙が出そうになった。
振り返ると、父はいない。日和浜で兄ちゃんたちを蹴散らしていた四十代の父とは時代がずれているのだと気づいたら、覚めた。




