今日からオレは、お前たちの、にいさんだ、おじさんだ
いま、ちょっと、つらい。白日夢の中のよう・・・・
「おれっ、夫やめる。父親もやめる。けど出ていかない、別れる気もない」
ことがバレた昨晩のうちに、妻は号令をかけて扶養義務の離れた姉と弟のふたりの子どもまで呼び寄せ、リビングの縁に追いやったオレが逃げられないように、三隅をガードした。
それから、2時間。
妻は、
あなたってひとは、どうしてこうも懲りないの・・・・・30過ぎて初めてのとき、お姉ちゃんがまだあたしのお腹の中にいるとき、それがバレて、何て言ったの。真っ青になった顔で、土下座して、魔が差したんだ、許してくれ、もう二度とこんなことはけっしてしない、起こさない、このウチみんなの心をかき乱すような真似は金輪際しないからって・・・・と、泣き出し、あとは子供に任す。
弟は、
いくつだよ、もう初老だよ。むかしの40じゃないよ、いまなら初老ってこんな齢だよねっの初老だよ・・・・・ほんとうは、こんなことオレたち子供はいくつになったって、知ったらマズいことなんだよ、特にデリケートな思春期はマズかったよねぇ・・・・それを、姉ちゃんもオレも、母さんは相談してくるんだよ、いったい何度目なの、10回は超えてるよね。毎年1回どころじゃないよね。いい加減にしてくれよ・・・、ねえちゃん、ねえちゃんもそんな体育座りで携帯ばっかいじってないで。
姉は、
だって、もう、あたし、ふたりのこういうごたごたに体力使いたくないもん。お母さんには悪いけど、オトコ見る目がなかったとあきらめるしかないんじゃない。そうでなかったら、体力あるうちに別れちゃうか、どっちかよ。兎に角あたしは、ダメンずの反面教師としてしか、この夫婦、もう見てないんだから。
「この夫婦」は、刺さった。妻にも刺さったくらいだから、オレにもかなり応えた。何よ、アンタ、あたしも一緒の同類みたいにまとめて、もっとあたしををかばいなさいよって突っかかった妻に、姉は、ほらほらと痛手の効いてるオレを指差し、ネッと妻に向かって笑いかける。
このダークさと、どこを刺すのが一番か分かってるあたりが鏡をみるような血の濃さを感じる。
血の濃さは感じるが、初めて生まれたこどもの時からこの子を娘と思うことはなかった。可愛いし、肉親の感覚はあったが、どこか世間でいう娘を持った父親に変身できなかった。
2年あとに生まれた弟も同じだったが。今度は、女の子でなく男の子だというほか、さして変わらなかった。父親の娘と息子に対する微妙なバランスといった世間でいうデリケートなざらざらも感じることはなかった。
きっと、それは妻に対しての思いと同じなのだと思う。
つきあっていたとき彼女だった女と結婚すると、妻になった。そして女の子を生み男の子を産んだ。だけど、かおもかたちも変わっていない。齢をとって柔らかく崩れていくのは分かるが、世間でいう、妻や母親の名称の変化が彼女の変身には繋がらなかった。
それは妻に原因があるのではなく、オレの方に原因があるのだ、と思う。
いずれジジぃになって死んでいく確からしさから、齢を重ね、前と後ろの間合いを感じ取り、世間が言うところの役回りに皆んな順々に変化しているのに、服のサイズが一度も変わらなかったのをいいことに、変身せずに、いつまでも独りを捨てずに、自分と世の中のふたつの括りでしか生きてこなかった。
それが、オレだ。
もしも、人生百年であったにしても、そのうちの半分以上こんな風な男が変わるっていうか改心するっていうかは金輪際ないんじゃないのと、本当を話したら、いまさらのそんなルール違反は聞かなかったこととして、スルーされるに違いない。
身体でも頭でも絞り続けて、何かひねりなさいよ。
こうしたののベテランなんだから何かあるだろう、ストーんといかなくても、落とし前のつけ方って。
なんにせよ、あたしたちの気持ちが模様替えする何かないとずーとこのまんまだからね。
3人の視線のスパイラルはやまない。ゲリラ豪雨の水かさはどんどん積まれて、首まで到達しそうだ。このままだと息するのもおぼつかないから、・・・・・しょうがない、今回は取って置きのを出すか。
「3人とも、オレのこと、世間でいうところの夫だとか父親だとか、本当に思ってるのか」
あれ、あれっ、いつもならこのあと平身低頭のパターンなんだけどなぁ、このひと、なんか逆ギレパターンに持ち込んでないって空気が漏れ出す。
「オレっ、オーしゃんだから、ずっとオーしゃんのままだから。これから先もオーしゃんでやっていく」
それでも、まだまだ?がブロックチェーンして回ってる。子どもふたりずっと小さなときからの赤ちゃん言葉を変えずに呼んでるオレの呼び名をさもたいそうに飾って、何が言いたいのよりほか横出しは起きてこない。
妻は、うすうす勘づく気配をにじませる。唇がすこし開いて、あーとか、あっあっとかの声にならない声を喉の奥からひねり出そう、そんな仕草が見え隠れしだす。
三つの隅のひとつが緩くなってきたので、オレは一気呵成に口上を並べた。
「オーしゃんって呼び名、オレだけだろ、変わんないの。咲子はアーしゃんからすぐにママに変わって、それがシチュエーションと相手次第でお母さんやおふくろに変わっていったし、姉や弟だって、沙也加や健吾の漢字の入った呼び名ばっかりになったけど。このウチでオレだけは、オーしゃんのままなんだよ。だから、咲子はいままでどおりオーしゃんって呼ぶときは、お兄ちゃんの愛称のオーしゃんで呼んでくれ。姉や弟のオーしゃんは、オジさんの愛称だ。そうだ、咲子には兄さんふたりいたよな、二人とも結婚式のとき一度あったきりだけど。おれ、あの二人の次にしておいてよ、ちぃ兄ちゃんって感じで。で、いつまで経っても腰の座らない風来坊が時たまやってきたり、居候してるそんな塩梅で、それじゃ、これからもよろしく頼むよ」
三人は、まだまだオレの方便が耳から腹に落ちていかないので、怒涛の感情がわかずにいる。それもあとわずかだ。しかし、いまは、三角スクラムの穴は空いている。
その隙間に、
オレは、 寅さんがチェックの上着を肩にかけアバよっと粋の出ていく素振りをまねて自由が待っている戸口の先よりほかよそみをせずに出ていった。
これが、夢だったらなぁと、まだまだ沈まぬおてんとさんを睨んだ。




