いいがかり
いつもの幼い頃いた長屋づたいの小路なのだが、少し様子が違っていた。
五軒長屋はどん詰まりでなく、その先が行く手へと繋がっていて、ここに用向きのない者までが交互に素通りしていた。簾はかけているが、時折開けた窓から見知らぬ男や女のつっと先をよぎった気配がわたしのいる奥の四畳半まで届いてくる。
それなら窓など開けたままにしなければいいものを、閉めて摩りガラスにぼんやり映る通り過ぎの気配が、男と女と子どもと大人の識別より見分けられないのが気になってなかなかいつまでも閉めきれずにいる。窓からの日の当たる6畳間ならこんな中途半端などっちつかずにはならないのだが、小路から一つ奥の四畳半の影にうずくまっているから、此方は窓の外がわかっても窓の外からは此方は分からないとタカをくくってるのが悪いのだ。
ー そんなのはただの思い込みだ。こっちが分かるのに、向こうは分からないなんて片手落ちがまかり通るわけが、ねぇー
わたしのそんないくじなしに、横からピューんと小石が飛んできて、頬にあたった。そのあと、ポチャーんの音がしたから、小石は側の池に落ちて沈んでいった。
ー それほどに分かってるなら、早く閉めればいいではないかー
今度は女が言ってくる。女が男のような声で古びた言いまわしで言ってくる。
吹いていた風が変わり、雲いきがあやしくなってきたのをいいことにして、わたしは今度は本当に窓を閉めようと表の6畳間まで躄った。わざと芝居がかった真似までして躄ってるのではない。しばらく籠っていたのが災いしてか、足裏を畳に付けるのが出来なくなっていた。
そして、かたわになるのを待っていたように、戸を破り、たたきにひとが飛び込んできた。
「困るんだよね」
見も知らぬ他人の家の戸を壊してまで乗り込んできた男は、決めつけた物言いをする。
わたしは驚きよりも怒りよりもも、これからのおっくうさが前にぶらさがり、「やれやれ」を声に出してしまいそうになった。
おとこは肉太りの角刈りだった。こうした手合いは、同じ言葉の応酬を何度も繰り返さないうちは、ひとつとして先に進んでいかない。それでも、いや、だからこそ、おとこは、人差し指が指さす先にこちらが気付き視線を落とすまで、ずっと辛抱強く、次に言うせりふを待っていた。
「これっ、ほらっ、一寸ばかりたたきに出ているだろう。初めからこうじゃなかったはずだ。あんた、造作しただろう。いやいや、使い勝手がいいように造作するのを咎めてるんじゃないんだ。棚を吊るすとか、梯子段かけて屋根裏を二階家に造作するのまでが悪いって言ってるんじゃないんだ。あんたにとっては一寸ばかりだったかもしれないが、たたきにはみ出してるから、こうまで出向いてきて、言ってるんだ。野中の一軒家じゃあるまいし、この辺りの連中は皆んな限られたところで肩寄せ合って暮らしているっていうのに、己れの使い勝手だけ勘定に入れてはみ出してくる。その了見が我慢ならないんだよ」
男は、あらかじめの口上よろしく一本調子でまくし立てた。それを終えて、聞いた私の了見などそっちのけで、気分よさそうな顔でいた。
長屋の隣家の軒や小路の先ならいざ知らず、戸口から中のたたきのはみ出しにケチをつけに来たこの男の了見は、どこの世間に向かってのものかどのように巡らせても、さっぱり分からなかった。が、こうまで立て板に水にまくしたてられると、妙に筋だっているように聞こえ、どこの繋ぎ目からも割って入ることができない。そんなあれやこれやを巡らせているうち男はせっかく覚えた口上をそのあと3度繰り返し、わたしは巡らせながらも同じあたまを頷くよりほか所作はなく、とうとう「あした、大工を呼んで元の長さに切りそろえます」と伝え、やっとこの男に帰ってもらった。
それでも、戸口を閉め窓を閉め、摩りガラスに映る男か女か子どもか大人かも分からぬ人たちを見ているうちに、道理がひとつとして報いてはくれない理不尽に怒りのようなものがふつふつ湧いてくる気配を感じ、覚めた。




