ベルリンの犀(さい)
犀が出てきた。
ベルリンの動物園の犀だ。1ページに20枚くらい並んだポートレートの背景に映っていた犀だから、とても小さい。美術館の落ち着いた色合いの室内灯だけを頼りにページを手繰っていたので、老眼も多少混じっている近視乱視の眼鏡ではぼんやりとしか映らず、眼鏡をあげ、近づいて、やっと若い澁澤龍彦の後ろに犀が張り付いているのが、初めてのヨーロッパ訪問でのベルリン動物園での一コマと下欄の一括表記から読み取れた。
しかし、なぜ出てきたのが犀なのだろう。
昨日、出不精の妻を連れ出し、遠出の散歩に出かけた。少し暗がりになったバーのカウンターかなんかで、「むかし、アイドルしていたの」と丸めた声で囁けば、それなりの称賛だってもらえそうな容姿なのに、とにかく世間に己れを晒すのを嫌がる。そして、金を使うのを嫌がる。帰りにいつものバーで「わたしのおごりだから」となだめすかしてノンアルコールのカクテルを飲まなければ、お互いの水筒にいれた常温のトウモロコシ茶で済まされそうな遠出だった。
「疲れた」というのと「オシッコにいきたい」が重なって、何処か休めるところはと知恵を巡らせていたら、美術館を見つけた。公営の美術館は、連休に親子向けの企画展を開催していたから、普段とは違うテーマパーク的な匂いがしている。「入場料、・・・かかるんでしょう」と聞かれ、「常設展、企画展を見るのは観覧料がかかるけど、入るだけなら、タダだよ」と言ったら、妻はやっと安心してトイレに入っていった。わたしも行ったが先に出た。建物とセットになった建築家の椅子に座っていると、いつもよりも随分おくれて妻は出てきた。
「ねぇ、この上、何があるの」と、どこかはしゃいだ声だ。
「いやー、階上のことなんて考えたことなかったなぁ。収納庫か、事務室か、そんなスタッフオンリーの部屋だろ」
「なに、言ってるの。高階綾子ホールと図書コーナーって書いてあるじゃない」
私の方が世間に疎いように、妻は階段脇に書かれたボードを指さした。ここを建てた建築家でもない女の名前だったので、公営の施設にはこんなところまでネーミングライツがはびこってるのが分かった。
何十年と通い続けた美術館なのに、トイレを使ったあとにの建築家の椅子にだって何十回も座っていたはずなのに、お客に向けた案内まで付して、階段があることも分かった。
何十年と通い続けた美術館なのに、常設展示と企画展示を抜いた妻の方が、この美術館を熟知している顔をしている。
タダを謳歌している妻に先導され、私も階上にあがる。ホールの入り口スペースに100冊ほどの美術書を配架した閲覧コーナーが設けられていた。ゆったりした座面の低い木製の椅子が4脚、階下を見下ろすバルコニーに横一列で並んでいる。母子2名が先客でいたが、小さな女の子はすぐにあきて、そのまま階段を降りていった。
妻は座面の低い調度品のような椅子がお気に入りで、早速、鏑木清方か伊藤深水か、そういった類の美人画集を開げている。しばらくここを離れる気はないらしい。
わたしは荒木経惟の写真集を開く。こうした湿った白黒写真が好きなのは妻も承知なので、股を開げた裸の女のページが挟まってきても何も気後れせずにページを手繰る。股は開げていないが亡くなった妻の陽子さんの写真も混ざっていた。
裸の女や裸のモノたちが整然などからかけ離れ、同居し、静かにお喋りしているよう。いつも思うのだが、このひとの写真をみると、モノもひともいずれの先にもいなくなってしまうことが分かっているから愛おしいのだと、感じてしまう。
そして、寺山修司、澁澤龍彦。どちらも亡くなって何十年の節目となった回顧展と合わせたような本だ。寺山修司には、1ページ20ポイントで5首ずつ並んだ短歌をページの途中途中に挟んで、映画演劇のポスターそれに評論が記されていた。ほんとうは、なにを見ているのか分からないくらい大きな眼いっぱいの顔が、どこを手繰っても出てくる本にしたかったはずだ。何の革か分からないテカテカの原色のジャケットをとっかえひっかえ羽織っている寺山修司のポートレートが私の中にだけ出てきた。
澁澤龍彦は手繰っても、エロスやおどろおどろしさはどこにもなかった。わたしが妻と一緒になる前の独り身のころ、耽溺という飾り言葉がぴったりの古今の欲望を大釜に煮て飴細工を施すような練り込みは蘇ってはこなかった。悪鬼冷酷の冷たいカテーテルが身体をとおることはなかった。
むしろ、友情に厚く愛妻家だったこの人の持って生まれた品の良さが随所に見受けられた。装幀、ボリュームの割には頒価が3千円を切って安いのもそのことと無関係ではない気がする。
タダでお気に入りの場所を見つけた妻に付き合い1時間以上その図書コーナーにいた。しかし、わたしの体感は、その程度に表面面だけの軽く浅いものなのだ。
それなのに、それだけなのに、巻頭に掲げられた澁澤龍彦を語る年表のようなポートレートの2センチ×3センチの20枚の中の、その背景で写っているだけの、このごみごみとしわくちゃなものはなんだろうと眼鏡をあげ一べつしなけばあ、犀であったことさえ気付かなかった犀だけが、なぜ、わたしの夢の中にまで顔を出してきたのか。
目が覚めてから、ずっと気になり、深夜二時から3時間、ネットまで駆使して遡ってはみたが、いっこうに落ち着くところは見つからない。
出不精なのに正しく楽しく昨日を過ごした妻は、すでに冷えてしまったわたしの布団の横で、まだ、眠っている。




