浴室いっぱいのクラムチャウダー
ガーデニング。庭づくり。石積み作業。
昨今の春は短く、すぐに夏になる4月は忙しい。春たゆとうばかりを念じてもいられない。早くかたちを整えなければ、イメージしたものはわたしのあたまの中だけ。有象無象で消えていく。ラジコをポケットに指し放送大学を聞きながら、作業にいそしむ。音楽よりも朗読よりも、昨今は女性講師が受け持つ臨床心理学がお気に入りになっている。声のいい女なのだ。
「××××は、印刷教材でご確認ください」と言ってくれるところが、いい。
テキストなんて持ってるはずはなく、講義なんて気持ちはさらさらない立ち位置が、楽しい。むかしの大講義室の柱の影からショートボブで少し隠れた彼女の耳元を真横から覗き込んでいる香ばしさが、胃の腑の辺りから立ち上ってくる。
立ち上がってくると、クラムチャウダーの匂いが混じっていた。
昼にわたしが春キャベツをあさりと一緒に炒めた一品を、夕方に妻は豆乳で伸ばしあっさりのクラムチャウダーに代え、汁椀で出してきた。
そのせいなのだろうか、昨日に続き、むかしの身内の夢を見る。
ふたりが入れられているのは浴室だ。服を着たままなので浸かるわけではない。湿度100%のもやは浴室のベージュをとことんマッドな表情にしている。
粘りのある光沢。その色が一番はじめに中に溶けてきたせいか、全体にゆがんできた。ねじれるまではいかない。その代わりに足元がクラムチャウダーに満たされている。急いで上がってきたのではなく、もともと満たされていたものをいまになってわたしが気づいたかっこうだ。
だから、義父は何も慌てたり驚いたりせずに今までどおりの作業を反復している。こうした他人様の口に入る作業をする人の白いキャップに白い衣のかっこうだ。
酒を仕込むひとの姿が上がってきた。静謐、あるいは夕暮れに沈む山寺の鐘の音を連想させる。
上半身は、こんなにも微に入り細に入りはっきりしているのに、クラムチャウダーを攪拌している下半身はいっこうに見えてはこない。義父ばかりでなく、隣に並んで見様見真似で同じ作業を費やすわたしも見えてはこない。両手で握る柄のついた棒は見えるのに、渦を立てるクラムチャウダーの表面より上が、もやよりももっと濃いもので目隠しされている。
足場もない空中を浮遊するこんな作業だから、ビジュアル的にいろいろな不都合があるのだろうと、納得してみせた。
納得してみせたら、横にいるのが義父ではなく、ショートボブの若い女に変わった。臨床心理を話している講師ではない。そもそも彼女はショートボブなど一度もしたことはない。それは絶対だ。
女が、「これが知りたかったんでしょう」と、かきあげた。髪ではなく、クラムチャウダーを攪拌していた棒をかきあげた。
棒の先にはデッキブラシが付いていた。クラムチャウダーを攪拌するには不釣り合いなしろものだ。だけど、「やっぱり」と納得しようとしたら、覚めた。




