コンステレーション
NHKの第二放送か、放送大学か。
そうした講義を聞く聴衆を意識した、筆耕を淡々と進めていくような流れであった。男女ふたりの講師がこの講座を務めていくらしい。こうした番組を持つひとたちだから、それほどに若くはない。しかし専門にかじりついた老人特有の時間を超越した感じはしない。声の感じから分かる。
男の方は60を超えているのは間違いないが、女の方は50の前後を行き来している張りと陰りを感じさせる。途中からの聞き出しであったが、今日がこの講座の第一回目だとの紹介があって、まずはそれぞれおのおのの紹介からと進んでいく。
講義によくある雑談のリラックスした体裁をとっているが、この講座を受け持つに至ったふたりの関係性、単に対談形式をとるための数合わせなのではなく、必然、それを本題からの距離を保ちながら刷り込ませようとしている。
それは内容というよりも声の質感。
ふたりの持つ聴衆を意識した言葉の端々まで神経を使いながらそれを相手に感じさせないように染み込ませる口調がそう感じさせているかもしれない。
ふたりは、使う会話の中のワードにクライアントをよく投げこむ。その次は、臨床心理、夢、ユング、フロイトせんせいも時たま顔を出す。
ユングは呼び捨てで、フロイトはせんせい。ふたりのそれぞれへの親密さ加減が感じられる。男女ふたりの講師は互いをせんせいと呼んでいる。
「せんせいは、さきほど、夢を通じてクライアントの無意識に寄り添っていかれるとき、自分自身の夢にもその影響が及ぼされるとおっしゃっいました。それは意識的におやりになっていらっしゃることなのでしょうか。それとも、結果、そのようなことが起こってしまわれるとおっしゃりたかったのでしょうか」
女のせんせいは見逃さなかった。男の声はそれを説明するとき、そのものの本質の生々しさを濁すため何度か咀嚼してから吐いたのを。そして、そのことはふたりの必然となって流れていく。
「クライアントの無意識を訪ねているのですから、ふたりとも一緒にそちらへ降りて行っているわけですよね。それは籠のついたエレベーターなのか、蜘蛛の糸のような危なっかしくて頼りないものなのかはわかりません。きっと、ひとそれぞれでしょう。ただ、ひとつ言えるのは、せんせい、一緒に降りていくということは、わたしはあなたの、あなたはわたしの意識下を一緒に降りていくことだと思います」
「せんせい、そのことをクライアントにお話しになったことはありますか。意識下への降下が、いずれ、地上の大樹を裏返ししたような大きな主根を目にすることを」
「それはありません。けれども、せんせい、こうした体験がいずれ待ち構えているだろうことだけは断言できます。人類の祖先が20万年前に生きたアフリカのひとりの女性「イブ」に行き着くように、わたしたちは降下を深く続けていけば、人類共通の、生きている或いは生きてきた人類すべての、そこに辿り着くはずと」
そのかたちとは、
真っ暗闇の大きなドームにしんしんの降り積もる雪の一筋、結晶の尖ってはいるが面相筆ではいた柔らかな線の、その先。
あるいは、近づき目を凝らしたフレスコ画に現れる卵の殻の表面のひび割れ、影になって見えてこない天才の見つめた、その先。
いつのまに着替えたのだろう。ふたりのせんせいは茶席に並び、出てくる茶を待っている。先に出された季節の生菓子を美味しく召し上がった証しの懐紙の先を胸元からわたしに見せびらかす。
見えている配置から、亭主はわたしなのだろう。お茶席に移ったので、いまはこうして静かに味わうだけにとどめているが、わたしがたてなければせんせいたちは再びお喋りを始めてしまう。
これ以上深く長くは潜りたくはない。その息苦しさを思ったら、覚めた。




